8.「お祝いごとはみんなで」上
──星が輝く夜でした、月の綺麗な夜でした。
月光の中から宙を漂うように、医療王さまは現れたのです。
医療王さまは微笑みを浮かべ、傍に控える冥王さまの手を握りました。
美しいひと、美しい夜、月の象徴。
夜の帳の向こう側で、人を待つ善性。
あなたは私たちを救う為に生まれた尊き万能、そのひとつでした。
◇ ◇ ◇
平穏な日常というのはあっという間に過ぎていくものだ。
幼子たちと過ごしたり、小説の新刊を読んだり、薫の手伝いをしているうちに、未来に与えられた休暇は今日を入れて、残すところあと二日。
朝、起きるのが辛いなんて、なんて贅沢な悩みなのだろうか。
自室の寝台の上、未来は寝惚けたまま起き上がった。
騎士寮に来てから知ったことは沢山あるが、朝が苦手だと気付いたのはこの柔らかな布団で眠るようになってから。
体に毛布を巻きつけたまま暫く動けず、ぼんやりと眼前を見つめていると、廊下から誰かの足音が聞こえて来た。
足音は軽く大人のものではない……そこまで気付いてから、未来は瞬きをする。
足音の主はどうやら二階を走り抜け、一直線にこの部屋へと向かってきているようだ。
少しずつ頭が冴えてきて、未来は音につられるようにその場から廊下の方を見た。
足音が止まったな、と思った瞬間。
滅茶苦茶なノックに自室の扉が揺れて、未来は目を丸くする。
慌てて──といっても、普段の彼女と比べればかなりゆっくりな動作で、未来は寝台から降りた。
扉の向こうから幼子のはしゃいだ声が聞こえて来る。
「おきておきて、みらいお姉ちゃん。
しおんお姉ちゃんが帰ってきた!!」
聞こえた言葉の意味を理解して、未来は今度こそ本気で、慌てて扉へと駆け寄った。
扉を開けてみると、おさげ髪の女の子が未来のことを見上げて立っている。
眠たい目を擦りながら未来は、妹分のひとりである女の子に話しかけた。
「るみちゃん、おはよう、詩音さんが帰ってきたって……?」
「おはよう、みらいお姉ちゃん。
下にいるからはやく行こうよ!!」
元気よくおさげが揺れる、未来に良く懐いてくれているこの子は、姉が幼馴染たちの帰りを心待ちにしていると知っていた。
だから呼びに来てくれたのだ、と考えると嬉しくなって、未来は微笑みを浮かべる。
「分かりました、身支度したらすぐに行きますから」
「そのままでいーじゃん、かわいいよ?」
小さな手に寝巻きのワンピースの裾を引っ張られ、未来は笑みを深めた。
そう言ってくれるのは嬉しいが、髪の毛に櫛くらいは通さなくては。
「そうもいきません。
すぐに追いかけますから、先に行って待っていて?」
「わかった!
一階にいるからね、いい?」
未来が頷き返すと、おさげ髪がその場で回転し、一階へ続く階段へと向かっていった。
元気の良さはそのままに、将来しっかりものになりそうだ、と想像しながら未来は一度、部屋の中へ戻る。
◇ ◇ ◇
一階へと降りると、居間から賑やかな声が聞こえていた。
どうやら幼子たちが庭ではなく居間に集合しているようだ、珍しいことである。
足早に廊下を抜け、開け放たれた扉から居間の中を覗いた未来は、目に飛び込んできた光景に頬を緩ませた。
「それじゃ、さんはいっ……!」
幼子たちに囲まれて、水色の髪の少女が長椅子に座っている。
彼女の掛け声に合わせ、幼子たちは声を合わせて歌い始めた。
騎士や人間問わず誰もが知っているだろう童謡の一節が朝の騎士寮に響き渡る。
「はい、今日はこれでおしまい。
音楽室の床が直ったらまた、みんなでお歌の練習をしようね」
はーい!と元気の良い返事をして、幼子たちは解散した。
それぞれお気に入りの遊び場へと駆けて行く小さな頭を見送ってから、未来は居間の中へと入る。
「詩音さん、おかえりなさい。
今のは……」
未来の方を振り向いた少女の瞳は、澄み渡るような空色だった。
その美しさを目の当たりにする度に、未来は息を呑んで言葉を詰まらせてしまう。
「最後まで歌えるようになったから、私に聞いてほしかったんですって。
前に教えた童謡なんだけど……」
未来の様子は気にもせず、腰まである髪を揺らしながら彼女は笑う。
緑色の騎士服を着た、医療騎士団に所属する幼馴染、未来にとって「姉」のひとり。
「ただいま、未来。
すごく会いたかったよ」
わたしも、と返す前に体が動く。
未来は詩音の元へ駆け寄って、細い体を抱きしめた。
「そんなに寂しかったの、未来」
腕に飛び込んできた未来のことを抱きとめた詩音は、優しく背中をさすってくれる。
良い匂いがする詩音の髪に埋めていた顔を上げて、未来は嬉しさいっぱいの笑みを浮かべた。
「寂しかったけど会えたから良いです。
……詩音さんだ、わあ〜!!」
「ふふ、未来は甘えん坊だから、私たちがいないとダメなんだよねぇ」
よしよしと、頭を撫でられ甘やかされる。
未来はくすぐったくて笑い声を上げながら、詩音から離れ隣に座った。
美しすぎる姉の横顔を眺めて溜息を吐く。
「今日も詩音さんはきれいだぁ〜」
「もう、それ誰の影響?
