戦う意義 ――藤山と相手候補を偵察に


 事務所のメンバーへのブリーフィングに向かう毬恵さんの背中を見送り、藤山さんに視線を向け頭を下げた。藤山さんは気にするなとばかりに右手を左右に振った。

「では私は家に戻る。そろそろ愛妻の作る朝食ができあがるころだ。FAQをアップしたら君も少し休め。夕方また追加のQAを検討しよう。それから柊さんも休んだ方がいいぞ。なんだか熱があるような顔をしている」


 私の頭にあるマイクロチップは超低電圧で発熱量も少ないが、さすがこれだけ長時間連続して使うと、発熱で頭部に熱を帯びてくる。

「ありがとうございます。少し休みます」

 私は腹に力を込めてお礼を言って、ドアから消える藤山さんにもう一度深々と頭を下げた。


「最近のコメントは、なぜ地場産業を活性化しないのか、というものが多いですね。富士沢市の地場産業について、何か思い当たるものはありますか?」

 投票日まで残り二日となり、こういう時こそコメントの傾向には注意を払っておきたい。票の行方で頭を悩ましている毬恵さんには申し訳ないが、思わず訊いてしまった。


 細い身体を黒のスーツで包んだ毬恵さんは、細い指を頤にあてて軽く首を傾けながら少しだけ思案顔だ。

 その絵心をそそられる美しさに、以前FAQのページの管理者キャラクターとして、毬恵さんをモデルにしたいと頼んで、あっさり断られたのを思い出した。


「そのコメントの投稿者はほとんどが岩根陣営の人間ね。今の彼らの主張そのままですから」

「彼らが対象にしている産業って何ですか?」

「製糸業だと思う。富士沢って江戸時代から製紙業が盛んで、今でも工業品の三割くらいは紙とパルプだから。ただ最近はオフィスがペーパーレス化してきて需要が減ったから、ずいぶん生産量は減っているみたい」

