24.「死が誘うのは己か、否か」

 空から降る臓物の雨を切り裂けば、半壊した肉塊から脚が生えた。

 地面を這いずり回るそれが更なる形態変化を起こそうとするのを踏み潰して止める。


「篠塚、降って来てる奴、放っておくとたぶん天使になるから潰して」

「簡単に言うなぁ!!」

 

 普段通りに指示を出すと絶叫が返って来た、雄大は振り返り紗世の様子を確認する。


 どうやら彼女は細かく刻んだ端から逃げ回る臓物の群れに翻弄されているらしい。

 紗世の得意とする刺突は敵を細かく散らしてしまう為、相性が良くないようだ。


 周辺の荒野はもう何処が元の地面なんだか分からないような有様だった。

 血泥に溶けた臓物だらけで駆け抜けるのも一苦労だなと雄大は思う。


 圏外区域といえど、ここまで環境が悪化するのは珍しいのではないか。

 腐臭で舌まで痺れている、血煙で視界が悪い足場も悪い、それに加えて。


 『戦闘行為を停止せよ』


 響く度に動きを鈍らせてくる、聖王の声。

 声が聞こえた瞬間に痛みと重圧が来ると分かっていても、身体は縛られる。

 思うように行動出来ないまま、攻めにも守りにも転じられない、ひたすら駆け回って臓物どもを斬り落とすので精一杯だ。


 ふたりが今生きているのは、神の遊び半分の気まぐれによるもの。

 直立したまま地上を眺める一つ目の巨神は、騎士が逃げ惑う様を見て楽しんでいる。


 紗世を助ける為に走った雄大は、飛びかかってきた腸を斬り落とす。

 踏み潰した分だけ血が弾け、走り回る臓物の塊はそうしてやっと動きを止めた。


 何体か斬って潰して数を減らせば紗世も落ち着いてきたようだ、斬った端から増えるだけで対応の難しい相手ではない。

 だが、いつまでもちょこまかと這いずる肉塊を追いかけているわけにもいかない。


 ……主導権を握っているのはアレの方だ、何時ひっくり返されるか分からない盤上で踊ることほど怖いものはない。


 雄大は巨神を見上げた、微笑みを浮かべ此方を見下ろす異形の姿を。


 ──言葉で表すなら、一応は人型だ。

 巨大さのあまり地上からでは規模が測り難い、とにかく大きいなぁというのが雄大のアレに対する感想だった。


 巨神はだらりと下げた長い両腕で己の足先をいじくっている。

 体毛の無いつるりとした皮膚は真っ黒で、顔にあるのは単眼と赤い舌が覗く口のみ。


 体の割に細すぎる二足で棒立ちし、生暖かな息を吐くアレの頭上には、臓物と血を垂れ流す裂け目があった。


 あの裂かれた空こそ一つ目の巨神が用いる神技の一端に違いない。

 腑どもは彼処から召喚されている。


「まず、空を閉じる。

 そうしないと近付けないからね」

「……って言われてもどう……?

