第4話 墓標

私は、月での1ヶ月のうちの半分、半月だけの開館日に、セレーネ月面都市から、静かの海の南に位置する「アポロ11号着陸記念メモリアル博物館」に通っている。

セレーネ月面都市から博物館までは、月面シャトルバスで片道2時間。


セレーネ月面都市は、静かの海の、比較的なだらかな南の地域に建設された、商業と工業の両機能をもつ人工都市であり、アルテミス・アコードの「ザ・ファースト・エイト」が設立した、アルテミス評議会が行政を担当している。

月面都市とは呼ばれるが、実際には、月表面には主だった建造物はない。大気がないせいで、放射線、真空かつ超極低温に加え、微小天体がたえまなく降り注ぐためである。静かの海はそれでも、例えば、赤道をまたいで南半球の西の方にある地域と比べると、大規模クレーターが圧倒的に少ないが、それでも、微小天体が月面に衝突し、つくる、小さなクレーターがぽつぽつと存在する。

よって、セレーネの、主要なインフラを含めた中枢は、その地下に設けられている。


0600LLT(ルナ・ローカル・タイム)ちょうどに、ターミナルを出発したシャトルバスは、螺旋状の斜路を軽やかに登っていき、月表面に出て行った。

シャトルバスは基本、観光インフラなので、月面観光が楽しめるようつくられているが、それでも、空気がないことで太陽直射光は危険なほどに危ない。故に、窓ガラスをもつシャトルバスは、月表面に出ても安全な半月だけしか運行されない。

その半月間は、セレーネがある、いわゆる「月の表側」は、太陽に背を向けた格好であり、地球時間にしたら約15日間ある。


私は、博物館ではキュレーターのようなものをやっているが、本職はエンジニアで、今日は加えて、開館時間外で行う博物館の技術的運営のサポートの他に、シャトルバスルートの安全確認と、ルートに不都合があった場合の変更要請をターミナルにある管制室に伝えるために、早くからシャトルバスに乗り込んだ。

故に、車内には、運転手と私の2人だけ。

しかも、運転手も月面でのEVAスペシャリストのライセンスを持っているので、ルートに何かあった場合の回避策と、速やかな乗客達の安全確保のための手順を確認しておく必要がある。

この運転手とは、このシャトルバスだけでなく、博物館においてもしょうっちゅう顔を合わせているので、お互い気心が知れていた。ちなみに、彼女は、博物館に到着したあとは、博物館の外に観光客を連れ出すEVAのインストラクターを行う。


「今のところ、異常なさそうですね。レーダーには特に何も映っていませんし。」

「前回と同じルートを辿っていますが、微小クレーターを踏んだ感触とか、確かにありません。」

「・・・今日も、EVAですか?」

「ええ、1030(LLT)からの30分のものが入っています。実は、今日は珍しく、大口の予約が入っていて、(EVA)インストラクターが3人も必要なのです。」

「へぇ〜、確かに珍しいな。。。セレーネの方で、カンファレンスとかあるのかな?」

「さぁ、、、。博物館の方で、何も聞いていないのですか?」

「いや・・・。」


(とすると、VIP向けEVAかな・・・?)


小さいとはいえ、シャトルバスでは辿れない小さいクレーターを横目で見ながら、ふとその考えが頭の中をよぎっていった。

クレーターがつくる窪地のような盆地はくっきりとした闇をその中に包み込みながら、そのクレーターを腕で抱え込むようにぐるりとつながるなだらかな丘陵が、まるで、その闇を覗き込む、もの言わぬ静かな巨人のように、一瞬見えた。


博物館で働く半月間、大体いつも、この景色をバスの窓越しに眺める。

シャトルバスは、装備の都合でかなり重量があり、それ故に慣性も大きいはずなのだが、シャトルバスは月表面の凸凹と低重力のせいで、ひょこひょこと上下する。

そのせいで、バスからの外の眺めは、”流れるよう”では決してない。

ただ、空気がなく、あらゆるものの縁はやたらにシャープに、はっきりと見えるため、遠近感が捉えにくい。

上下する景色と、ひたすらじっとしている景色が、同じところに存在するという、何とも奇妙な光景が、無音のまま2時間続く。


「あ、そういえば、ファンデーションに寄る手前、えっと、、、そう!オルドリン・クレーターの近くに新しいクレーターが出来たらしいです。今日は、新クレーターと思われる地点2キロ前から、少しルートが変わります。」


彼女の声で、物思いから現実に引き戻された。

(おっと、レーダーの方は・・・)