「なるほど、それはたいへんだ」


 私は身近にほとんど紙がない三一世紀の社会を思い出していた。

 唯一絵画などモニターでは再現できない、絵の具による色彩を楽しむためだけに、紙は使われていた。

「うちの施策であるクラウドハウスも、紙の需要低下に拍車をかけると主張してるわね」

「なるほど、上手く論理展開してるなぁ」

「感心してどうするの。今は東先生も私も、対抗論を考える時間がなくてそのままにしているけど、爆発的ではないにしろ、浮動票に影響を与える可能性はあるわ」

「あっ、そうなんですか」


 他人のことを気にする気持ちは嫌いではなかった。思わず毬恵さんがいらつくぐらい、感心してしまった。反省してると背後から、いつもの藤山さんの声が聞こえた。

「いい関心の仕方をするじゃないか。さすがは柊さんだ」

 そう言いながら現れた藤山さんの顔は、本当に楽しくて堪らないというような顔をしていた。


「藤山さん、事態は深刻なんですよ」

 毬恵さんが再び咎めるように注意すると、藤山さんはなだめるような顔をして間に入った。

 実は最近この二人は気が合うみたいで仲がいい。

「毬恵ちゃん、現実が政治でどのように脚色されるか、柊さんに分かってもらうにはちょうどいい機会じゃないか。見落としちゃいけない大事なこともある」

「ですが、どのようにして理解してもらうんですか?」

「そうだな。柊さん、実際にその目で見てもらおうか。毬恵ちゃん、今日の一馬の街頭演説はどこでやるか知ってるか?」

「今日は東コミュニティセンター前だと思います」

「よし、それじゃあ柊さん、これからドライブしよう」


 藤山さんの狙いはよく分からなかったが、とりあえず「分かりました」と答えて二人で外に出た。藤山さんの家に着くと、すっかり回復した妙子さんが出てきた。

「あら柊さんじゃない。正信さんと車で出かけるの?」

「ええ、岩根さんの街頭演説を聞きに行きます」

「あらあら。正信さんにあっちこっち引っ張りまわされて、柊さんも大変ね」

「藤山さんは私にとってかけがえのない大事な先生ですよ」


「そうだ、妙子も一緒に来てくれ。確か妙子のお父上は製紙会社に勤めていたよな。街頭演説が始まるまで、柊さんにこの街の製紙業についてレクチャーしてくれないか」

「もちろんいいけど、私はそんなに詳しくはないわよ。父はそんなに仕事のことを家で話す人じゃなかったから」

「概要で構わない。社会科を教えると思って話してくれ」


 妙子さんは一回家に入って、薄い紫のカーディガンを羽織って出て来た。相変わらず上品な佇まいだ。

 東コミュニティセンターまで、車で十五分ばかりかかる。文字通り藤沢市の東部地区に位置し、人口も結構多いので利用率の多い施設らしい。


「製紙業は富士山麓の地域にとって伝統ある産業なの。それは今の富士沢市ではなく、もう少し山奥の方だけど」

 妙子さんは分かりやすいようにマーキングした地図を渡してくれた。

「明治に入ってから水資源が豊富だったので、和紙から洋紙への切り替えに伴い、製紙工場がたくさん建てられ、富士沢は紙のまちと呼ばれるようになったの。戦後すぐに出版ブームが起きて、富士沢の製紙業はどんどん栄えて、そうね平成の最初の頃までは調子が良かったわ。でもバブルが崩壊した後、OA化の波に押されて今は下り坂になっているの」


「東さん自身は製紙業に対して、何かダメージに成るようなことをしたんですか?」

「そうねぇ」

 妙子さんは少し思案顔になって考え込んだ。

「やっぱり市役所のOA化かしら。後、市役所発行の印刷類もすごく減らしたみたい。それは印象的に製紙業に冷たいように見えたかもしれないわ」

「じゃあ、それを岩根さんは主張してくるかもしれないですね。でもそれなら世の中全体の動きだし、市民の税金を使うと考えるならあまり有効な主張にはならないですよね」

「私もそう思うわ」


 妙子さんもあっさり同意してくれた。やはり、岩根さんは私の作った計画を、デジタル化による弊害として強調するかもしれない。

「一馬はそんな単純な攻め方はしてこない。きっときちんと目的を提示して、その障害ぐらいにしか言わないさ。まあ行けば分かる」


――いったいどんな想像もつかないことが起きるのか?

 藤山さんの言葉が、私の好奇心を刺激する。

 車は予定通り十五分で着き、藤山さんはコミュニティセンターの駐車場に車を停めた。

 その反対側で岩根さんの選挙スタッフが、既に到着してビラを配る用意をしていた。

 まだ岩根さんは到着してないようで、見えるのはスタッフの姿だけだった。

 三人でしばらく待っていると、岩根さんのポスターが貼られた選挙カーがやってきて、車から岩根さん本人が何人かのスタッフと一緒に降りてきた。

「おお、柊さんついてるな。一馬の隣が代議士の笹山だ」


 藤山さんの指摘を受けて、岩根さんの隣の男を注視した。中肉中背の岩根さんに比べて、かなりがっちり体系のスーツを着た老紳士だった。

「あの人が笹山代議士ですか。なんか想像したよりも普通っぽい人ですね。でもいい身体をしてますね」

「ああ。笹山は学生時代柔道でかなり鳴らした口で、今でもトレーニングを続けているらしい」

「柔道ですか」


 もう七十才を超えてるだろうに、そうした努力を続けれるとは、何となく大物感が漂ってくる。

「あれも笹山の売りだからな」

「そうなんですね」

 まったく政治ってやつは何でも使えるんだと感心した。


 時間に成ったのか、スタッフがビラ配りの配置につき、岩根さんがマイクを握った。

「お集りの皆さん、お騒がせいたします。この度市長に立候補した岩根、岩根一馬でございます――」

 岩根さんは思ったよりも声量があった。スローガンである「つながりのある政治」を具体例をあげて順に話し始める。


 岩根さんは、地元の土建会社を支持層に持つという背景から、もっとあくが強くてエネルギッシュなイメージだったが、実際に演説を聞いてみると理知的で穏やかな人だった。

 明瞭で張りのある声で、思いやりに溢れた優しい言葉を語る。その姿は利権に与しているようには到底見えなかった。


 語り始めて二、三分で聴衆も十分に集まり、演説会の雰囲気が盛り上がってきたところで、岩根さんはメインの政策となる「つながりの場」作りを語り始めた。

「今、世の中はコミュニケーションの主役が、ネットと呼ばれるバーチャル空間に移行しつつあります。姿形は程よく加工され、匂いもしなければ息遣いも聞こえない、そんな虚構の相手とのコミュニケーションから産まれる物は限定されていると、私は思います」