 と、閉じる?」


 紗世が意味わかんないと呟いた。

 もちろん雄大も裂かれた空の塞ぎ方なんて知らない。


「その方法を考えながら戦う」

「成り行き任せ……」


 喋っている間にも臓物どもとの斬り合いは続いていた。


 聖王の声も止むことなく、身体の動きを阻害される度、雄大は違和感を募らせる。


 『戦闘行為を停止せよ』


 ……これが本当に王石柱レムナントからの、原初の聖王による直接的な命令であるならば、抗うことなど出来ないはずだ。


 実際、市街地で同じ言葉を聞いた時、雄大は膝をつくしかなかったのだから。

 しかし今聞こえてくるこれは痛みに耐え、重圧に耐えれば駆けるくらいは出来るもの。


 この違いは何なのだろうか。

 神だけでなく聖王まで気まぐれを起こしているとか。

 色々想像をしてみるが何にせよ、転がされる側としてはたまったものではないと雄大は考える。


 這いずり回る臓物は増える一方だ、此方を見つめるアレもいつ動き出すか分からない。

 現状は進み続け考える余裕を削ってくる、冷静な思考が出来なくなれば後は本能任せに動くしかない、時間が経てば経つほど生存率は下がっていく。


 雄大が最優先だと思うのは部下の生存だ……退かせた部隊はライオスまで辿り着けただろうか。

 このまま状況が悪化して、勝つ目処が立たないなら紗世も退かせるべきだろう、逃してやる余裕があるうちに。


 自分も彼女と共に逃げるという選択肢は彼の頭の中にはない。

 神の前に立ったのなら殺して帰る、それが第一階級の……聖王候補の義務だ。



 黙ったまま微笑んで、瞬き一つせずふたりを見下ろしていた巨神は唐突に動いた。


 長すぎる右腕で蠢く臓物を拾い上げ、それを捕食する。

 噛み潰された肉が跳ね、口の端から血が溢れた。

 満足いくまで臓物を喰らった巨神は頭上の裂け目を見上げてにっこりと微笑む。

 まるで恋人と目を合わせた瞬間のように。


 そうして、前進を開始する。



 約五歩分、雄大と紗世がどうしても詰められなかった距離を巨神が歩き始める。


 続くように空の裂け目もまた移動を始めた。

 頭上に広がる災厄ごと、巨神はふたりの元へと歩み寄る。


 『アハァ』



「うわ……」


 血煙の向こうから少しずつ鮮明になっていく巨神の姿を見上げて、紗世が呻いた。


 迫り来るのは生き物だ、人類の天敵という曖昧な枠に嵌められた存在ではなく。

 現実に存在し呼吸をしている、生々しい血の通った生き物が、自分達を殺しに来る。


 何度も神の脅威に晒されたことはあるのに、今まで戦ってきた相手とは比べ物にならないような異常さに紗世は震えていた。

 雄大は常と変わらず、巨神の瞳を見据え続けている、血泥の上で転げ回っていた臓物たちが一斉に親の元へと走り出した。


 巨神の進行速度は決して速くない、今やっと三歩目、けれど確実な歩みだ。 

 空の裂け目が近付くほど血の雨は強くなり、ふたりの肌を焼く。

 走り回る臓物たちを巨神は喰い散らかしている。


 生きる為に何をするべきなのか、決断が必要だった。

 血泥に溶け崩れそうな荒野の上で騎士たちは考える。

 アレはどうやって此方を殺そうとしているのか、惨たらしく死なない為には何が要るのか。


「回避するにも当てに行くにも、聖王のせいで簡単には動けませんよ。

 ほんと何考えているんだか……」

「憶測なんだけど」


 苛立ちの混じる紗世の声を雄大は遮った。

 響き続ける声と押し潰さんとする重圧、息をするのも疲れる中で彼はずっと考えていたことを言う。


「これは王石柱レムナントからの命令じゃないと思う」


 雄大の言っている意味が分からず紗世は唖然とした。

 聞こえてくるのは聖王の声に間違いない。

 騎士を纏めて支配できる存在なんて原初の騎士王以外あり得ないというのに、彼はそうじゃないと言う。


「さっき聖王騎士と交戦になって、そこで王石柱レムナントから直接命令を受けたんだけど」

「どういう状況ですかそれ……」

「受けたんだけど、その時も同じ声が聞こえた。『戦闘行為を停止せよ』って。

 次の瞬間には抗う暇もなく指一本動かせなくなった、指一本だよ?」


 雄大は細かい説明を省きながら話した。

 確かに今も聖王の声によって身体の動作は阻害されている。

 本来ならば無傷で突破することすら出来ただろう戦いなのに、雄大は傷だらけで、紗世も同じような有様だ。


 ふたりとも本来の性能、その半分も発揮出来ていない。

 このままでは簡単に死んでしまうだろう、そんな現状であるが。


「今の俺たちは立って、動けている。

 少なくとも身体の自由を全て奪えるほどの強制力を持った命令じゃないんだ、これ」


 迫る巨神の威光から、一切目を逸らさないまま雄大は言った。

 紗世は何と返事をしたら良いか分からない、雄大の言う事が事実なのだとしたら響き続けるこの声の正体はなんだというのか。


 今、四歩目。


「だったら誰が……ううん、こんなことを」

「分からない、だから確かめに行く。

 アレを倒してライオスに帰る」


 倒す、と言いきられてしまうと紗世はもう笑うしかない。

 無謀だ無茶だ、幾らでも言える言葉はあったけど、言ったところで雄大には通用しないと分かりきっている。


「篠塚は逃げても良い、俺がアレを殺せば最終的に全員敵前逃亡じゃなくなる」

「嫌ですよ、お姉さまの分まで桐谷先輩の活躍を見守るって決めてるんです、私。

 そうしなきゃ後で彼女に聞かせてあげられないじゃない」


 返り血塗れで傷だらけ。

 血溜まりの中心に立っているとは思えないほど彼の姿は清かった。


 逆境に立たされるほど、無茶を押し通せば通した分だけ、灰の瞳は輝きを増す。

 見据えるのは斬るべき対象のみ。


 死んでいった誰もが雄大に託し、人々が彼に祈る理由が、紗世には分かる。

 きっと、今の彼のような姿をしていたのだ、原初の聖王というひとは。


「いつか伝説になりますよ、あなたは」


 楽しげな後輩の笑い声を聞いて、死ぬかもしれないのに呑気だなと雄大は微笑んだ。


 五歩目が、踏まれる。



「じゃ、最初は私から。

 面倒だけどお姉さまみたいに頑張りますよ」

 