「クレーターの深さとか、どれくらいか聞いていますか?」

「いえ、、、レーダー方で、クレーター由来でありそうなものの走査をお願いします。」

「分かりました。」


博物館、と言うか、アポロ11号が着陸した地点から近いところにある3つのクレーターにそれぞれ、アームストロング、コリンズ、そしてオルドリンという名がつけられている。いずれのクレーターも、近隣にあるサビンやリッター・クレーターに比べたら、取るに足りないほど小さい。

ただ、小さいクレーターでさえ、月ではどんな形の侵食も受けないために、間違ってクレーターのリムを乗り越えて窪地に落ちた場合、救助が非常に困難になる可能性がある。

それゆえに、レーダーで地面を常に走査し、以前に登録されたのと違う岩石やら地形との違いは比較されなければならない。そして、以前と違うところがあれば、記録すると同時に、シャトルバスの運転手でありEVAスペシャリストである同乗者に、ルートの、時々刻々の変更と実行を促す。


「あ、さっきのEVAの話ですが、そうすると、博物館の方も、今日は多少、忙しいかも知れませんね。」

「さあ、、、どうでしょう・・・。」


セレーネで、今日の運転手のこの彼女と、個人的な交流を持ったことは一度もないが、彼女はかなり社交的らしく、今日のような組み合わせで一緒になると、集中力をかなり必要とされる運転中であっても、ぽんぽんと気軽に話しかけてくる。

私は逆に、割合と独りでいることを好む方なので、内向気味になった時に、彼女のような人がいると現実に引き戻してくれるので、今日のような状況では非常にありがたく思っている。


私はキュレーター兼技術者なので、博物館で観光客の相手をすることはまずない。

独りで黙々と、資料や技術事項といった静物と向き合っている方が、落ち着くし、そして、仕事もはかどる。

実を言うと、セレーネでの仕事の方より、博物館での仕事の方がはかどるし、実際に楽しいと感じている。

セレーネでは、まわりに同僚がいて、一人仕事よりはむしろ、チーム仕事が多くなる。そして、仕事が終わると、同僚達は三々五々声をかけあって、飲みに繰り出すことが多い。私はほんのたまに、”義理で”付き合うようにしているが、彼らも、私の人となりが分かっていて、誘うことは滅多になかった。

そういう事情があったので、博物館での仕事の応募があった時に、私は真っ先に応募した。幸い、仕事内容も私の経歴によく合ったものだったし、ロケーション的にあまり応募者がいないものだったので、あっさりとこの職に就くことができた。


「さて、そろそろ問題の地点にさしかかります。走査の方、よろしくお願いします。」

「了解しました。」


左前方、10時くらいの方向に、オルドリン・クレーターのリムが見えた。

そして、新しいクレーターはと・・・。


「ここでは、レーダーに特別なものは見当たらないようです。」

「新しいクレーター起源の落下物がここにないとしたら、クレーターの規模は大きくなさそうですね。」

「もうちょっと、いつものルートを進んでみます。」


タイヤの下で踏みしだかれる地面の音は一切聞こえてこない。

かわりに、地面の凹凸によって出来る振動がバスの床面から伝わってくる。

今のルートは、シャトルバスの往復でそれなりに均されているので、予期しない大きな振動が伝わってこない限り、ルートに変わったところがないということだ。


どれくらいの時間が経過しただろうか。

ふいに、レーダーに、複数の赤い輝点が灯り出した。


「前方、500メートルのところに、登録されていない岩石群があります。大きくはありませんが、複数個。多分、新しいクレーター由来のものでしょう。・・・右側、1時から2時の方向に、ルートを取り直すとよいと思います。」

「了解しました。」


暫くすると、左側11時の方向に、新しいクレーターのリムと思われるが視認できた。

ただ、思ったより低い。それに、直径もそれほどなさそうに見えた。

でも、それでも、リムの高さが低い故に、今後見落としてしまう可能性が高く、従って、クレーター本体のことが分かるまでは、これまでのルートは暫定変更する必要がある。

私は、次以降のシャトルバスが、今私達が取りつつある新しいルールを辿るよう、管制室に、「最優先」タグを付けて、暫定レポートを送信した。


運転手の彼女は、すっかり押し黙ってしまい、完全に運転に集中している。

おまけに、速度を少し落としたらしく、床面から伝わってくる振動の間隔が明らかに長くなった。


「ファンデーション到着は、10分くらい遅れることになりそうです。」


暫定の新しいルートは、以前一度もシャトルバスが通ったことがなかったようで、地面の凸凹がルートのものと比べると明らかに大きい。

それは、振動の振幅の大きさが変わったことでも分かる。


ファンデーションまでの到着まで、彼女も私も、各々の仕事に没頭していて、一度も口を開くことがなかった。


ファンデーションの施設は月地下につくられており、全くの民間施設だと聞いている。そして、ファンデーションは、セレーネに、植物性生鮮食品素材を供給している。月において、新鮮な野菜や果物が食べられるのは、ファンデーションのおかげである。ただ、不思議なことに、ファンデーションの植物性生鮮食品素材生産は、完全自動化されているわけではなく、人手による部分もあり、そして、それを担っているのが、老人といってもよい人々であることだ。


