7.「なんてことはない大切な今日を」下
──冥王さま、どうかお願いです。
私たちの穢れを、魂をどうか。
冥府の夜の中、死者たちが集うこの丘で、あなたは独りきり。
その瞳に裁かれた魂は次の生へと旅立つ、冥王さまが見抜けぬ命の咎などありません。
私たち人間は弱く、醜く愚かな者ども。
この穢れた魂が、次の生では必ずや煌めく星々に加わって、あなたの夜空を照らせるように、どうかお願いです。
◇ ◇ ◇
幼馴染たちに会いに行く、という目的は果たせそうにない。
夕焼けに染まり始めた空を見上げ、未来は騎士寮に帰ることにした。
騎士団本部の正面入口から外へ出る、来た時と同じように、完璧な笑顔を浮かべたままロビーを通り抜けることに成功した未来は、そこまで落ち込んではいない。
幼馴染たちとは会えなくとも、翔とは話せたわけだから、完全なる無駄足だったということでもないし。
自分の切り替えの速さを未来は気に入っている、常に前向きでいれる事は騎士にとって重要な素質だ。
このまま騎士寮に真っ直ぐ帰って、薫と幼子たちと一緒に夕飯を食べ今日を終えよう。
そう決めて、未来は歩き出す。
高台に位置する騎士団本部からは、リチアの商業地区と居住地区を一望出来る。
青の街並みを眺めて未来は微笑んだ。
美しいものは今も変わらず好きだ、下り階段を軽やかに踏みながらそう考える。
この惑星には未来が知らない綺麗なものや楽しいことがたくさんある。
それを想像するだけでわくわくした、この気持ちが高揚なのだと、未来はまた己への理解を深めた。
何てことはない日常を彩る景色を眺めただけでご機嫌になった未来の耳に、何処からか控えめな歓声が聞こえて来る。
微かではあるが確かに聞こえて来たその声が、周囲を行き交う騎士たちのものである事と、まだ騎士団本部の敷地内であったことを思い出して、気を抜きかけていた未来は背筋を伸ばした。
わたしは完璧、わたしは完璧──と自分に言い聞かせる。
完璧な少女騎士の顔を作り直した未来は、周囲を見渡した。
未来がいるのとは反対側、上り階段の方で歓声は上がったらしい。
視線を向けられているのが自分ではないことに少し安堵しながら、周囲の注目を集めている存在を見る。
そこには二名の所属が異なる男性騎士がいて──未来は思わず声を上げた。
「あぁっ!!」
思ったよりも大きな声が出てしまい、口を手で押さえる。
せっかく、未来には気付いていなかった周囲の騎士たちが一斉に彼女のことを見た。
「最優だ」と噂する声が辺りから聞こえ始める。
さっきまで注目の的になっていた騎士たちも、未来の存在に気付いたようで。
「未来、帰っていたんだ!」
「おかえり」
ぱっと明るい笑顔と声で、未来のことを呼んだ聖王騎士の青年と。
落ち着いた声音ながらも嬉しそうに告げてくる竜王騎士の青年。
今日は会えないと思っていた幼馴染のうち、二名との再会は突然で、未来は抑えきれず子どもの様に笑った。
「びっくりしました、今帰りですか?」
未来は青年ふたりに問い掛けながら、階段の下りと上りを隔てる柵まで近付いていく。
比較的、出入りが落ち着いている時間帯だから階段を利用する者の姿は少ない。
さっきまで未来のことを噂していた騎士たちも歩くのを再開していた。
今なら立ち話をしても、邪魔にはならないだろうと未来は判断した。
……二ヶ月ぶりなのだ、少しくらいは許してほしい。
兄たちはそんな未来の考えを察してくれたのか、階段の途中で歩みを止めたまま待ってくれている。
「俺は本部に戻ってからまた現場に蜻蛉返りだよ、そっちは?」
「似た様なものだ、騎士寮にはまだ帰れそうにないな」
