第30話 6-2

 さあて、ここからが大いに難儀するものと予想される。不幸に遭遇した金持ち独身男性というだけで数は少ないでしょうに、その不幸から私が男性を簡単に救えなければならない。ちょうどよい不幸を探さなくちゃ。

 さらに私自身の好みだって多少は反映させたいから、適当な相手を見つけるのは一苦労。加えて、過去に行った私は男性を助けたあと、その時代の“私”に会い、これこれこういうことがあったからうまくやりなさいと教えなくてはいけない。滞在できる三時間を、目一杯使うことになりそう。“私”に教えるのは、携帯電話を使えば、だいぶ短く済ませられるとは言え。

 ……でも、待って。これまで生きてきて、私、そういう電話が掛かってきたことないじゃない。自分そっくりの人から、そういうレクチャーを受けたこともない。本当に時間旅行して、過去をいじれるのなら、私の身に既にそれは起きているはずじゃないの? それとも、カードを手にした今の私が、行動を起こさない限り、いつまで経ってもなかったことに?

 ……考えても結論は出ない。とにかく、やってみないと分からないのだ。


 ~ ~ ~


 目を開くと、ついさっき思い描いた場所に、実際に立っていた。プレイランドになっている駅ビル屋上、その隅っこにある用具入れの横。他人に気付かれた様子はない。

 それにしても……驚いたというしかない。

 計画を立ててる間は、Sカードの能力を無理して信じるようにしていたけれど、実際に使ってみて、体感した今では、その素晴らしさに全身が震え出しそう。

 だけど、夢のような体験に感激している暇はない。私は前もって決めていた通り、行動を開始した。まず、ビルを出て、新聞などで年月日を確認する。これもSカードを手に念じた通りだ。

 次に、近くの別のビルを目指す。時間に余裕を見てはいても、やや足早になった。

 ターゲットにした男性は、春山重光はるやましげみつという外科医。私と同年齢だが、父親の病院の跡継ぎと目されており、前途洋々としている。

 が、今日の午後三時、遅めの昼食を摂るため、外出した矢先、不慮の事故で死亡する――ことになっているのを、私が助ける。事故というのは、改築中のビルに組まれた足場が突風で崩れ、彼の上に倒れかかってくるのだ。外傷は大したことないように見えたが、打ち所が悪くて死んでしまう、らしい。

 助け方については、少し考えただけで結論を下した。春山重光が事故現場を通り掛からないようにすればいい。問題のビルの手前で待ち構え、道を尋ねる風を装いって声を掛け、足止めすれば充分。その直後、崩れた足場を目の当たりにして、彼は私に感謝するはず。

 それをきっかけに、お付き合いに持ち込めたら、こっちのもの。うまく行く自信がある。

 私は顔写真を思い浮かべ、春山重光が来るのを待った。腕時計を一瞥して、時刻が全然合っていないと気付く。当たり前か。こっちに飛んできたからって、時計は私が元々いた空間の時間を刻んでいるんだから。

 バンドを緩め、腕時計を外し、どこに仕舞おうか考えていたら――目当ての彼が現れた。視界に入ってきた途端、すぐさま反応しそうになったけれども、焦りは禁物。初めから狙いを付けていたみたいに思われては、よくない。幸い、春山重光の足取りは、ゆったりとしている(尤も、あのテンポで歩いていたからこそ、運悪く、事故に遭うんだけど)。

 困り顔を作り、私はうろうろしながら、彼との距離を徐々に詰めていった。足場の崩れる様子を目撃できる、適度な位置になったことを機に、声を掛ける。

「あの、お急ぎのところをごめんなさい。道、教えていただけますか?」

 道に迷って困っているのに、満面の笑みではおかしいので、眉根を寄せつつ、それでも第一印象をよくしようと微笑も試みる。

「どちらに向かうところですか」

 春山重光は私をちらと見、ついで私の手元を見やった。地図かメモを持っているとでも思われたのかもしれない。そういう用意はしてこなかった。

「えっと――」

 口から出任せを言おうとした刹那、風が強く吹く。ぎぎぎっと嫌な軋みが聞こえ、ほとんど間を置かずにビル工事の足場が崩れ出す。スローモーションのように映ったけれど、実際には数秒の出来事だったろう。金属がアスファルトやコンクリートとぶつかる音が一度に起き、塊になって耳に届いた、そんな気がする。

 私はお芝居でも何でもなく、唖然としていた。表情もそのようになっていたに違いない。同じく目撃したはずの春山重光の方が冷静で、私の顔を見ると、「大丈夫ですか?」と心配げに聞いてきたほど。

「え、ええ。あ、あの、は――」

 計画を進めようと、焦る気持ちが、彼の名を呼びそうになる。慌てて飲み込んだ。

「あなたも危なかったかも。あちらに向かっていたようでしたけれど?」

「言われてみると、確かに」

 春山重光は歯を覗かせ、笑った。なかなか感じのよい笑顔が、私のやる気をさらにアップさせる。

 彼は高そうな腕時計で時間を確認してから、改めて私に聞いてきた。

「それで、どちらに? もしあちらの方角なら、しばらく通れないようだから、遠回りすることになるかもしれませんね」


 ~ ~ ~


 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る