第29話 6-1

 Sカードなる物を手に入れたのは、偶然としか言えない。

 会社からの帰途、その老人とすれ違った。片手に何か持ち、電話しながら歩いていた。よほど通話に意識が行っていたのか、私とすれ違った直後、赤信号に気付かず、車道に踏み出し、車にはねられた。後に聞いたところだと、病院に救急搬送されるも、亡くなったという。

 この事故のとき、私の足下には、一枚のカードがはね飛ばされて来た。恐らく、老人が手にしていた物。白地に緑色のSがデザインされた、手のひらサイズのカードだった。紙かプラスチック製と思ったが、拾ってみると、どことなく感触が違う。何か惹かれるものを感じたのか知らないが、そのままポケットに入れてしまっていた。

 Sと印刷されたのと反対側に、使用説明っぽい文章があるのを見つけたのは、家に帰って落ち着いたあとのこと。



1.本品の使用者欄に名前を当人が記入することで、使用者が決定される。使

 用できるのは、名前の当人のみとする。使用者変更はいかなる形でも不可


2.本品の使用は、希望する行き先と時間を明確に思い浮かべながら、「スキ

 ップ」と発声し、本品を足下に放ることでなる(本品は移動した先に着いて

 行きます)


3.本品の移動可能範囲は、使用者ごとに条件が付く。つまり、使用者の現に

 存在する時点より未来、過去の方向にかかわらず、使用者が生存している時

 間に限る。これを超えて使用した場合、使用者の生命に関わる


4.本品により移動した先での滞在時間は、三時間を上限とする。これを超え

 て滞在した場合、弊社は使用者の身体の安全及び元の時点への帰還を保証し

 ない


5.本品により移動後、元の時点に戻るに際しては、直行に限る(換言すれば、

 寄り道をしてはならない。これに反した場合、元の時点に戻れません)。帰

 路に関しては、「Rスキップ」と発声して本品を足下に放るだけでなる


6.本品は使用限度を六回とする(使用後は、単なるカードと同等になります)


7.Sカード製品全般並びにスキップ技術について、いかなる形でも口外して

 はならない。これに反した場合、使用停止及び本品の返品に加え、相応の賠

 償を請求する権利を弊社は有する


8.同じ時空へ重ねて行かれることは、なるべくお避けください。これに反し

 た場合、弊社は全ての安全を保証しかねます


9.万が一、本品に不具合が生じた場合、本品を手にしたまま、下記の連絡先

 へお知らせください



 一通り読んで内容を頭に入れてから、使用者欄とやらを探してみると、それらしき横長の升目があった。空欄だった。

 あの老人、字がよく見えなかったのかなあ。だから名前を書き込まないまま使おうとして、うまく行かず、電話で問い合わせを……なんて流れを想像してから、馬鹿らしくなる。

 こんな夢みたいなカード、実際に存在するはずない。時間旅行ができるってことでしょう? あり得ない。

 そういう風に否定しつつも、手はしっかりとカードを握っていた。試すだけなら害はない。誰かに見られていたら恥ずかしいけれども、今は部屋に一人。全然、気にする必要なし。

 私は名前を記入した。長辺愛美おさべまなみ

 それから適当な場所と時間を思い浮かべ、試すつもりだった。

 でも、もし本当に使える物だったら……説明の書き方から判断して、多分、行って帰ってですでに二回だろうから、実質、三度の時間旅行で終わり。そう考えたら、一回たりとも無駄に消費したくなくなった。

 時間旅行ができるとして、何がしたいかっていうと、色々ある。けれど、ぱっと思い付いて、なおかつあとに形ある物が残るのは、お金儲けじゃない? 宝くじとか馬券とか株とか。

 その中では、競馬が一番手軽に思えた。宝くじは当たりが分かっても、その番号がどこで売られているのか、どうやって探り当てればいいのか。株は手続きが面倒で、三時間じゃ無理っぽい? 今この時代に取引開始の手続きを済ませて、それから未来に行って値上がりする銘柄を知り、戻ってからその株を買う、という風にやればお金儲けにはなるけれど、事前に手間暇掛けた分、カードがいんちきだったらがっくりと来そう。

 銀行の金庫内に入り込み、お金を持って帰るというのは、完全に犯罪で、さすがに気がとがめる。第一、私一人で運べるお金の量なんて、たかがしれてる。

 と、ここまで考えて、金持ちの恋人か結婚相手になれば、もっと確実に人生を変えられると思い当たった。私が絶世の美女なら、チャンスさえあれば、相手の心を掴むことも容易いかもしれない。だが、生憎と現実はそうじゃない。だいたい、絶世の美女なら、今みたいな平凡な人生を送ってない。

 三十路を目の前にして、逆転を狙うには、このカードに頼ってみるのも手。だったら、自分のお金儲けなんて後回しにして、三度のチャンス全てを注ぎ込むつもりにならなくては。もちろん、一度で成功すればラッキーだけれど、過去に旅したからって若返る訳でもなし、ここは現実的な見通しで行こうと思う。

 これからじっくり作戦を練る。まずは、金持ちの独身男性で、最近、不幸に遭遇した人のリストをこしらえる。多くはないだろうけど、何人かいるはず。不慮の事故か何かで、死んでしまった人もいるかもしれない。そんな人を私が過去に行って助ける。命を救われたら、相手は私に感謝するに違いない。人並みな容姿の私にとって、それは大きなきっかけになる。


 続く

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