ふたりとも仕事の中間報告の為に騎士団本部にやってきただけのようだ。
未来はそうですか、と肩を落とす。
「じゃあ、暫くはゆっくりお話も出来なさそうですね」
「そんな顔しないで未来、俺とは職場が同じなんだから嫌でも顔を合わせるじゃないか」
聖王騎士団の騎士服を指で示しながら笑う灰色の髪の青年。
一番目の兄に向かって未来はあからさまに拗ねた態度を取った。
「いやです、雄大さんは基本、わたしと一緒の現場になりませんし、なったとしても仕事の話しかしないでしょ」
「お仕事ってのはそんなものだねぇ」
聖王騎士団所属、未来の同僚であり先輩でもある彼──
確かに未来は雄大と同じ騎士団に所属しているが、お互いに役割が違うんだから与えられる仕事も違う。
同じ仕事をしたとしても大抵が仕事の指示とか報告とかお説教とか……大事なことだとは分かっているけど、未来が求めているのはそういうことじゃない。
「わたしはもっとお兄ちゃんに甘えたいんですよ、何しても褒められたいんです!」
「ごめんって、ちょっと揶揄っただけ」
拗ねちゃった、と笑いながら雄大は隣で黙っていた竜王騎士の青年に話を投げる。
くだらない応酬に巻き込まれない為の方法を考えていた彼は心底面倒そうな顔をした。
「俺に振るなよ、雄大。
……あー、仕事の合間とはいえ未来に会えてよかったよ、良く無事に帰ってきた」
真紫の瞳を逸らし、やれやれといった様子で、どうにか機嫌を取ろうとしてくる彼に免じて未来は拗ねた表情を引っ込めた。
「心配してくれてありがとう。
余裕で片付けられる現場でしたよ、投入期間が長かっただけで」
「……そんな軽い言葉で済ませられる事件じゃなかったんだけどね」
雄大が全くと苦笑いで呟く、言葉の意味がわからず未来は首を傾げる。
「天使ならわたしが全部殺しました、人間もみんな助けました。
人類圏にはもう一度、平穏が戻ってきて、めでたしめでたし、じゃダメですか?」
「うん、駄目なんだよね。
これから聖王騎士団は忙しくなるよ、覚悟しておいて」
なるほどと未来は頷く、雄大さんがそう言うのならそうなのでしょう。
言葉の意味がちゃんと彼女に伝わったのか不安に思う雄大は、重ねて説明をしてやろうと口を開きかける。
しかし、鳴り響いた夕刻入りを告げる鐘の音に、彼はあぁーっと声を上げた。
「残念、時間切れだ。
俺は先に本部に行くよ、また今度ね」
ふたりに対して右手を振りながら雄大は言った、きょとんとしながらも未来は手を振り返す。
「はい、また今度。
お仕事頑張ってください、雄大さん」
「任せて、未来が安心して休暇を過ごせるように、お兄ちゃん頑張るから」
朗らかな笑い声を残し、時間に追われる聖王騎士は階段を駆け上がっていった。
その背中を未来は満面の笑みで見送る。
「あれ、忠明さんは雄大さんと一緒に行かなくて良いんですか?」
「問題ない、あいつとはさっき下でばったり会っただけだからな」
赤色の騎士服、竜王騎士団を示すその色をきっちりと着こなしている姿は、正しく完璧な美しい騎士そのもの。
未来なんかよりもっと最優の称号が似合う青年、
「じゃあ、もう少しだけお話できますか?」
「本当に少しで済むならな。
ちょっとくらいなら構ってやるよ」
忠明は笑いながら片肘を柵の上に置く。
時折通り掛かる騎士たちはふたりの姿を見てぎょっとしたり、憧れの眼差しを向けて来たりと様々だ。
──最優がふたり揃って立ち話をしているのだから、目立ってしまうのは仕方ない。
周囲からの視線を気にしてしまう未来とは違い、忠明は向けられる眼差しを気にも止めずに受け流していた。
「お前は本部に寄った帰りか?
