第6話 回帰

(ここは、美しい・・・)

地下に、インフラと機能の中枢を持つセレーネ月面都市が、唯一月面から出ている部分はここ。

ガラスに遮光処理を施す代わりに、ガラスで隔てられた外側に、庇のようなものが長く突き出ていて、それが遮光の役割をしていた。そして、ガラスの方は、やたら分厚く、高さも1.5メートルほど、幅が2メートルほどあって、完璧なパノラマビューは望めなくても、それでもちょっとした「展望台」になっていた。


厳密にいうと、ここは展望台では決してありえない。

でも、私は、「私だけの」秘密の展望台、だと思っている。

誰が、どんな目的のためにここをつくったのか、誰に聞いても、明確で、そして、納得いく答は、これまで得られていない。


私は、この展望台のほぼ真下、50メートルくらい下になるだろうか、輸送ネットワークの管制室で働いている。

管制室の上に、巨大なシリンダーみたいなものが立っていて、その中に、螺旋階段が据え付けられていて、階段をのぼった先に、この展望台がある。

私は、休み時間や、早く帰宅できる時の帰宅の途に着く前に、この螺旋階段をのぼって展望台に出て、そこで、セレーネが位置する静かの海や、その先に見える地球をしばし眺めている。


展望できる窓ガラスは決して大きくないのだが、十分に採光が出来ているのか、螺旋階段の足元は決して暗くない。だから、一日に2、3回も螺旋階段の下から上へ、上から下へと往復することもあり、いい運動にもなっている。


おっと、そろそろ、昼休みが終わるな。


展望窓から外を見ても、動いているものはほとんどなく、月の表面にある建造物は概して地を這う如くに低く、おまけにレゴリスを被せているので、月に元々ある丘陵とほとんど見分けがつかない。そして、セレーネの周辺で動くものがあるとしたら、それは大抵、月面観光に出かけるシャトルバスであった。

きびすを返して、螺旋階段に向かおうとした時、目の端でキラリと光るものを捉えたように思ったが、多分それは、シャトルバスであろう。


セレーネの輸送ネットワークは、人が移動で使うものと物流で、2つに分かれている。私は、物流、つまり、物の輸送ネットワークの方に関わっていて、そして、私が働く管制室は、セレーネの、どちらかと言うと、一番端に位置している。管制室があるところが物流ネットの一方のターミナルになっていて、もう一方のターミナルは、現在は2つあって、一つは、セレーネ宇宙港に、そして、もう一つは、ファンデーションになっている。


私は、ここでの仕事をとても気に入っている。

仕事仲間も気の置けない人達ばかりだし、アルゴリズムを考えて、ダイアグラムを修正し、もっと最適化された物流コントロールを作っていくのは、とても楽しい。ただ、応用数学だけでなく、物流の滞りを予測しマネージメントするための統計学にも通じている必要もあるけれど、私とよく一緒に仕事をする先輩は、その統計学が専門だから、彼女の適切で適宜に与えられる助言に、本当に助けられている。

実は、今日も彼女と一緒に仕事をしている。


ちなみに、たった3つしかないターミナル間で、一体全体どういう「物流の滞り」が起こるのか、不思議に思う人がいるかも知れないけれど、宇宙港からの入荷・出荷に、結構「滞り」が伴うのである。

月ー地球間の宇宙空間は、地球の磁気圏というものに守られていて、火星などの外宇宙に出るのとは違い、比較的安全であるらしいけれど、突発的な太陽活動、例えば、フレアとかコロナ質量放出と呼ばれるものが起きると、放射線やら、酷い磁場の乱れなどで、輸送船だけでなく、それに登場しているクルーも危険に晒されるらしい。そういうわけで、宇宙港の入出荷に関しては、宇宙天気というもののデータや統計が重要になってくる、というわけ。


「また、上に行ってたの?」

部屋に戻ってきた私の方に振り向いて、彼女が言った。

「え?ええ、そうです。」

「今日は何か、面白い事か物か、あった?」

「いや、、、特には。」

「ふーん。それにしては、結構長い間、あそこに居たようね。」


展望台に何故長居してしまうのか、それに関して、私は、彼女の問いに答えられる答をもちあわせていない。

「そうですね・・・。それよりも、先輩、先週の宇宙港での”あの件”の、報告書を仕上げてしまいましょう!」


そして、展望台のことはそこで断ち切られて、2人とも現実に戻っていった。


・・・


セレーネ月面都市は、商業と工業の両機能を持つと言われているが、セレーネの工業地区は、宇宙港がある北の方に位置し、都市の中央とされるところには、行政、金融を含めた商業、そして、居住区画だけがある。