 ひらひらと手を振ってから、紗世が前へと飛び出した。

 軽やかに舞う少女の体、速さを極めた剣技の一つが笑う万能に向けて炸裂する。


 巨神の右手が破裂し鮮血が噴き出した、地上に向かって広げられたその掌に細剣を突き立て、紗世は満面の笑みを浮かべる。


 巨神は今やっと痛みに気付いたらしい、顔を歪めて右腕をのろのろと挙げようとした。


 紗世は刺さった細剣ごと黒い皮膚を駆け上る、掌から肘へ中心から腕を裂く。

 硬い関節に行き当たり、紗世は宙へと身を投げつつも刃を薙いだ。


「こうでしょ!」


 スパッ、と切れ味の良すぎる細剣が思った通りに巨神の右肘から下を落とす。

 肉体強化を重ねた紗世の体は、今ならどんなものでも切断するだろう。


 ……神と騎士の戦いは、どちらの神技がより強く、現実を歪められるかで決まるもの。

 紗世の深層から溢れ出る力の方が巨神よりも全盛の様だ、今のところは。


 紗世は一度地上へと降りる、着地の衝撃でぐずぐずの地表が陥没した。

 次はと考えるより先に体は走り出す。


「とりあえず腕とか足とか落とすので、先輩は決定打になりそうな所を探って下さい!」


 支援に徹することを表明した紗世の呼び掛けに返答は無かった。

 代わりに聞こえて来たのは絶叫だ。


 『アァアア!!!』


 頭上から降ってくる、苛立ちを隠さない巨神の雄叫び。

 耳をつん裂く騒音に紗世は目を丸くした、見上げた先で血塗れの純白が翻る。


「うん、大体分かった」


 ……だらりと垂れた左腕を足場に、肩の上まで一気に駆け抜けた雄大は跳躍する。

 彼は叫び散らして開いた巨神の大口の中へと、愛剣を突き込んだ。



 巨神はまだ動く左手で口元にぶら下がる騎士を払い除けようとした。

 舌に剣が刺さっている、片手では上手く小さい騎士を捕まえられない。

 もたついているうちに足元でちょこまか動いている奴に左腕まで裂かれてしまう。


 両腕が斬り裂かれ切断されて使い物にならなくなった、自己再生をする間もなく斬られて裂かれてもう散々だ。


 一つ目の巨神は決して動きが速くない。

 だからすばしっこく動き回る騎士達を捕まえるのは難しく、苛々する。



 『ぅ、ううウウウウゥッ!!』


 唸る巨神の顎に足を掛けた雄大は、更に奥へと剣先を突き刺し直した。

 酷い臭いに顔を顰めながら、臓物を飴のように転がす舌を裂く。


 痛みに悶えた巨神は激しく頭を左右に振ったが……その一つしかない瞳だけは涙を流しながらも決して閉じない。

 それを確かめた雄大は、愛剣を取っ掛かりにして巨神の顔面の上へと這い上がる。


 ──空から降った肉塊から羽と口が生え、雄大を襲った。

 四方八方から食いちぎられながらも彼は表情を変えない。


 愛剣を、今度は鼻面に突き立てる。

 上へ上へと雄大は動く。


「ずっと思っていたんだけど」


 巨神が痛みに顔を仰け反らせてくれたおかげで随分と登りやすくなった。

 やがて下瞼の縁を鷲掴み、雄大は大きな瞳を覗き込む。


 涙を流す水晶体の奥には、己が映っている。


「これだけ目立つ瞳なんだもの、潰してくれってことだろう?」



 仄白く輝く目をした血塗れの騎士は、神や天使に語りかける事に意味などないと知っていながら、首を傾げて巨神に問うた。


 彼の左手が瞳を撫でる、柔らかくて温かい、一つきりの濡れた眼球を撫で摩る。

 涙を流しながら巨神は血の泡を吹いた。



 ──足元では今も素早くて小さいのが走り回っていて、今度は右膝から下が無くなった。

 支えを失った巨体が地面に崩れ落ちる、それでも騎士は瞳から手を離さずにいる。


 滲んだ視界の中で、巨神は己が開いた空の裂け目を見上げた。

 大きな空の瞳、愛しい死だけを映す瞳と見つめ合う、巨神にとっての一等幸せな瞬間。


 それを遮る、悍ましい灰色が見えた。



 ──神と騎士の戦いはどちらの神技がより強く、現実を歪められるかで勝敗が決まる。


