第14話 追悼

 十月の半ば、浩一は昭一と共に花岡山を訪ねていた。

 僅かに苔のした墓石を前に軽く手を合わせてから、ゆっくりと水をかける二人の表情はひどく穏やかなものであった。


「芳江さんよぉ、僕もそう遠くねぇうちにそっちに行くから、暫く辛抱してくれ」


 御影石を撫でる褐色の手を浩一は静かに見据える。

 水に僅かに濡れた手は艶を得、深く刻まれた皺に印影を与える。


「それにしても、司書ってのは案外、寛大に済ませるんだなぁ。僕はてっきり、皆手打ちにすると思ってたんだが」

「なぁに、あの若い奴らは使われてただけだ。それも、心が参ったところをなぁ」


 あの後「祈祷の由人」の一味六人は浩一に取り調べを受けてから、技令を用いる上で必要な素養を封印された上で野に放たれた。

 技令士としての死罪ともいえる処置ではあるが、肉体の一部を損なうこともなければ苦役などを課されることもない処置というのは比較的にしても穏便な処置であった。

 加えて、浩一はその六人全てを知り合いに紹介し、頼み込んで何とかその勤め先を確保している。

 厳しい時期ではあったものの、人手の揃わぬところはあるもので、浩一が責めにかけた丈二も還暦を過ぎた店主の営む食堂兼居酒屋で働くこととなった。


「前に勤めていたのが親の病気で故郷に帰るもんで辞めてから困ってたんだ。こんなご時世だから保証はできないが、うちに来たからには息子も同じだ。店より俺より守ってやるさ」


 連れてこられた丈二は困惑しながらの働き初めであったが、そこに手抜かりなどなく仕事は実直そのものであるという。


「それにしたって、曲がりなりにも魔王誕生の片棒を担ごうとしたんだ。こんなに軽く済むなんて聞いたことがねぇ」

「じっちゃんは許せねぇか」

「いや。芳江さんも事を荒立てるのは好まねぇさ、あの性格だったからなぁ。でも、僕の知ってる司書ってのはもっと果断で、残忍で、容赦のねぇもんだったからな。驚いてんだ」


 据えられた真新しい菊花を前に浩一が僅かに声を上げて笑う。

 足元を三毛猫が音も立てずにのんびりと歩いていた。


生業なりわいってぇのは、うめぇ言い回しだよなぁ、じっちゃん」

「む?」

「ただ飯が食える、金が入るってだけの生活じゃあ得られねぇモンが働きゃ手に入る。こんな暗いご時世にそれすら失っちまったら、俺でもたまんねぇさ」

「なるほどなぁ、そうかもしれねぇ」

「お天道様に顔向けできるように生きるってのは、それだけ難しいこった。俺もいつ彼岸に行っちまうかも分からねぇ。このご時世じゃなけりゃあ、あの丈二って奴も俺の責めに遭うことも無かったろうによ」


 徐に少し腰を曲げた浩一は、突き刺さったままとなっている線香の残りを引き抜き、丁寧に均していく。

 剥き出しとなっている右腕に太く青い筋が走る。

 それを眺める昭一の目に恍惚とした光が灯った。


「ところでじっちゃん、この芳江さんはどんな方だったんだ」

「そうだなぁ、とにかく明るくて気立てのいい人だったよ。店に入ってくるだけで、青空が広がるようだった。丁度、今のこの透き通るような高い、青空がな」


 雲一つない晴天を昭一が仰ぐ。

 その横顔から覗く穏やかに遠くを見つめる目は、ただそこに在る美しいものを眺めるだけではなく、その先にあるものを求めるかのように浩一には見えた。

 眼下に広がる街並みは無言の哀悼を示し、その手前を「みずほ」の車列が横切る。

 やがて新たな線香を焚いた浩一は昭一を促し、並んで手を合わせる。

 「倉間家ノ墓」と深く刻まれたところへ涼やかな風が、一つ吹き込んだ。




 その週の末、伸介は美夏を乗せて山間の道を進んでいたのであるが、いつもと違いやや浮かぬ顔をしていた。

 秋晴れの空に輝く美夏の姿は変わらぬものの、その後ろには浩一の姿が在り、豪快な笑い声が轟く度に思わず背筋の伸びる思いがする。

 開け放った窓から吹き込む風に乗って秋の香りが車内を満たし、時に広がる稲穂の黄金に美夏が声を上げ、浩一がそれに応える。

 それに堪らず、伸介が口をついた。


「大将、何で今日はついてきたんですか?」

「山都町に行くって言ってたからな。ついでに通潤橋あたりまで乗せてってもらっただけだ。ほら、車で行くと飲めねぇだろ?」

「それなら、バスでもよかったじゃないですか」

「冷てぇこと言うな、伸介よ。帰りはバスで帰るから、それまでもう少し付き合ってくれ」

「そうそう。伸介君もおじさんのお願いなんだから、これくらいいいじゃん」


 伸介から漏れ出た溜息に二人は笑い、車は構うことなく急勾配に差し掛かる。


「それよりも、俺を降ろした後、昼の一時前には通潤橋に戻って来いよ」

「へーい。でも、何のためですか、大将。帰りはバスなんですよね」

「まあ、心配すんな。悪いようにはならねぇから、な」


 伸介の問いかけにそれだけ答えた浩一は、空を覗くようにして見上げ、ただただ笑うだけであった。

 南中までまだ少し時間がある。

 紅葉を待ち侘びるような草木が囁き合い、一つだけ浮かんだ雲がそれを愉し気に眺めていた。

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