黒い煙

こざくら研究会

黒い煙

 黒井さんは振り向くと、いつもそこに居た。通学路でも学校でも。そしてアイツは、いつもわたしの後を付いて来る。どこに行くにしても、放課後だって、学校のない日だって、お出かけの時にだってだ。

 黒井さんと言うのは黒いだ。本当に煙みたいなのだ。だから、みんなから不気味がられ、誰も話しかける者がいない。

 そんな煙に付きまとわれて、わたしは迷惑していた。

 だけれど、話しかけてはいけないと言う雰囲気が周りには常にあり、わたしも怒鳴ったりして追い払ったりせず、しばらくは我慢していたのだ。


 黒井さんだって、元々そんな煙だった訳ではない。初めは隣の家に住む、大人しい女の子だった。

 家が隣と言う事もあり、わたし達は小さい頃からよく遊んでいた。

 わたしの第一印象は、つまらない子、だった。でも、近くに他に遊ぶ相手もいないので、仕方なく友達でいて上げる事にしたのだ。


 だけれど、幼稚園、小学校と上がって行くに従って、面白くない黒井さんを、わたしは次第に煩わしく感じるようになった。

 いつもわたしの後ろに付いて来て、振り向けば必ずと言っていいほど居るのだ。

 それも隠れるように付いて来るものだから、そのいじいじした態度に無性に腹が立った。

 それでも、幼馴染と言う事もあり、それなりに体裁は保ってやっていた。

 だが、学校に上がってからは、何事も無口でめそめそしてばかりいる黒井さんは、周りから煙たがられるようになっていた。

 そんなヤツと関わっていては、わたしも同じように思われると考え、わたしは黒井さんに付いて来られないように、話しかけられないように頑張った。

 黒井さんは人に迷惑しかかけない困った子なのだ。


 そんな時、黒井さんは学校で、先生に呼ばれ、友達はいるのかと聞かれ、わたしの名前を上げたらしい。

 先生が黒井さんとわたしの所にやって来て、友達かと聞いて来た。

 黒井さんは泣きそうな顔をして、わたしを見つめて来た。

 本当に意気地のない気持ち悪いヤツだと思った。

 わたしは笑顔でこう言った。

「友達のはずありません。黒井さんって、いつも一人だし、友達なんか、できる訳ないじゃありませんか」

 そう言うと黒井さんは泣き出し、先生はわたしに笑顔で、時間を取らせたねと言って、黒井さんの後ろ襟をつかむと、どこかへと引っ張って行った。


 それ以来、黒井さんは煙になったのだった。




 中学に上がり、運の悪い事に、黒井さんは、わたしと同じクラスになった。席は教室の一番後ろの窓際で、振り返ると、いつもそこにいる。朝の会も授業中も五分休みも昼休みも帰りの会もいつもそこ。ずっと動かない。ただもやもやとした黒いものがうねっているだけ。


 先生が、朝の会でみんなの名前を呼ぶ時も、黒井さんだけは呼ばない。黒井さんの席にちらと目を向けるだけで、名簿で確認してそれで終わりのようだった。


 黒井さんと話してはいけない雰囲気はあるのだが、黒井さんの悪口に関しては問題なかった。それ所かそうする事が、より良いようだった。だからわたしは存分に言った。そして先生達も、黒井さんの悪口を言っていると、一緒になって笑ってくれた。

 だからますます悪口を言うようになった。


 朝礼の時、体育館での集会の時、体育の時間、黒井さんはみんなの後ろで、いつもただ立っている。

 立っていると言うより、煙みたいな体なので、ただ立ち昇っているとでも言った方がいいのだろうか。もやっとしたものが天に向かってゆらゆらと揺れ、立ち昇って行くように見えるが、わたし達の背と同じくらいの所で掻き消えてしまう。


 ある日、悪口が高じて、黒井さんをからかおうと、みんなで話し合った。だけれどいざそうしようとした時、先生に見付かって酷く怒られたのだ。

「あんなばっちいのに触ってはダメです」

 との事だった。言われてみれば確かにと思った。


 それにしても黒井さんは酷い。あんなもやもやした体で不気味なのを恥ずかしく思わないのだろうか。そしてわたし達が楽しく話している時だって、何も言わず、ただ自身の席に黙って居る。みんなの輪に加わろうともしない。