 生まれ持った神技で神が持つ万能を上回れるかが全てであり、技を磨いただけでは神は殺せない。

 才能があるから勝つのではない、体が大きいから勝つのではない、力が強いから勝つのではない。


 相手を殺せる神秘であると、箱庭から認められた方が勝つ。

 深層と深層がぶつかり合い、先に壊れた方が死ぬ。


 ……現実を歪ませる力を持つ万能同士。

 不死身にすらなれる存在同士で殺し合うのだから、複雑な要素が絡み合うのは当然だけど、本質はもっと単純だ。

 どんな要因であろうと、状況だろうと関係なく。


 「俺はお前を殺して、ライオスに帰る」


 先に方から、死ぬ。



 ──灰色には一切の恐れがなく、どれだけ探しても死が見当たらない。

 臓物の群れに啄まれても、口から血を吐きながらもブレずに此方を見つめてくる。


 一つ目の巨神は正しく彼の事を認識した。

 この騎士は絶対に諦めない、絶望しない、今まで殺せなかった神はいないのだろう、この色にはあまりにも揺らぎがない。


 対象を殺すまで動き続ける、怪物の瞳だ。


 『ァアァアッ……ああああ!!!』


 裂けた舌で巨神は何かを捲し立てた。

 騎士は不思議そうな顔をして見下ろしてくる、その左手は角膜に触れている。


 騎士は右手で剣を振り翳し、何の躊躇いもなく巨神の瞳へと振り下ろした。


 



 ギチリ、ギチリ、ギチリ。ギチり。



「そうか、そう簡単にはいかないか」



 何度も振り下ろした愛剣の柄を握り締め、雄大は溜息を吐く。

 体中、食い潰されて穴だらけだ、さっさと終わらせたいところなのだけれど。


 巨神は瞼を下ろし、剣先から瞳を守っていた、なるほど正しい使い方だ、人型を良く使いこなしている。


 頭上にあった空の裂け目が塞がっているのを認め、雄大は己の直感が正しかったことを理解する。


 巨神の単眼と空の裂け目は連動しているのだ、こいつが瞼を開いている限り、あの穴から臓物が召喚され続ける。


 裂け目を塞ぎたいならば瞳を閉じさせれば良いという考えで、に掛かったわけだが、こうも硬い瞼だとは思わなかった。


 一つ目の巨神は全身を脱力させている、飛び回っていた臓物どもも地面に落ちてピクリとも動かなくなった。

 さっきまでの大騒ぎが嘘みたいに、沈黙が辺りを包み込んでいる。


 息も絶え絶えに座り込んだ紗世が、どうしたら良いか分からないという顔で雄大の事を見つめていた。


 静けさの中でも巨神は息をしていた、まだ死んでいないのだから殺すために雄大は剣を振り続けた。


 瞼が裂けて血が溢れる、だがその下までどうしても剣先が届かない、紗世にも手伝って貰った方が良いかと彼は考え始める。


 雄大も疲れてきて限界が近い、血が足りなくて頭がクラクラしている。

 返り血によって肌は焼け爛れ、傷口から体が侵蝕されているせいで再生も遅い。


 なるべく傷を負わないようにしろとか、いつも未来に説教をしている癖にこの様だ、妹がこの場にいなくて良かったとほっとする。


 ──振り下ろす、振り下ろす、振り下ろす。


 続けながらやけに静かだなと、雄大は違和感を覚えた。

 そうだ、何でこんなに静かなんだろう、さっきまであんなに騒いでいたのに。


 さっきまで煩く響いていた聖王の声が、今は──。


 『戦闘行為を停止せよ』


「……あぁ、もう」


 考えたのが悪かったのだろうか。

 思い至った瞬間、響いた純真無垢な声に雄大は体を縛られた。


 重圧と痛みが、限界を超えた体を躾けてくる、剣を振り翳したまま動けない彼は、傷だらけの瞼が動くのを見た。


「惜しかったなぁ」


 開かれた、神の瞳が空より降る死と見つめ合う。


 雄大に向けて一点に注がれた血の濁流が、彼の全身を飲み込み押し流した。

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