長期任務だったろうに、もう次の仕事か」
「あ、違うんです、今日はお休みです。
……翔さんに会いに行ってただけで、騎士長室には私服じゃ行き辛いから」
騎士寮に帰ってきて、兄姉が誰もいなくて寂しかったから探しに行った。
それを何故か忠明には言えず、未来は肝心な理由を適当に誤魔化して伝える。
忠明はその特徴的な瞳で彼女をじっと見ていたが、未来が目を合わせようとすると逸らしてしまった。
「そういえば寂しがりやだったな、お前」
忠明の呟きは未来には何だか、意味が良く分からなかった。
さみしがりや、わたしが?と首を傾げる未来に対して説明する気はないようで、忠明は何事もなかったかのように話を戻す。
「それで騎士服着込んで愛想良くしてたのか、休みの日くらい仕事のこと考えるの辞めとけよ」
「前も同じこと言われましたね」
あはは、と未来の笑い声が響く、忠明は肩をすくめて柵にもたれていた体を起こした。
「同じことをそう何度も言わせるな。
ったく、お前は昔から切り替え下手だな」
「そんなことない、得意な方ですよ」
忠明の言うことはたまーに、本気で良く分からない、と未来は思う。
だが間違ったことを言われたこともないので、どう受け取ったら良いのか分からず、未来は考えるのをやめた。
忠明は苦笑いをしながら、まあいいけど、と場の空気を変える。
「せっかく休みなんだから、何にも考えずのんびり過ごせってこと。
最近は確かに皆で飯食うのも難しくなったけど……大丈夫だろ、全員しぶといし。
そのうちもっと休みも合うようになるんじゃないか?」
やっと忠明から心配されている、と理解して未来は微笑んだ。
「何となーくの期待をしておきます、それにほら、わたしのおめでとう会には全員参加でしょ? 意地でも来てもらいますからね!」
未来はご機嫌な笑顔で、偉そうに踏ん反り返って言う。
本当は申し訳なく思っていることを、上手く隠せているつもりで彼女は笑う。
そんな未来の笑顔を見ていた忠明は、彼にしては珍しく、分かりやすいほど朗らかな声を上げた。
「安心しろよ、這ってでも帰る。
皆も同じこと考えてると思うぜ」
何かを察したような、気を遣ってくれたような態度を前に、未来もつられて笑い声を上げた。
「この辺りかな、俺はそろそろ行く。
お前も帰るだろう?」
「うん、晩御飯の支度を手伝わないと。
お話してくれて、ありがとうございました」
結局、ふたりが会話出来たのは十五分にも満たない間。
それが忠明が今、未来に対して割いてやれる限界で、少しだけでも彼と話すことが出来て未来も満足していた。
これでやっと大人しく騎士寮で休めるというものだ、雄大と忠明には感謝をしないと。
自分から離れるのが惜しいから、未来は忠明のことを見送ろうと思って、その場に留まり続ける。
幼馴染を見送る度に思う。
──明日、このひとは死んでしまうかもしれない、と。
それは自分も同じことで、騎士に生まれた者なら誰しもがそうだった。
「いってらっしゃい、忠明さん」
だからどんな時でも、未来はこう言ってあげたいし、貰いたいのだ。
騎士団本部に向かう前、見送ってくれた薫のことを思い出しながら彼に笑い掛ける。
返って来たのは柔らかな笑みだった。
忠明の方から目を合わせてくる、それが珍しくて未来は驚く。
「留守は頼んだ、チビどもによろしくな」
じゃあな、と笑いながら言うそのひとから、未来は目が離せなかった。
宝石みたいな真紫の瞳に夕暮れの中に立つわたしが映っている。
惚けた顔で、未来は忠明の顔を見上げていた、そんな彼女の深層を見透かすように、彼の瞳が細められて──。
忠明は、あ、と思い出したように呟いた。
同時に視線が逸らされ、未来も己を取り戻してはっと息を呑む。
「そういえば、机の上見た?
返すの遅くなってごめんな」
何のことを言われているのか、未来にはすぐにわかった。
自室の机の上に置かれていた小説、あれを貸していた相手は忠明なのだ。
そういえば、あれを見たのがきっかけで幼馴染たちに無性に会いたくなったんだった、と未来は思い出す。
「気にしないでください。
また今度、感想を聞かせてくださいね」
「もちろん」
いつ来るか分からない今度の約束をして、何となくそれは近いうちに訪れる機会なんじゃないか、と未来は思う。
忠明の方も似たようなことを考えている、未来には分からないことだけど。
別れ際、笑みを交わしあって今度こそ、ふたりは離れる。
◇ ◇ ◇
騎士寮での夕食を終え、自室に帰ってきた未来は、寝台の上に身を投げ出した。
ふわふわな布団に受け止められて、そのまま寝返りを打つ。
嬉しい気持ちでいっぱいの未来の眼前に、金色の光が浮かび上がった。
『ほら、会えたじゃないか』
「うん、うん──!」
響き渡る声に、嬉しいと未来は笑って応える。
全員に会えたわけではないが、誰にも会えなかったわけじゃない。
オクティナに言われた通りにして正解だった。
騎士として生まれて、人の為に死ぬ命のなかで、またなと約束してくれるのは幼馴染たちくらいのもの。
優しいなぁと真紫の瞳を思い返し、未来はふと考える。
「オクティナは分かるけど、忠明さんまでなんでわたしの気持ちがわかるんだろう」
『竜の子か、あれは目が良いからな』
オクティナの返答の意味はよくわからない、良く分からないことはあんまり深く考えないのが未来だった。
安心したのだろうか、とにかく眠い。
やっと心が戦地から解放されたのを未来は感じた、これなら安眠出来そうだと目を閉じる。
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