第28話 5-5

 まずい。もうこの部屋からは出られない。せめて一晩経って、雪が解けたあとなら外に出るというのもありだが、あと二十四時間も遺体と一緒にいるのは、別の不安――誰かが訪問してくるんじゃないか――を引き起こす。この時期、例年なら友達が来ることはよくあった。四年生だと事情が違ってくるだろうが、懸念は残る。

 仕方がない、Sカードを使うか。

 使うとしたら、今のこの最悪な状況から抜け出るのにはどうするのが最適か。

 僕が良知を殺してしまわぬよう、止めに行く? だがそんなことをしたら逆に良知の手によって、僕が殺されてしまうかもしれない。

 過去に遡り、僕自身が逃れやすい状況下で良知を殺すか? だけど僕はこいつの普段の行動を知らない。自宅の場所ぐらいならちょっと調べれば分かるだろうけど。良知が一人でいる時間帯を狙ってスキップをし、素早く殺害して戻って来る……一見、悪くないアイディアに思えた。しかし、よく考えるとこれでは普通に殺したのと同じだ。僕自身の痕跡を証拠として残してしまう恐れがある。

 いっそ、自殺に見せ掛ければいいのではないか。過去に行って在宅中の奴を殺害後、部屋のありとあらゆる鍵を内側から掛けて、Rスキップで戻ればいい。複雑なトリックなしに完璧な密室状態を作り出せる。殺し方に注意さえすれば、自殺だと判断されるはず……こちらの方が魅力的な計画に感じられた。

 ふっ、と殺害行為を厭わない感覚に陥っている自分を見付けて、驚いた。すでに一度、良知を死なせているのが大きいのかもしれない。それにこいつを排除しない限り、僕のこれからの人生に安寧は訪れないと直感した。何としてでも取り除かなければいけない。

 いやしかし、殺すのと死なせてしまったのとでは大きな違いがあるんじゃないか? 過失致死もしくは正当防衛(過剰防衛)と殺人。本当に僕は過去に行って、良知を殺せる?

 急に母親の顔が脳裏に浮かんだ。母は一度結婚するも一緒に暮らし始めて反りが合わないと分かり、程なくして別れたと聞いている。僕を産んだときは独り身だった。自宅で急に産気づき、そのまま出産したのだ。

 だから僕は父親の顔を知らない一方、女手一つで育ててくれた母には感謝している(尤も、養育費名目でかなりのお金を受け取ってはいるようだけど)。母を悲しませたくない。少なくとも意図的に殺意を持って他人を死なせるのはだめではないか。

 怖じ気づいてしまった自分に、また驚かされる。一度こうなると、再び殺意を高めるのは厳しい。

 だからと言って、貴重なスキップを使って良知の死なないルートを作ってやるつもりは毛頭ない。

 心の折り合いを付けるには……今ここで死んでいる良知を、Sカードを使うことでうまく処理すればいいのだ。

 Sカードの使用説明書きには、時間旅行できる者は名前を記入した一人だけとある。良知が生きていれば一人とカウントされ、一緒に連れて行くことはできまい。だけれども、人間でも死ねば物体と同じ。荷物として運べる。こいつを遺棄しに、タイムトラベルだ。

 過去と未来、どちらに捨ててくるのがよいか。

 過去に向かうのは、自分の誕生日以降なら安全に行けるという保証がある。遺体が早めに見付かれば、その当時まだ年端も行かぬ子供である僕に容疑が向く心配は絶対にない。

 未来へのタイムトラベルは、自分が何歳まで生きるのか分からないためリスクはある。また、良知は行方不明扱いになるだろうけれども、遺体が見付かった場合、死んだ時期と遺体の推定年齢との辻褄が合わなくなり、証拠として検死結果が無視される恐れがありそうだ。すると僕には何のメリットもないことになる。いや、メリットはあるにはある。遺棄してきたその日が来るまでは、遺体発見の恐れは皆無。びくびくせずに生きていける。だがそれは遠い過去に遺棄して、すぐに遺体が発見された場合と大差はない。やはり過去の方が圧倒的によい。

 どうせなら目一杯、昔の方がいいだろう。僕の誕生日にしようか。しかしそれは縁起が悪い気がしないでもない。当日、僕が何時にこの世に生を受けたのかもはっきりとは知らないし。ここは安全策を取って、誕生日の翌日にしよう。昼間だと目立つから夜遅く、どこかの河川敷にでも放置すれば翌朝には誰かが発見してくれる。それは存在していない男の死体。どんな名刑事であっても犯人は分かるまい。


 ~ ~ ~


 “彼”は知らなかった、自分自身の本当の誕生日がいつなのかを。

 “彼”の母は、“彼”が生まれた日よりも四日早い日付で、出生届を出していた。

 何故、彼女はそんなことを?

 法律で、離婚後三百日以内に生まれた子供は前夫との間にできたものと見なすとされている。母親は子を産むずっと前からそのことを意識しており、三百日を超えてまだ生まれない場合に備え、対策を講じていた。

 実際、“彼”が生まれたのは、彼女の離婚後三百三日目だった。

 母親はスムーズに養育費を受け取るため、ちょっとだけ嘘をついた。おかげで出生証明書を出してもらうのに大変手間が掛かったし、何よりも一人での出産は激烈な痛みを伴い、また出産後数日は病院を頼れない辛さも味わった。

 それだけの見返りはあった。前の夫は裕福な家系の生まれだったからか、気前よく出してくれたのである。

 その小細工のおかげで、息子がどんな運命を迎えるのかも知らずに。


――エピソードの5、終わり

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