16.「砕けた純白」


 ──ライオス王国付近、圏外区域。

 氷が砕ける様な音を上げ修復作業を続けている聖王結界を背に、荒野を走る聖王騎士が二名いる。


 未来は疾走する速度を更に上げながら、腰の細剣を抜き放った。

 目の前には大口を開けた天使が一体……背から広がる白い羽。


 群れの中で尖兵のような役割を果たす、圏外区域では特に数多く見られる「二枚羽」の天使を斬り殺し、未来は減速した。


 真っ二つに裂けた天使が地に落ちる。


 土埃を上げながら群れのど真ん中を一息に駆け抜けることが出来る彼女は、騎士団全体から見ても最速と称される。


 素早さに特化した攻撃で手数を重ね、対象を刻み殺すことを得意としている未来は背後を振り返り、異臭を放つ骸の山がぴくりとも動かないことを確認した。


「キリがありませんね、斬っても斬っても次が湧きます」

「団長が言うには巣があるって話だから、次の攻勢を退けたら前進しよう。

 俺が群れを開くから、未来は奥まで駆け抜けて核を破壊してほしい」


 少し離れたところで片手剣を振り、天使を惨殺していた雄大が未来に指示を出す。

 普段の温和さを抜いて冷静さだけを残した彼の表情には、聖王候補と呼ばれるに足る頼もしさがあった。


 広範囲を殺すのなら雄大、一直線に突破するなら未来のほうが向いている。

 適材適所を鑑みた指示に頷きを返し、未来は眼前から迫る次の群れへと目を向けた。

 

『ききききき──?』『ききき、ききッ』


 耳障りな鳴き声が重なって響く。

 無数に広がる二枚羽、ふたりにとっては容易く薙ぎ殺せる存在だが。


 ──性能良好、機能正常、問題なし。

 前へと突貫する未来に合わせて、雄大も踏み込んだ。


 聖王騎士団の兵器筆頭。

 部隊を与えるよりも単独で行動させた方が殲滅効率が上がると上層部から判断されているふたりは、己の役割をこなしていく。



 


 雄大が尖兵たちを蹴散らすと同時、未来は体液で汚れ切った荒野を突っ走る。

 群れを掻き分けた先には天使たちが守っていたものがあった。


「思ったよりも大きい!」


 天使の巣へと辿り着き、思わず声を上げながら、未来は目を丸くする。


 見上げた先では、黒い外殻が高く積み上げられて一本の柱となっていた。

 足や背中の一部分、天使の骸を繋ぎ合わせ、張り巡らせて作られた巣の中には、水晶体のような黒い塊が詰まっている。


 何もない荒野に直立する漆黒。

 今にもはち切れそうな黒い塊は全て、巣の中核の周りに取り付いた天使の卵。


 神が生みつけた核から最初の一体が発生し、有性生殖と無性生殖どちらも行って天使たちは無限に孵化、増殖する。

 卵で核を覆い尽くし、周囲には骸を集めて柱を形作って、まるで盾を構えるように天使たちは巣を作るのだ。


 人類を主食とする彼らは、荒野に生まれ出た直後から人類圏を目指し始める。

 神よりも出会う頻度の高い人喰いの異形、戦いを避けることは出来ない。


 万能の力こそ持たないが、残虐に人を襲い、騎士を殺せる術を与えられている彼らはただ通過しただけで地表を汚染してしまう。


 生命が生きる大地を奪いながら侵攻し、人類を食い尽くさんとしている生き物。

 与えた傷を腐らせて侵食することで、騎士を殺すことが出来る神々の眷属。


 それが天使だ、最初に彼らをそう呼んだのは、原初の時代に一度だけ降臨した創造主だとされている。


 天使がとして存在するのなら、殺すのは簡単だ。

 大抵の騎士は天使を一体殺すのに大した労力を割かない、余程のことがない限りは苦戦もしない。

 しかし、群れを相手にするなら話は別になる。


 未来は今まで何度となく、天使に集られ食い殺される騎士の姿を見て来た。

 となったとき、天使は神にも迫る脅威となるのだ。

 