行政は、アルテミス・アコードの「ザ・ファースト・エイト」が設立した、アルテミス評議会によって、金融は、ザ・ファースト・エイトの各国からの出先機関も一部関与しているが、アルテミス評議会の下部組織である「アルテミス商工会」が大きく関与している。そして、アルテミス商工会によって、セレーネ独自の経済システムが採用されている。

ザ・ファースト・エイト各国の、それぞれの貨幣が通用するのは、セレーネの外での経済的活動の場であって、セレーネ内部では、「ポイント」と呼ばれるものが圧倒的に有効となっている。このポイントは、労働対価でもある。セレーネで働き生活する人々はすべからく、このポイントを貨幣相当として使っている。

このポイントを実際の貨幣に替える時は、固定為替制度になっている、ザ・ファースト・エイトの、どれかの貨幣に一度変換した上で、それを、希望する貨幣へとさらに変換することとなる。

従って、セレーネにおいては、地球における国籍に関係なく、全く変わらない条件で生存活動を行えるが、ザ・ファースト・エイトのどの国の国籍も持たない場合は、ポイントを自国通貨に変換する手間(すなわち、手数料)が発生するというわけである。

個人に属するポイントは、通常、ほぼ最高度のセキュリティで守られていて、その個人のセレーネでのIDとリンクしているために、贈与や譲渡をしたい場合は、アルテミス商工会のセキュリティ・セクションの物理的な立会いの元でないと行えない。

そして、個人に属するポイントは、その個人が死亡した時点で、生前贈与および譲渡がなかった場合、ID抹消とともに自然消滅する。


セレーネの輸送ネットワークを管轄しているのは、アルテミス商工会である。故に、人的輸送であれ、物流であれ、それを管制する管制室は、アルテミス商工会の下部組織の一つに属している。私も先輩も、ザ・ファースト・エイトに属する国の出身であり、それゆえに、アルテミス商工会に雇用されている。


「あーーー、終わった!今日の仕事はここまで」

先輩がそばで大きく伸びをした。

「今日の、この後の予定は?」

と、すかさず、私が間の手をいれてみる。

「えっとねぇ〜、デート!」

(おっと、、、。)

まぁ、先輩も私も、こよなく統計学や数学を愛するとはいえ、それなりの年頃ではある。

特に先輩は、最近新しく付き合いだした人がいるみたいだし・・・。

まだ、一人住まい区画から、二人住まい区画への変更には至っていないようだけど、相手との相性次第では、そう遠くないうちに起こる可能性だって否定できない。


「あなたの方は?」

「私ですか?うーんと、ファンデーションの野菜を使った料理をだす、3ブロック先のレストランのこと、ご存知ですか?」

「”ショウジンリョウリ”とか何とかを出す、あのレストランのこと?」

「え?あ、そうです。精進料理って、完璧なヴィーガン料理なのですが。まぁ、それはそうと、最近、ファンデーションで新たに生産され始めた、ある野菜の、オリジナル料理が今日からメニューに載るのです。」

「生鮮野菜で、かつ、種類が増えるのは嬉しいわね〜。でも、あそこって、ちょっと高くない?」

「そうですね。高いですが、でも、やっぱり美味しいし・・・。」

「そういうもの?」

「それに、メニューを覚えば、今度は自分の個室で作れるし。」


食べ物の話に関してだけは、先輩と私は、折り合えるところがない。

先輩は、極力自炊する派だけれど、話をよくよく聞くと、冷凍物や半分出来合いのものも結構使っているらしい。

私は、自炊半分外食半分のスタイルを取っている。そして、自炊では使う素材に妥協はしたくない派、である。


「じゃ、またね」

二人して、妙なところで話を切り上げてしまったので、挨拶だけして、それぞれの帰途についた。

「お疲れ様です。」


3ブロック先にあるレストランまでの道筋、同じ方向に向かう人の流れに混じって、これから食べようと考えている野菜料理のことを考えていた。

前回食べたのは、多年草植物で、「野生のホウレンソウ」と呼ばれるものだった。調理前のそれを見せてもらったが、とてもホウレンソウには見えず、どちらと言うと、アスターの葉を想わせるもので、大きさもそれくらいのものだった。