 それだけならまだしも、体育の時間や、運動会の時だって、合唱コンクールの時も、みんなの輪に加わらず、一人だけ特別扱いされているのだ。

 そんなのに付きまとわれていると考えるだけで、イライラが止まらなくなってきた。


「ねぇ、みんな、あの黒井ってヤツ、徹底的にいたぶって、もう学校に来たくないって思わせようよ」

 わたしがそう言うと、いつも遊んでいるクラスメイト達は一様に首をすくめた。

 あんなのに関わらない方がいい。あれはわたし達と違うんだから放って置くべきだって。

 だからわたしは言ったんだ。アイツばかり、特別扱いされていておかしいと。それをそのまま受け入れてるのは調子こいてるからなんだ、開き直っているからなんだと。

 それでもみんなは嫌な顔をして、わたしの提案には頷かなかった。

 もういい。わたし一人でやってやる、そう思った。


 それからだ、わたしは積極的に黒井に話しかけるようになった。

「ねぇ、何でアンタ、いっつもわたしの後ついてくんの? 友達いないから遊んでほしいんでしょ? でも、お前がもやもやしてるからいけないんだ。大体なんでアンタだけもやもやしてんの? みんな一緒のはずでしょ? 一人だけ違う事して、マジでムカつくんだけど」

 そんな風にわたしが話しても、黒井のヤツはうんともすんとも言わない。そして、他のクラスメイトは黙ってわたし達のやり取りを見ている。

 そんな中、よく遊ぶヨシコちゃんが近付いてきて、ねぇ、もうやめようよ、と言って来る。

 だけれどわたしは首を振った。

「だれかがはっきり言ってやんないとわかんないよ。こいつ、調子こいてるんだ」

 そんな教室に先生が入って来た。先生はわたし達の様子をちらと見ただけで、黙って教壇の上に立った。

 わたしは自身の席に戻る。そして日直の号令と共に立ち上がり、礼をすると、授業が始まった。


 一時限目が過ぎ、二時限目も過ぎる。わたしは時間と共にイライラが溜まって来るのを覚えていた。そして三時限目の歴史の時間、我慢できなくなり、授業中についに席を立ったのだ。

「先生! 先生はいつもみんなを指すのに、何でいつも黒井だけ指さないんですか!? みんな一緒なのに、特別扱いはずるいと思います!」

 そう言った。

 わたしの言葉で、教室はしんと静まる。

 先生も、クラスメイトも、黙ってわたしを見詰めていた。

「な、なによ」

 わたしは内心、怯えながらも、何とかそう絞り出すと、先生が何事もなかったようにわたしに背を向け、黒板に文字を書き始めた。

「前回はどこまでだったか憶えているかな、笹野ささの

 先生がそう言うと、笹野ささのが席から立ち上がり、

「世界戦争と協調法についてです」

「よろしい、座りなさい」

 先生はそう言ってわたし達の方に振り向いた。

「世界には争いが絶えなかった。争いとは互いがから生まれるのだ。違うと言うのは恐ろしい事だ。戦争、人殺し、だからわたし達は常にでなくてはならない」

 そうして先生はわたしを指さした。

を何と言う?」

 先生の言葉が終わると同時、とても冷たい目をした全員が、わたしに振り向きこう言った。

調です」

 先生はにこりと笑うと、よく出来ましたと言う。

 わたしは唖然としてしまい、身動き出来ず立ち尽くす。

「この協調法は世界共通の法であり、これが出来てから、人間社会での争いはなくなりました。花倉はなくらは、協調法を破った者への罰が、どんなものか憶えているか?」

 ヨシコちゃんが席から立ち上がり、わたしに、蔑んでいるような視線を向けてから、前を向く。

「肉体の組成を変え、常に他人に認識して貰わないと消滅してしまう罰です」

 先生はにこりと笑い、ヨシコちゃんもにこりと笑い席に座った。

「みなさん。人の目を気にする事は、とても大事な事です。法を破った者には、これをよくわからせる必要があります。人間は、生き物は、生きる事が第一目標です。大勢や強い者を見分け、状況に合わせて上手くやる、目立たないように同調して生き抜く事、黙ってみんなの後ろから付いて行く事がとても大切なのです。みなさんが学校に来る道と一緒です。定まった道から決して足を踏み外さない事、決して和を乱してはいけませんよ。これが平和なのです」

 わたしは、振り返って黒井さんを見た。

 黒い煙の中、わたしに向かって赤いものが、半月形に開いた。とても楽しそうに。

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