 東陣営で進めている在宅勤務都市構想を、コミュニケーションの本質を解きながら、間接的に否定している。

「元来、日本の社会はつながりによっていろいろなものが動いて参りました。仕事もそう、勉強もそう、子育てもそう、町の安全もそう、そしてもちろん恋愛もそうですね」

 恋愛と語る場面で理知的な表情に感情が浮かんだ。聴衆にリラックスなムードが漂う。

「そのつながりの場がネットにとって代わろうとしています。恋愛がSNSや出会い系と呼ばれる虚構の場で行われ、町の安全はネット上の匿名の情報に踊らされ、子育てはネット上のコミュニティでのいじめに右往左往する。子供たちはネット上の公開教室を視聴し、仕事に至っては同じ職場に居ながら電子メールでやりとりしている」


 恋愛から始まり仕事に至る多彩な例示の展開。聴衆は裏社会的な印象のある、出会い系のイメージを抱いたまま、後に続く話を聞く。自分ですらそうだ。

「もちろん私はインターネットの効率性を否定しているわけではありません。そういう話ではないのです。大事なものを失いたくない。ただそれだけなのです」

 気のせいか聴衆は岩根さんの声に、ぐっと耳を傾けたような気がした。

「相手の気持ちを肌で感じる、そんなコミュニケーションの場を増やしたいと考えています。ここコミュニティセンターも長年その役割を果たしていました。ただ少々建物も古く成り、機能性も現代の仕様に追いついているとは言えない。しかも数が少なくて利用が限られている。だから立て直しなどとせこいことを言わず、新しい場所に新しい施設を建て増ししていこうと思います」


 聴衆は思わず隣の建物に目をやる。コミュニティセンターの隣で話すことで、印象的な効果が倍増している。

「そこでは仕事ができる。勉強もできる。子育てもできる。しかも安全を確保します。そういう設備を揃えます。忘れてはいけない。もちろん恋愛の場でもあります」

 一部の聴衆から笑いが漏れた。

「そういう施設を運営するために人も必要になります。つまり雇用が生まれます。そういう雇用を、今後の高齢化社会への対応としていきたい、と考えています」


 まて、そういう施設を作って人を雇う資金はどうするんだ。一番大事なことが抜け落ちている。私の心に芽生えた疑問は解決されぬまま、岩根さんの演説は進んでいく。

 隣の藤山さんは、なぜかニヤツキながら聞いている。

「もう一つ、この施設はある特徴を備えることに成ります。この富士沢市は『紙のまち』と呼ばれてきました。だが近年のOA化で紙・パルプの生産量は激減しています。紙のまち富士沢も崩壊が近づいています」


 ついに来た。やはり製紙業の話を織り込んできた。

「もちろん私はOA化の否定論者ではありません。企業が営利を目的とする限り、コスト削減は避けられるものと理解しています。ただ、文化としての紙はどうでしょうか。これを見てください。某米国メーカー製の電子ブック機器です。確かにこれは便利だ。重い本を持ち歩かなくてもどこでも好きな本を読書できる」


 私はふと三一世紀の読書スタイルを思い出した。あの世界ではそんな機器も必要ない。文学だろうがニュースだろうが、必要な情報は直接頭の中にインプットされる。

「でも、自宅で静かにお気に入りの本を読み返すときを想像してください。小説や漫画には、それを読んでいた時代の思い出が詰まっている。感じ方だって成長する。そんなときは、電子機器ではなく思い入れのある紙の本がマッチすると思うんです」


「だから新しいコミュニケーション施設には、紙の本をたくさん置きます。仕事や勉強で使うためのメモ用紙もふんだんに置きます。他の市町村は、資源保護も含めて、もっとペーパーレスにすればいい。だがこの富士沢は敢えてそれに逆行しようと思っています」

 私にはまったく理解できなかったが、周囲にはそれなりに賛同があるようだ。藤山さんはさらにニヤニヤしている。妙子さんも感じるところはあるようだ。

 紙の保護の話を最後に岩根さんの演説は終わった。

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