嬉しいけどさぁ、恥ずかしいよ」
詩音は照れて両手で顔を隠してしまった、なんて可愛いひとなんだろう。
「翔さんに言われたんだよね、未来が会いたがっていたよって。
わざわざ本部に聞きに行ったんだって?」
「……寂しかったから、誰かしらいないかと思って探しに行ったんです」
詩音に対しては素直に、未来は甘えたがりの本性を隠さずに接した。
五年前に入寮したばかりのころから、何かと世話をしてくれた詩音は、未来にとって数少ない理解者のひとりだ。
「可愛いねぇ、未来は。
待っていればすぐ、みんなが集まるお祝いの日になったのに」
「だって、寂しくなっちゃったから……」
可愛い可愛い、と言われて今度は未来が真っ赤になって俯いた。
仕返しが出来て詩音はとても楽しそうだ。
──明日は前々から話に上がっていた、未来のおめでとう会の日。
同時に与えられた休暇の最終日でもあるわけだが、未来は明日が来るのが楽しみで仕方がなかった。
第一階級になったお祝い、そして周囲も主役も多忙すぎて当日に出来なかった誕生日パーティーも兼ねている。
どちらかといえば昇級よりも、誕生日のお祝いの方が主目的だ。
明日の夕飯はきっと未来の好物で食卓がいっぱいになるはず。
お腹が満たされるまで食べて次の仕事に備えようと、未来は既に決めていた。
「未来が主役のパーティーの準備なのに、一緒に買い出しに行くの面白いね」
「でも薫さんから食べたいものを何でも買って来て良いと言われているので、わたしとしては最高です」
部屋に戻って休むのかと思ったら、詩音は帰ってきて早々、薫からのお使いを引き受けていた。
暇だったので、未来もついて行くことにしたのである。
ご機嫌な未来のことを、詩音はほんわかした笑顔で見つめていた。
「未来はごはんが本当に好きだよね、いっぱい食べるし」
「騎士寮に来てから大好きになりました、いろんな味がするので!」
ふたりで話しながら廊下を歩き、寮の正面玄関に向かう。
ちなみに、ふたりとも休みであるのに騎士服を着ていた……結局、これが一番動きやすくて落ちつくのだ。
「商業地区も久しぶりだなぁ、最後に歩いたの半年前くらいかも」
「詩音さんは今年に入ってから、本当に忙しいですものね」
騎士寮の外へ出て本部に続く階段は上がらずに、南下していけば商業地区への入口が見えてくる。
商業地区では騎士や人間問わずが行き交い、賑やかな活気に満ち溢れていた。
屋台から香る食べ物の匂いにつられて行きそうになる未来を引き寄せながら、詩音は笑顔で話す。
「さて、まずは何を買いに行こうか?」
「お姉ちゃん、未来はお店でアイスが食べたいです!」
「未来って寒いのは嫌いなくせに冷たいのは好きだよねぇ、アイスは最後にしよう」
詩音に嗜められながら歩く未来は、すれ違う騎士や人からの視線に気付いて小さくなった。
未来の様子に気付いた詩音が小首を傾げながら問うてくる。
「周りの目が気になるなら、騎士服着ないで私服で来れば良いのに」
「……どうせ髪色とかでバレるから、だったら動きやすい方がいいかと思って」
そっかぁ、と納得した様子で詩音は頷いた。
未来の金髪も詩音の水色の髪も、遠目からでもすぐ分かるくらいに鮮やかで綺麗な色をしている。
人間に不快感を与えないよう、美しい容姿を持って生まれてくる騎士の中でも珍しい、彼女たちの持つ髪と瞳の色は特別なものだ。
第一階級になって間もなく、最優と呼ばれることにも慣れていない未来は、羨望の眼差しを向けられる度に小さくなる。
「第一階級なのに休日満喫してたら嫌な噂たてられたりしませんか……大丈夫です?」
