9.「お祝いごとはみんなで」中
──吹き荒ぶ風、流れる小川、芽吹く緑。
全てに精霊王さまは意味を持たせました。
自然は精霊となって自由気ままに、地表の全てを埋め尽くしていきます。
私たちには理解のできない奇跡を引き起こして、精霊王さまは言いました。
この惑星を救います、と。
その声を聞くだけで私たちは、まるで母に抱かれたかのように、安心できるのです。
◇ ◇ ◇
買い出しを終えて、食材の入った紙袋を抱えて騎士寮へと戻ってきた未来と詩音は、正面玄関の方が何やら騒がしいのに気付いた。
開け放たれた扉のまわりに幼子たちが集まっているのだ。
歩きながら未来は詩音と顔を見合わせた、詩音が微笑みながら言う。
「誰か帰ってきたのかも?」
「はい、いきましょう!」
片手で荷物を抱え直し、もう一方の手で詩音の手を握った未来は、満面の笑みで庭を駆け出した。
「おかえりなさい!」
ふたりの予想は的中し、玄関には幼子たちに囲まれている騎士が何名か。
今、帰ってきたところなのだろう彼らの元へ詩音の手を引きながら、未来は近付いた。
「ただいま未来、詩音も帰ってきてたんだ。
買い出しに行って来たの?」
腰に抱きつく幼子の頭を撫でてやりながら、温和な笑顔で未来たちに問い掛けたのは雄大だ。
何とか仕事を終わらせて帰ってきてくれたのだろう兄に未来は言った。
「はい、詩音さんと一緒にお買い物でした!」
「食べ歩きいっぱいしたねぇ」
詩音が笑って言いながら歩き出し、未来と繋いでいた手が離れる。
彼女の行く先には、少女と少年の騎士がいた。
「ちょっと詩音、あんたまた忘れて帰ったでしょう、これ。
支部の机に置きっぱなしにしすぎよ」
「……あっ、ごめん!
ありがとう、お姉ちゃん」
騎士寮の姉、いつも溌剌としていてはっきりと物を言う少女が、小言を言いながら片手に持っていた鍵を詩音へ手渡す。
それは寮の部屋の鍵だった、それをどうやら詩音はうっかり職場に置き忘れたまま帰ってきてしまったらしい。
──詩音からお姉ちゃん、と呼ばれた彼女はまったくと呆れている。
肩の辺りで切り揃えられた、詩音と同じ水色の髪が揺れ動く。
「もう、私があんたの分までしっかりしなきゃならないじゃない」
「いつもありがとう、お姉ちゃん」
えへーとまるで甘え盛りの子どものように笑みを返す詩音。
実の姉妹である彼女たちの外見には、髪の毛の長さと身長しか差異がなかった。
姉妹揃って快晴のような瞳……姉が未来の方を見る。
「おかえりなさい、詩花さん」
「ただいま、未来」
詩音の双子の姉、にも関わらず詩音よりも身長の低い医療騎士、
詩花は横でやり取りを見守っている少年騎士の背中を左手で軽く叩く。
「龍海が本部で雑用言いつけられて大変なことになってたから、連れて帰ってきたの」
「うん、助かったよ。
ああいうの断れないんだよなぁ、僕は」
ただいま、と笑いを溢す少年は、紫色の騎士服を着ている。
精霊騎士であることを示すその色は暗めで、少年の海のように青い髪色を際立たせていた。
──
とびきり優しい性格だから色んなひとに頼られがちで、優秀なあまり自分の仕事も周囲の困りごとも纏めて解決出来てしまうので、騎士や人を問わずあてにされている。
そんな現状を憂いて……というか呆れている様子の詩花がため息を吐いた。
「断れないんだよなぁ、じゃないわよ。
意志が弱すぎるでしょう、うちの寮には頼りないやつしかいないわね」
「あれ、もしかしてそれ俺も含まれてる?」
その場にしゃがみこんで幼子の手遊びに付き合っていた雄大が、苦笑いしながら詩花のことを見上げた。
当たり前でしょと一蹴される。
昨日まで静けさに満ちていたのが嘘のように、騎士寮は賑やかだ。
未来は嬉しくなって、あははと笑った。
◇ ◇ ◇
薫に買ってきた物を預けて、未来はひとりで廊下を歩いていた。
幼馴染たちは一度、自分の部屋に戻ったのでまた、騎士寮は静寂に包まれている。
目に見えてご機嫌な様子で、未来は夕暮れに照らされた廊下を歩いていた。