レストランのシェフは、それを、スープと、蒸し饅頭に料理した。

スープは、その葉野菜に含まれるふんだんに含まれる油分で、ラーメンのスープを想わせるコクがあったし、蒸し饅頭の方は、逆にその油分が抜けて、ホウレンソウとよく似た風味と味がした。・・・まぁ、ホウレンソウの蒸し饅頭なんて、そうそうお目にかかるものではないけれど。


レストランは既に、夜の部に向けて、開店していた。

「いらっしゃいませ。・・・あ、お好きな席にどうぞ。」


私はここの常連なので、お店の人もすぐに分かって、私に、好きなように席選びをさせてくれる。そして、私は、いつもの、窓越しに帰路につく人々が眺められる席に腰を下ろした。


ここの野菜料理は確かに美味しいけれど、決して大きなレストランではない。

レストランと言った食事サービス業種は、アルテミス商工会とは原則関係のない、完全に民間のものであることが多い。ただ、「個人」が月で店を出すことは、民間においてはほとんどあり得ないことだった。

しかも、このレストランでは、「ファンデーションの野菜」が使われている。

これもまた、このレストランにまつわる「謎」の一つだった。

物流管制をやっている職業柄、ファンデーションから出荷されたものが、どのように、セレーネ、そして、月に行き渡っていくか、一応分かっている。

ファンデーションから出荷された食用植物は、穀物、野菜、果物のいずれも、アルテミス商工会に所属する仲卸業者に渡る。ただ、仲卸業者がいる「仲介市場」がセレーネにあるわけではない。ここでの仲卸業者がどのようなことをやっているかは、よく知らないが、そこから、個々の小売業者に渡り、ここが最終出荷先になる。


ところが、このレストランは、お店の誰かが”直接”、最初の集荷場でもある、管制室そばのグッズ中間留め置きセンターに赴いて、野菜が詰まった大きなカートを引き取りに来る。


これは全くの噂で、何の裏付けもないのだけど、レストランのオーナーがファンデーションと強いコネクションがあって、それで、野菜の直接購入が可能だとか・・・。


私は、ここのシェフとは顔見知りだ。でも、このシェフがオーナーシェフなのか、オーナーは別にいるか、内情は全然知らない。


「今日は何にします。」

お店の人が、オーダーを取りにきた。

「あの、、、今日からメニューに載る、新しい野菜の料理をお願いします。」

「ああ、あれですね。ちなみに、新しく加わる野菜、『苦瓜』って名前です。」

「ニガウリ、ですか・・・。」

「ちょっとクセがあるので、この野菜の好き嫌いは両極端になるだろうな、と思っています。それでも、試してみますか?」

「ええ、お願いします。」


・・・


お店の人が言ったとおり、苦瓜を一口噛んだ時の最初の印象は、「石灰を口に含んだよう」なもので、果たして、このまま、食べ続けられるだろうか、非常に疑問だったが、食べ進めると、この苦さが、それほど不快でないものに次第に変わっていった。


「最後の方では、美味しいと思いましたよ。」

ポイント支払いで清算しながら、率直な感想をお店の人に伝えた。

「良かった。また、お越しください。」


通路に出ると、帰宅する人波はほとんど引けており、もう暫くするとこの辺りの照明は落ちるだろうから、歩いている人々の歩は心持ち早いものになっていた。


ーーー


その日、ファンデーションでは、久々に、還元サイクルシステムが稼働したが、それは、「ちょっと特別なイベント」となった。


亡くなったのは、ファンデーションの創立メンバーの一人であったらしい。


彼女は、最近になって月に移住してきており、従って、移住期間は長かったわけではなかった。生前は、地球上の、あらゆる植物栽培区画を飛び回っていたが、何らかの事故にあって、歩行が困難になったのをきっかけに、治療・医療を兼ねて月に移ってきた。


彼女には家族がいたが、子供達は地球に残り、長年連れ添った夫と二人で、本当の”終の棲家”となる、この月に移ってきたのだった。


彼女は、生前から、自分も還元サイクルシステムによって、無機物になって、月の植物区画に利用されることを望んでおり、夫やファンデーションのスタッフは、彼女の望み通りに、遺言を執行したわけである。


・・・ただ、このことは、ファンデーションの外、例えば、セレーネで知られることはなく、セレーネで暮らす人々は、いつもと変わらない日を過ごしたにすぎなかった。

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