短編集(的なものになるといいね!)

逆三角形型物質不可逆的移動装置

メリーさんと私

過度の残業のおかげで実に3日ぶりの帰宅。3日間死なずによく耐えたものだ。ここまでくると腹が減ったのか疲れているのかわからなくなる。


大学生の頃だろうか、人間は生活の中で1日に20回笑顔になるといった内容の文章を読んだ。つまり俺はすでに3年間ほど人間じゃない。


見たことのない番号からの電話が鳴ったのは家に着いてすぐ。会社近くの最寄り駅からだったから、日付を跨いだ頃だっただろうか。

久しぶりの休息への期待でフラフラになっていた中、もしも仕事にミスがあったならいけないと思いすぐに電話に出た。

耳の奥に響いたのは聞きなれない少女の声だった。

「わたし、メリーさん。いま四ツ谷駅にいるの。」

それだけ発すると電話が切れた。

「……イタズラか。」

ああ、本当にイラつく。昔の都市伝説を模したイタズラだ。


とにかく、まずは飯だ。食って寝よう。コンビニ弁当とカップみそ汁。690円の贅沢な晩餐だ。電子レンジをセットし、やかんに火をかける。

そんな時。また、電話が鳴った。

またか。

「わたし、メリーさん。いま新宿駅にいるの。」

柔らかな少女の声とは対極に、体を戦慄が走った。

近ずいている。しかも丸ノ内線で。

「ま…まさかな」

自分に言い聞かせるように聞く相手もいないスマホに向かい呟く。「そんなはずは無い、相手はただのイタズラだ。可能性は二つに一つ、上りか下りかだ。こっちに来たのはたまたま。そうだ、そうに違いない。」と。

しかし、忘れようとすればするほど脳内で少女の声が駆け回る。繊細で、下手に触ると壊れてしまいそうな声。その可憐な声で再生される海外訛りの日本語。子供のイタズラにしてはクオリティが高い。そもそも子供がこんな時間にイタズラに電話をかけるか?かと言って大人がこんな事をしてメリットがあるわけが無い。

……まさか…本当に?


背中を冷たい汗がつたう。

無視して湧いたお湯をカップみそ汁に注ぐと、味噌の匂いが鼻先を漂った。やっぱりこれだ。タイミング良く電子レンジが軽快なリズムともに弁当が温まったことを知らせた。

そして携帯は軽快な音を鳴らした。

震える手で、スマホをドラックしてしまうのは怖いもの見たさか。いつまでたっても俺は阿呆だ。

「わたし、メリーさん。いま中野しゃっ」

「いまなんて?」

つい聞き返してしまった。だって噛んだ。

都市伝説がセリフ噛んだ。

「忘れて?」

「…なんのことだ?」

するとスピーカーからは少女の鳴き声が流れてきた。

「忘れでよぉぉぉ!上司に怒られじゃうよおぉ!」

衝撃の事実。メリーさんには上司がいる。

なんだか少し可哀想になってきた。

「分かったよ、忘れる。」

「ひぐっ…ぐずっ…ほんとぉ?」

「それより乗り換え、気をつけろよ?」

「?なんの事?」

マジか。

「俺ん家方南町だから。中野坂上で乗り換えないと。」

「へっ?嘘っ?」

「ホント。」

「通過しちゃったよ?」

「終電だったっけ?」

「うん。」

マジか

「まあ…あれだ…」

「?」

「ネバギバ!」

「おっ…おおぉ……」

「お?」

「おーこーらーれーるー!」


それだけ伝えると電話が切れたが、直後フリーメールが送られてきた。


あした。

がんばる。


だそうだ。


「……………」


彼女がうちに到着したら俺を呪い殺すのだろうか?


それよりも

都市伝説なのに移動手段に丸ノ内線を使う彼女は、

大切な電話で噛んでしまう彼女は、

上司に叱られることを気にする彼女は、

乗り換えを忘れてしまう彼女は、

最後にはアイデンティティの電話を捨てメールを送って来てしまう彼女は、

うちに到着できた時、一体どんな顔をして笑うのだろうか?


あした。

がんばる。


脳内、少女の声でメールの短い文章が頭の中で反響する。

あした、か。

「俺も頑張る」

さあ、メシだ。シャワーを浴びて寝よう。起きたならスーツを着て明日を頑張ることにしよう。

きっと会いに来るはずの都市伝説を心待ちに。


「何考えてんだか。」

やはりいつまでたっても俺は阿呆だ。


ふと外に目を向ける。窓ガラスに反射して映る自分を見て、つい目を見張った。

どうやら、俺は 3年ぶりに人間に戻ることができたらしい。

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