17.「捻れる道」


「お帰りなさい、お姉様、桐谷先輩」


 圏外区域から帰還したふたりを迎えたのは紗世だった。

 片手に細剣を提げ、緊張感のない面持ちで立つ彼女の足元には、羽を落とされた天使が数体、転がっている。


 四枚羽という指揮系統を失い、巣を破壊された天使の群れは、本能に従ってバラけながらも聖王領域へと大挙した。


 しかし群れは一体たりとも人類圏に踏み入ることはなかった。

 殆どの尖兵が未来と雄大に叩き斬られ、ライオス付近では紗世の指揮する防衛隊によって尽くが落とされたのだ。

 

 白く輝く聖王結界を境に、圏外区域には天使の死骸が無数に転がり、それを精査する聖王騎士たちの姿がある。

 生きとし生けるもの全てが腐る臭いが辺りには立ち込めていた、表情一つ変えず血溜まりの上を純白の騎士たちは歩く。


「お疲れ、篠塚。

 聖王結界の修復も八割方済んだようだし、付近の巣は粗方破壊してきた。

 暫くのうちは、二ヶ月前のような事件は起きないだろう」

「そうだと良いんですが……あ、やっと心を取り戻しましたね、桐谷先輩」


 砕けた聖王結界、塞がりつつある破損箇所を見上げつつも雄大は、彼らしい温和な笑みを浮かべている。

 紗世がまるで猫のように好奇心旺盛な瞳を丸くして、くるりと右手で細剣を回した。


「よかった、これで気兼ねなく愚痴が言えます。

 桐谷先輩って仕事に真っ直ぐすぎて融通効かない時あるから」

「……愚痴を聞くのはいいけど、俺は何もしないし出来ないよ」


 温和な笑みが苦笑に変わる。

 紗世は楽しそうに、それでいいですと頷いた。


「分かってますから、私なりに色々と。

 でもやっぱり今回の件はおかしいところがありすぎます」

「それは……」


 現状に対する違和感と不安を言葉にしたところで、自分達の仕事は変わらない。

 雄大は曖昧に笑いながら、どうするべきかと考え、ふと未来が黙っていることに気付いて傍を見た。


「どうしたの、黙り込んで」

「……えっ?」


 ぼんやり地面を見ていた未来に声を掛けてみると、彼女は目を丸くする。

 紗世が心配そうに姉弟子の顔を覗き込んだ。


「疲れたんじゃないですか?