騎士寮は昼間の明るいうちと、夕方から夜にかけてで雰囲気が一変する。
日の届かない暗がりが、飾られた骨董品や剥製に影を落とし、絵画の印象が変わり始めるこの時間は何処か不気味にも思えた。
未来は怖いとか不安とかが良く分からないので、何も気にせず歩く。
これから台所に行って夕飯の支度を手伝うつもりなのだ、つまみ食いをするのが主目的だったりもする。
自分の足音だけを聞きながら歩いていた未来は、あれと瞬きをして立ち止まった。
何処かの部屋の扉が開いた音がしたのだ。
だけど前を見ても後ろを見ても、立ち並ぶ部屋の扉は全て閉まっていた。
二階の音が響いてきたのか、とも考えるがその割には近くで聞こえた蝶番の軋む音に、未来は不思議に思って首を傾げる。
誰の気配も近くにないことを確認した未来は、立っているのは自分だけだと知りながら廊下に向かって問い掛けた。
「誰かいるでしょう?」
その声に、応えたのは日暮れの影。
飾れた蓄音機から伸びた影が長く、長く広がっていく。
──影の中、闇の下、いつの間にやら現れた青年が真っ暗な瞳で未来を見つめる。
「なんだ、驚かせてやろうと思ったのに」
へらりと笑う声が放たれた瞬間、廊下に満ちていた不気味な空気は霧散した。
髪の毛も目の色も夜そのもの、黒い騎士服の冥王騎士に未来は笑い掛ける。
「気付きますよ、これでもわたし聖王騎士団の兵器筆頭なので」
「あぁ残念、そうだった、うちの妹は戦いの天才なんだった」
おどけた調子で喋る二番目の兄が、未来の方へ近付いて来る。
これで幼馴染たち全員と再会できた、嬉しくってたまらない未来の頭がわしゃわしゃと撫で回される。
「ちょっと、犬じゃないんですけど!」
「似たようなものじゃん?」
未来を揶揄うことを何より楽しんでいる幼馴染、
ぽかんっ!と彼の胸を叩いて満足した未来は、乱れた前髪を直しながら問う。
「いつ帰って来たんですか?」
「さっき、みんなと一緒に。
荷物置きに先に部屋上がってたんだよ」
なるほど、だから何処からともなく現れたのかと未来は納得した。
恵一はいつも何処にいるか分からない、夜戦に特化した冥王騎士だからなのか、彼自身も無意識に暗がりの中へ紛れてしまうので。
未来の傍に誰もいないのを見て、恵一はそういえばと疑問を口に出す。
「忠明は帰ってきてないの、見かけないけど……未来といるもんだと思ってた」
「はい、まだですね。
でも約束したので、大丈夫だと思います」
明日のおめでとう会は、全員でやるんだって約束した。
彼が約束を破ったことなんて殆どない、余程のことがない限り。
なので未来は特に不安に思うことなく忠明の帰りを待っている。
妹分の表情に全く翳りがないことを確認して、恵一は微笑んだ。
その表情は兄というよりも父性を強く感じさせる、揶揄い混じりの声掛けはいつだって幼馴染を安心させる為のものだ。
「未来のことが何より大好きなあいつのことだし、意地でも間に合わせるだろ。
明日は大事な日だからな」
「……大好きって、良い加減なことばかり言うんだから」
まるで忠明が未来のことを特別好いているような言い方は間違っていると思う。
未来はまったく、なんて呆れたように言いつつも笑顔を絶やさなかった。
幼馴染たちに子ども扱いされていることを未来は誰より自覚している。
だって全員が歳上で、騎士としての実力も未来より数段上なのだから。
自分はいつまでも妹で、手の掛かる子どもに見られているのだろう。
──子どもは庇護すべきものだ、好きとか嫌いとか以前の話。
いつだか忠明がそう言っていた、自身の価値観に忠実に動き、善性に極振りしたような性格の最優が言うのだから間違いない。
彼が未来に対して優しくしてくれるのも当然、自分よりも幼い子どもだから。
何も特別なことなんてないと思う。
恵一が困惑した顔でこちらを見ている、それに気付いて未来は小首を傾げた。
「なんですか?」
「いやお前、そっかぁ、そういう感じかぁ」