地球におけるファンデーションは、月や火星といった地球外だけでなく、地球上において、「どう考えても、農耕地に向かない」ところで、テクノロジーを駆使して、農業の可能性を開拓している。いまでは、砂漠であろうが、高山であろうが、永久凍土であろうが、その地に住む人々が生きていくために必要な量の、植物性食料の生産が可能になっている。


そのファンデーションが、本業とは別に、ここで月で、老人学・老人医学の臨床研究を行っていることを私が知ったのは、セレーネで働きはじめてからであった。


ファンデーションから、博物館行きであれ、セレーネ行きであれ、乗客があることはほとんどないが、あるとしたら、8割近くは「見た目、老人」である。「見た目」としたのは、彼らは明らかに健康体で、私達と、見た目の元気さに全く違いがないからだ。そして、彼らのうち、セレーネ行きのシャトルバスに乗るのは、ほとんどいない。彼らがシャトルバスに乗る時は、十中八九、博物館に行くときである。


ファンデーションのシャトルバス停留所に向かう、ランプの入り口が見えてきた。


「あれ!?え、この時間に乗客ですか?」


いつもはがらんとしている待合室に、複数の人影を認めたのは、彼女の方が先だった。

ぼんやりしていた私は、その言葉で、視点と考えの両焦点を合わせ直すと、前方を注視した。

(あ、本当だ。何なのだろう・・・)


乗客は全部で7人いた。

(7人も!)

そして、2人を除いては、老人といえる年格好の人々だった。

だが、私が意外に思ったのは、老人に見えない、残りの2人の方だった。

若者ではなかったが、2人とも年は40から50代のように見えた。


「このバス、7人乗れます?」

2人のうちの一人、50代らしい女性の方が尋ねてきた。


「ええ、一応」

運転手の彼女が応えた。

始発のこのバスは、一応観光バス仕様にはなっているが、始発に乗ってくる客はほとんどなく、大抵、私のようなレーダー走査士と運転手だけなので、10人乗りのマイクロバスにちょっと余裕がある程度の、小振りのものであった。


「良かった!ーーーさぁ、皆さん、乗車しましょう。」

その掛け声に続いて、7人の乗客が、順々に乗り込んできた。

最後に乗り込んだ、40代前半らしい男性が、

「よろしくお願いします!」

と言って、私とレーダーが陣取っている最前列の、空いているところに腰をおろした。


私の後方に座った人々は、隣席同士で一言二言言葉をかわすものの、概して静かだった。唯一、私の隣に座った男性だけが、明らかに初めて博物館に行くようで、彼の興奮が体から、目に見えない陽炎のごとく立ち昇っていた。


「私、ここのファンデーションに来たばかりで、月面観光と呼べるもの、これが初めてなのですよ!」

「そうなのですか。」

「実はね、今日も本当は観光ではないのですが、ファンデーションの雇用技術者向けのEVAが出来るのって、博物館しかなくて・・・。」

「あ、それって、1030に予定されているってやつ。。。」

「え?あー、そうかも。」


運転手の彼女が、わずかに身じろぎした。


「実は、私は、ここのファンデーションの研究者と一緒に共同研究している者で、高齢者のEVAに対する医学的反応性のデータをとるために、先々週だったかな、月に来たばかりなのですよ。そして、今日、5人のボランティアを連れて、共同研究者と一緒にフィールド・データを取りにきた、という次第なのです。」

「あー、それで、EVAスペシャリストが3人も必要なわけですね。」

運転手の彼女が、絶妙のタイミングで私達の会話に入り込んできた。


「そうそう、実際のEVAスペシャリスト達の行動データも、比較のために必要ですし。」

(と言うことは、VIP向けってわけではないんだ。。。)


彼のおしゃべりは、別に秘密でも何でもなく、故に、同乗している共同研究者からの咎めとかも全然なく、いつしかシャトルバスの前方に博物館の外観が見えてくるのと同じくして、彼のおしゃべりは唐突に止んだ。


「あれが、、、博物館?」

「そうです。」ーーー答えたのは、運転手の彼女。

「何だか・・・。」

彼はそれ以上述べる言葉を失っていた。


それはそうだろう。

この博物館の外見は、あまり「人工的」に見えない。

その上、まわりの風景に自然と溶け込んでしまいそうな外観の色合い。

月の表面では、生きて動くものなどない。全くの静寂と無音の世界。

そういう世界にぽつんと立つ、この博物館は、私にはそう、まるで、何かの「墓標」にしか見えない。




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