 細剣を握り直した未来の耳に、甲高い鳴き声が届く。

 頭上から巣を守らんと巨大な天使が舞い降りてきた。

 その背に広がる羽の数は──四枚だ。


 群れの中でも知能が高く、二枚羽を率いる指揮官としての役割を持った天使が、未来の前に現れた。


『キキ、キキッ!』


 「四枚羽」が顎を打ち鳴らし、高く鳴く。

 巣を卵を、その向こうにある核を守ろうとしている天使の行動を見て、未来は言った。


「あなたたちが何を、わたしには分かりません。

 恨みもありません、だけど殺します」


 それがわたしの役割だ、あなた達が人を喰うのと同じように。


 未来の言葉が通じたわけでもないだろうが、四枚羽は前足を振り翳し、刺し殺さんと襲い掛かって来た。


 天使の足の先端が体に突き刺さる、それだけで騎士の体は内側から腐る。

 だから触れられるより先に、未来は一呼吸と共に前へ出た。

 突風に攫われるように彼女の姿が消え失せる。


 ──斬るならば何処だ、顎か首か、足か。

 苦しませるのは止めにしよう、せめて夢のように殺してしまおう。


 ぱん、と水風船が弾けるような音が大地を揺らした時、四枚羽の体は傾いた。

 風に煽られた様に、ぐらつく足と体。


 頭が落ちて、足が落ちて、胴体が裂け、刃に乗った風が触れるたび、腑が弾ける。

 ……飛び散る血はだれのもの?


 発達した知能でバラバラにされているのは己の体だと、四枚羽が気付いた時にはもう終わっていた。


 これが舞咲未来の剣だ、篠塚凱に師事し、神楽衣翔に見出された騎士王候補の力。


 風の如く殺せ、瞬きと共に消え、現れる。

 