 お姉様の神技って体の負担が大きいから」

「いいえ、今日は大したことしてないですから。

 それに、わたしがオク……を使うのは周囲に誰もいないとき限定です」


 未来は笑いながら己の細剣に触れた。

 握るというよりは、柄を撫でる動作。


 彼女は時折、無意識に愛剣に手をやる。

 大抵が考え事をしていたり、不安や違和感といった言語化出来ない思考を持て余している時に出る癖だと雄大は知っていた。


 紗世に気遣われて微笑みを返しながらも若干、居心地が悪そうにも見える未来のことを見て雄大は考える。

 余計なことを言ったかなぁ、と。


 ……雄大が未来に掛けた言葉は本音だった。

 それは思いがけず衝撃となって、彼女の中に残ったらしい。


 未来は一つのことが気になると考え込みがちで、繊細な一面も持っている子だ、自覚はないようだけど。


「今日の仕事は片付いた、団長に報告して通常任務に戻ろう。

 後の処理は篠塚に任せる」

「了解です、桐谷先輩。

 お姉様、あまり無理はしないでくださいね?」


 切り替えるように雄大が指示を出すと、紗世は頷いた。

 妹弟子のことを見送る未来の表情が、何処かほっとしているように見えるのは気のせいではないはず。

 未来は誰かに心配されるのが苦手だ、それに雄大が気付いたのは昔のこと。


「行こうか、未来。

 特に被害もなく終わってよかったね」

「はい、皆さん無事で何よりでした」


 嬉しそうに笑い、歩き出す小さな背中を雄大は追いかけた。


 もう少し自分を大切にしてほしい、雄大だけではなく、彼女に関わる数多くの騎士がそう思っている。

 言われる度に未来は不思議そうな顔をして首を傾げ、居心地が悪そうに目を逸らしてしまうけど。


 この言葉の意味が真っ直ぐに届く日は来るのだろうか。

 雄大は小さく息を吐いた──こういうのは自分より忠明の方が向いている。



 いつも後ろをついてきていた妹は、最近では雄大の前を行く。

 それが少し寂しくて、何よりも彼を焦らせる。




 ◇ ◇ ◇



「ああ、帰ったか。

 相変わらず仕事を終わらせるのが早いな、お前たちは」


 聖王騎士団支部、団長室。

 常と変わらず低い声を響かせる聖王騎士団長、篠塚凱の前に雄大と未来は立っていた。


「今回破壊した巣は、一般的な物と比べて小規模でした。

 恐らく、最近新たに作られたものだったのだと思います」


 己が師匠である凱に向けても、未来は変わらず柔らかい微笑を向ける。

 そうか、と報告を受けた凱は、背もたれに体を預け続きを促す。

 それに応えたのは雄大だ。


「聖王結界の破損を察知した神がいて、侵入の拠点とする為に新たな核を植え付けた。

 ……あくまで推察ですが、妥当かと。

 群れを構成していたのは二枚羽、生まれたてだと考えれば単純すぎる動きにも納得がいきます」

「わたしが戦った四枚羽も一体でしたし、知能の割に身体が伴っていませんでした。

 複数体で指揮系統を担うのが普通ですから……急拵え、という印象が強いですね」



 ふたりの報告を聞き終わった凱は、深く頷いてから立ち上がる。


「良く分かった、ご苦労だったな。

 これで修復作業の時間は稼げるだろう、あとは王石柱レムナント次第だ。

 暫くの間は防衛隊の指揮を紗世に預ける、お前たちには別の仕事を受けてもらおう」

「了解しました」


 凱の指示には雄大だけが返事をした。

 不思議に思って隣を見れば、未来がきょとんとした顔で師の事を見つめている。


「どうした、未来」

「いえ、師匠。

 ……言って良いのか分からないのですが」


 珍しく言い淀んだあと、未来は静かに佇む凱に問い掛けた。


「どうして、そんなにでいるんですか?