「気にしないでいいよ、第一階級だって最優だって、買い物はするしご飯は食べる。
怒られるようなことしてないでしょう?」
同じだけの注目を浴びているはずの詩音は、堂々と歩きながらそう言った。
思えば忠明も雄大も周りの視線なんか少しも気にしていなかった、やっぱり幼馴染たちは凄い、と未来は思う。
詩音に掛けられた言葉の意味を理解した未来は力強く頷いた。
「じゃあ、鳥の串焼きも食べて帰ります」
「買い物終わってからならいいよぉ」
またどこかに歩いて行きそうになる未来の右腕を、詩音はがっしりと掴んだ。
「こんにちは、騎士さま。
どうだい、買っていかないかい?」
約束通り、一通りの買い出しを終えてから、未来は串焼きの屋台に立ち寄った。
店主は人間の男性だ、リチアは各国に繋がる貿易拠点でもあり、商業地区では人間たちが営む店が多くある。
未来は完璧な笑顔を男性に向けた。
「ごきげんよう、美味しそうな匂いがしたので伺いました。
鳥のもも肉が大好物なんです、二本お願いします」
「そりゃ嬉しいね、はいよ」
バーナーで炙られた鳥の串焼きを目の前にして、頰が緩みそうになるのを堪えながら、未来は懐から硬貨を取り出す。
「これで足りますか?」
「ああ、足りるよ。
人間の仕組みに合わせて貰って悪いねぇ」
いいえ、と未来は笑顔のまま首を横に振った。
手渡された串焼きを二本、受け取って未来は店主に言う。
「ありがとうございます。
今日が良き日になりますように」
お決まりの挨拶を言い終えて、未来は詩音の元へと戻った。
商業地区の端、店も少なくなり賑やかさから遠退いたところに設置されたベンチに座って、詩音は未来のことを待っていた。
傍には荷物が置かれている、野菜が入った紙袋、パンが入った紙袋といった具合だ。
未来は早歩きで近付き、ひとりでぼうっとしている詩音に声を掛けた。
「詩音さん、串焼き買えました〜!」
「よかったねぇ、未来」
隣に腰掛けて、未来は左手に持っていた串焼きの一本を詩音に手渡す。
誰の目線も感じないから、未来は何も気にせず串焼きに齧り付いた。
温かさと舌の上に広がる油、美味しすぎると思いながら未来は呟く。
「生きててよかったぁ」
「大袈裟だなぁ」
未来の呟きが聞こえてしまって、詩音は笑い声を上げた。
ちまちまと串焼きを食べる詩音と未来は、美味しいねぇと笑い合う。
ふたりの眼前にはリチアと人類圏を隔てる外壁があった。
この壁の向こうには人々が築き、騎士たちが支える王国が広がっている。
騎士と人間の境を目にしながら、ふたりは束の間の休息を楽しんだ。
「アイスも食べていくんでしょ?」
「うん!」
詩音の問い掛けに、未来は元気良く返事をする。
それが面白かったのか微笑ましかったのか、詩音は楽しそうに笑っていた。
「今日中に全員、帰ってくるといいね」
「来ますよ、だって約束したもん」
自分や幼馴染たちの立場を良く分かっている未来にしては珍しく子どもらしい発言に、詩音はそうだねと頷いた。
「約束だもんね、這ってでも帰ってくるよ」
「それ、忠明さんも言ってました」
あはは、とふたりは笑い声を上げる。
ただの少女として過ごせる日は限られている、それを知っているからこそ、この上なく幸せそうに彼女たちは笑っていた。
明日、お祝いの日が終わればふたりとも、それぞれの戦場へ行く。
……平穏な記憶を胸に持っていくのだ、それがあるから超えられる、どれほどの災厄であろうとも。
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