 周囲を舞い踊る純白の騎士に、天使は解体されていく。

 今の四枚羽は残念ながら個であった、騎士が苦戦する相手ではない。


 成す術もなく大地に倒れ伏した天使は、目の無い顔を巣の方へ向けた。

 開いた顎も砕かれる、事切れる寸前、金色の髪を揺らした騎士が卵に──もっというなら核に向かい剣を振り下ろす姿を知覚する。


『キ、キ、キ、ァァア』


 か細い泣き声の向こう側で、悍ましい異形の巣は叩き壊された。

 たったひとりの兵器の手で。




 瞬く間に腐り落ち、地面を汚染する死体。

 地面に零れ潰れて流れる無数の黒い塊、出来損ないの胎児たちを見つめていた未来の元に、雄大が駆け寄って来る。


「流石に速いね、巣を未来に任せたのは正解だった」

「はい、問題なく終わりました。

 援護ありがとうございます、雄大さん」


 未来はいつもの微笑を浮かべて雄大の方を振り返る、彼は骸の道を背負っていた。


 何体斬ったか分からないくらいだろうに、雄大の騎士服は未だ汚れていない、抜き放たれた片手剣が体液に塗れているだけだ。

 彼は愛剣を振って鞘に収めた、なんて力任せな血振りだろうか。


 未来の方はといえば返り血塗れだった、騎士服から露出している肌が、天使の体液に触れる度、焼かれるような痛みを感じるだろうに彼女は何も気にしていない。


 雄大は最初から手傷を一つも負っておらず、未来は負う端から治っていくから最終的には無傷、といった具合だった。


 血塗れなのはいつものことだ、大きな怪我はないだろうかと妹の無事を確認する為に、頭の上から爪先まで目を走らせて兄は言う。


「未来、顔を切ってるよ」

「えぇ?」


 心配そうな灰色の瞳が見つめる先、自分の右頬に未来は手を伸ばした。

 途中で気付いて汚れた手袋を外し、綺麗な素手で触れてみれば確かに血が付く。


 未来は痛みをから、いつ負った傷なのかも分からなかった。

 触ってみた感じ深くはない、侵食もそれほど進んでいないようだし、数分放っておけば勝手に自己再生するだろう傷だ。


「気が付きませんでした、痛くないから」


 大したことではないと判断した未来は笑みと共に言う、その言葉に雄大は顔を顰めた。


「……それ、どうにかしたほうが良いよ」

「何がですか?」


 本気で分からなくて未来は首を傾げる。

 雄大は彼女に分かるように説明した。


「痛いとか苦しいとかは、生き残るために大切な感覚だ、それを感じないっていうのは凄く危険なことなんだよ」


 雄大の言いたいことは、未来には上手く伝わらない。


 痛みや苦しみを感じないのが危険だなんて未来は考えたこともなかった。

 むしろ良いことだと思って感謝しているくらいだ、この奇跡を齎してくれた友達に。


 ──未来が受けた痛みや苦しみは全て、オクティナが代わりに引き受けてくれる。

 五年前のあの日からそうやってふたりで生きてきた、だから未来は怪我を恐れず、痛みで動きが鈍る事もなく戦える。


 兵器として生きていく上で、この特性は便利すぎる。


 第一階級になれたのもオクティナが状況に応じて細かく感覚を遮断してくれたり、力を貸してくれるから。

 独りではこんなに上手く出来なかっただろうと思う、生き延びることだって。


 未来はオクティナに心底から感謝している、けれどこの事を話すと大抵、幼馴染たちは顔を顰めてしまう。

 これの何がいけないのか分からないから、未来はいつもぽかんとしてしまうのだ。

 

「心配されているのは分かります。

 でもこれが一番効率的に戦えるやり方で、何が悪い事なのかわたしには分かりません」

「その神技……と呼んで良いのかは分からないけど、頼りきりになったら駄目だよってこと、未来は恐れを知ったほうが良い。

 そうじゃないと君、自分でも気付かないうちに死ぬよ」


 雄大が言うことは正しい、このひとは間違わない、彼が言うならそうなんだと、未来はいつも思う。

 だけど、今だけは何と言ったら良いのか分からない感覚が未来の中に充満した。

 苦いような、息苦しい、ような。


『こう言われるのも仕方がないことだ。

 彼らにとって私は、お前に巣食う異物でしかないから』


 未来の気持ちを言語化するかのように、頭の中でオクティナの声が響いた。

 いつも未来が迷うと彼女は話しかけてくれる、背中を押して守ってくれる。


 未来は目を伏せながら考えた。

 誰かの前でオクティナと話すと驚かせてしまうから、声に出して伝えることは出来ないけど。


 異物だなんて、そんなことないのに、と。

 皆、オクティナと話したことがないからそんなふうに言うのだ。


 未来の友達は異物などではない、未来のことを助けてくれる大切な存在で半身だ。


 みんなにも分かってほしいのに、オクティナが神であるから受け入れては貰えない。

 みんなの考え方が普通なのだろうが、未来はとても悲しい、悲しいはずだ。

 だけどその悲しさもオクティナの方に流れて、感じなくなる。


 結果的に雄大から目を逸らすような、そんな形になった未来は、彼の言葉が止まっているのに気付いた。

 怒ってしまっただろうかと思う、雄大が怒ったところはまだ見たことがない。

 

 未来が顔を上げるよりも先に、雄大は彼女の頭を左手で撫でた。


 恵一や詩音や、忠明とも違う撫で方。

 ぎこちなくも優しい動き、心配されているんだと未来は改めて実感する。


 大人しく撫でられながら雄大のことを未来は見上げた、叱られた子どもみたいな顔をしている妹に彼は笑い掛ける。


「そんな落ち込まないでよ、心配なだけ」

「……うん、知ってる」


 それは良く、分かってる。

 分かってるけど、何が喉元に引っ掛かっているのだろう、言葉が出てこない。 


「俺にとっては、妹や弟たちを脅かすもの全てが敵だ」


 あやす様に未来の頭を撫でながら、空いた右腕で抜けない聖剣の柄を握りしめて。


 聖王候補の桐谷雄大は、優しい笑顔のまま妹の奥にいる存在かみさまに語り掛けた。

 黄金色は沈黙して、何も答えない。


 未来だけが不思議そうな顔で、何も分からないまま雄大のことを見上げている。

 ……痛みも苦しみも、不安も悲しみも疑問も全て、少女の中には残らない。

 それが自分にとって幸せなことなのかどうかも、未来には判断が出来なかった。

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