 ……ライオスの人々が危険にさらされている、一大事ですよね、今って」


 雄大が直接問うことはしなかったことを、未来は口にする。

 緊張感の無い、まるで台本を読み上げているだけのような凱の態度に対する違和感。

 何か考えあってのことだろうと何も問わなかった雄大とは、未来は違うらしい。


 凱はそうだなと未来から目を逸らす。

 疲れたような目は、娘と同じ亜麻色をしていた。


「我々は王命に叛くわけにはいかない。

 ……ライオスの転換期だ、お前たちも直ぐに分かる」

「転換期?」


 困惑した顔で疑問を口に出した未来と、全く同じ顔を雄大もする。


 まるで答えになっていない言葉、かつてのような覇気も信念も、今の凱からは感じられない。

 そう思われていると分からないわけでもないのだろう、凱は逸らしていた目をふたりに向けた。


「今は答えられない、きっと答える機会は訪れない。

 お前たちは自分で自分の戦い方を選ぶ時が来るだろう、そのとき」


「……俺が味方でいてやれなかったら。

 お前たちに向けて剣を抜くようなことになったなら、迷うな」


「迷わず、俺を斬るんだ」



 凱の言うことは、何一つ疑問に対する答えではなかった。

 なのに何も言えなかった、未来も雄大も。

 二の句が告げなくなるほど、目の前に立つひとは追い詰められていた。


「私語が多くなったな、忘れてくれ」


 凱は薄く笑って、何もなかったかのように手元の資料へ目を落とす。


「さて、仕事の話に戻ろう。

 雄大は通常任務に加えて、引き続き防衛隊の援護だ、招集が入り次第向かってほしい」


「そして未来、お前は明日から遠征だ。

 振り回して悪いが、今度はコウラン側の哨戒任務となる、任せるぞ」


 淀みなく続く指示の後、凱は一言も心の内を明かさなかった。



 ◇ ◇ ◇



「結局、何も答えてもらえませんでしたね」


 団長室を後にして、支部から出たふたりは並び立って王都を歩いていた。

 足を向ける先は王城だ、ふたりとも通常任務に戻らねばならない。


 夕焼け空に向かって高く伸びた建造物……複数の居住棟シェルターが立ち並ぶ純白の王都は人通りが少なく、静まり返っている。

 主の元へと向かう道すがら、未来の呟きに雄大は答えた。


「そうだね、何かが俺たちの知らないところで進んでいる」

「……放っておいて、良いことでしょうか」


 暗に知らなくても良い、とされたことに首を突っ込んでも碌なことにはならない。

 が、嫌な予感がするのも確かだ。

 判断を仰ぐように問うてくる未来に、雄大は笑みを向けた。


「団長は王命に叛くわけにはいかないと言っていた。

 ライオス王の意向が関係しているのは間違いない……未来は明日、此処を離れるだろうからその間、俺が色々調べておくよ」

「良いのですか? 不敬になりません?」


 未来の問い掛けに雄大は暫く考え込んだ。

 王の行動に探りを入れる、というのは本来ならば騎士には許されない事だ。

 不敬、と言われてしまえば否定は出来ないか。


「人類圏の安寧を守るのが俺たちの義務で、生まれてきた理由だ。

 ……我が王の意向であろうとも、それが人々を危険に晒すなら正さなければ」


 聖王騎士としてそれが正しい行動であると、雄大は信じている。

 善悪を裁く聖剣は重たいばかりで何も答えてはくれない、だから自分自身で決めなければ。

 何が正しくて、間違っているのか。


「俺も何をどうしたら良いのか、判断つかない事ばかりなんだけどね」

「雄大さんに分からないことは、わたしにはもっと分かりません」


 未来の微笑みに対して雄大は呆れ混じりに笑った、頼むからもう少し自分の頭で考えてほしい。

 彼女らしいといえば、そうなのだけど。


「出来ることを出来る時にするしかないからね、俺も未来もそれは変わらないだろう?」

「はい、そう思います」


 静けさに満ちた王都を見つめる、生活の中から人だけがいなくなった景色を。

 先の事件で住む場所を追われた避難民は、居住棟シェルターの中に収容されているはずだ。

 あの中で今も、ライオスの人々は怯えているのだろうか。

 その怯えを、恐れを取り除く。

 自分たちに求められている役割をふたりは良く理解していた。


「離れていても、やることは変わらないよ。

 だから──」


 俺に任せて、と言おうと思った雄大は、目の前から歩いてくる人影に足を止めた。

 それにつられて未来も止まり、首を傾げて雄大に問い掛ける。


「雄大さん、どうしました?」


 前方を見据える灰色の瞳、視線の先を追いかけた未来は、彼が立ち止まった理由を知って目を見開く。



「──やあ、聖王騎士団の兵器筆頭。

 第一階級の騎士たち、こんにちは」


 響いたのは優しい声、柔らかい声、丸い声、何の敵意も持たぬ声。

 人類軍所属を示す青い軍服に身を包んだ、人間の女性がふたりのことを見つめている。


「ちょっと顔見せついでに立ち寄ったんだ。

 私とお話してくれない?」


 微笑みながらそう言う彼女の名前は、リナリア。

 顔も名前も知らぬ騎士などいないだろう。

 雄大にとっては今朝、人類会議で見たばかりの人だ。


 人類軍総統、リナリア・ツォイトギア。

 ……箱庭の平穏、その中核を担う立場の人間が護衛も連れずに一人、立っていた。

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