……不明瞭で曖昧なことばかり言わないでほしい、気持ちや考えを察するとか悟るとか未来は一番苦手だ。
首を傾げたまま困っている未来に対し、恵一は咳払いをしてから言った。
「いや悪い、思わず。
なんでもないよ」
「はぐらかすなら言わないでください」
未来は何となく恵一の胸をつついた、悪かったってと宥めるように肩を軽く叩かれる。
「そうだ、わたし摘み食いの予定があるのでもう行きますね」
話すうちにすっかり忘れていたけれど夕飯の支度を手伝いに行くのだった。
そう思い出した未来は歩みを再開する。
廊下の途中で振り返った彼女は、恵一に明るい笑顔を向けた。
「おかえりなさい、恵一さん」
「ただいま。
また会えて嬉しいよ、未来」
珍しく裏の無い微笑みを浮かべた彼は、また夕闇へと紛れて行く。
明日は良い日にしよう、と優しい言葉を残しながら。
◇ ◇ ◇
騎士寮での食事の時間は年代問わずだ、食堂にて皆が一斉に食べ始めることになる。
味見と称した摘み食い、もちろん手伝いもしたけれど幸せに潤った顔で未来は食堂の中へと入った。
多少、摘み食いをしたくらいでは未来の食欲は満たされない。
台所に繋がっているカウンターから自分の夕食が乗ったお盆を持ち上げ食卓に向かう。
食卓での未来の定位置は窓際の一番端、幼馴染で一つの長テーブルを共有する形だ。
幼子たちはもう一回り大きなテーブルに並んで座り、薫と共に食べ始めている。
二ヶ月前よりも幼子たちは落ちついて食事に集中できるようになっていた。
前は遊び食べをする子もいて薫や兄姉たちの介助が前提だったというのに。
幼子たちの成長に感動しつつ、未来は食前の挨拶をする。
野菜のソテーもハンバーグも大好きだ、というか未来には嫌いな食べ物が存在しない。
食べる物に困らないというだけで、未来は幸福を感じられた。
目の前には空席があって、そこは未だ帰って来ていない忠明の席だ。
「未来、ハンバーグもう少し食べる?
昼間の食べ歩きで結構食べたから、まだお腹減ってないんだよね」
隣に座っている詩音が、未来のことを伺いながら言った。
未来は瞬きしたあと嬉しそうに笑って頷く、商業地区での食べ歩きで食べまくったのは彼女も同じはずなのだが。
「いいんですか、やった!」
詩音からハンバーグを分けて貰っている未来の方に皆の視線が集まる。
詩花が心底から不思議そうに言った。
「未来って本当に良く食べるわよね。
一体、何処に入っているの?」
「食べた端から力に変えているのかも。
ほら、未来の神技って特殊だから」
姉の疑問に詩音が憶測を述べる。
……当の未来はハンバーグを食べるのに夢中で何も聞いていなかった。
双子の会話を聞きつつも雄大が、食事の手を止めて補足をする。
「うちの騎士団じゃ未来に神技を使わせることは殆どないけど、起きてるだけでも何か消費しているみたいだから、とにかく寝ることと食べることで補っているのかもね?」
「なるほどなぁ、並の騎士が食う量の倍くらい食うし、寝るもんな」
恵一が納得した顔で頷く、皆が見つめている間にも未来は食べ進めていた。
パンがなくなり、サラダがなくなり。
龍海が思わずといった調子で笑い出す。
「はは、未来は見ていて飽きないなぁ。
サラダ分けてあげるよ」
「わぁ、いいの!?
ありがとうございます、龍海さん」
幼馴染からの施しに、未来は満面の笑みで幸せそうだ。
彼女を見ていて飽きないというのは幼馴染たちの共通認識である、久しぶりに訪れた平穏な食事風景が周囲を和ませる。
やっぱり戦地で携帯食を齧るより、こうしている方が良い。
「見た感じ大丈夫でしょ、ちょっと沢山食べるくらいで」
「そうだね、元気でいるのが一番だから。
明日は未来、もっと食べるんだろうな」
恵一の一言に詩音が頷いた。
未来の食べっぷりにつられるように皆は食事に戻っていく。
食べるというのは生きるということ、未来の姿はそれを体現していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます