6.「なんてことはない大切な今日を」中

 

 ──大空を駆け抜けて愛竜と共に飛ぶ姿は、誰の目から見ても強いもの。


 人類は竜王の姿を見て、言いました。


 竜王さまがいるなら大丈夫。

 竜王さまなら心配要らない。


 彼の心がどうなっていたか、知りもしないで人類は言いました。


 竜王さまは、必ず助けてくれるから。



 ◇ ◇ ◇



 玄関ホールから大扉を開けて外に出れば、目の前には広い中庭がある。

 騎士寮に寄り添うように存在する庭園とは別に、幼い寮生たちが駆け回れる広さの芝生があるのだ。


 ボール遊びや追いかけっこをして遊ぶ幼子たちを見守る薫に、未来は声を掛けた。


「薫さん、これから本部に行くんですけど、何か伝言とかありますか?」

「あら、お休みなのに報告にいくの?」


 きょとんとした顔が未来を振り向く、問いに問いが返ってきたのが面白くて、未来は笑いながら。


「いえ、報告っていうか。

 ……みんなに会いに行きたくて、本部だったら誰かいるかなぁって」

「ああ、そういうこと」


 未来の言葉に納得したか、薫は笑顔で頷いた。

 

「ついでに翔さんにも会ってくるので、伝言があれば聞きますよ」

「ううん、特にないかな、大丈夫。

 ありがとうね、未来」


 気をつけていってらっしゃい、と薫は未来を送り出す体勢を取る。

 そんな遠くに行く訳でもないのに大袈裟な、と思いつつも未来は微笑んだ。


「お姉ちゃん、おしごと?」

「いっちゃうのー?」


 寄って来た幼子たちに問われ、未来は首を横に振る。

 仕事に向かう時と同じように、きっちり騎士服を着ているものだから勘違いをさせたようだ。


「お出かけしてくるだけです、夜には戻ってきますよ」

「なぁんだ!」

「よかったー!」


 笑顔と共に掛けられた言葉に安心したのか、幼子たちはボール遊びへと戻っていった。


 もう一度、薫と頷き合ってから未来は歩き出す。




 ──リチアには、騎士たちが生きていく上で必要な施設が揃っている。

 中心部には騎士団本部と呼ばれる建物があり、多くの騎士や人類軍所属の人間が出入りしていた。


 騎士寮から程近い場所に建っている本部の青い屋根は、未来の自室の窓からも見える。

 綺麗に整備された煉瓦道を歩きながら、未来は空を見上げた。


 彼女の視線の先には、リチアの上空を貫き天高くまで伸びるがあった。

 目を凝らしても先は見えず、その頂に到達した者は誰もいない。


 白亜の塔という名のそれはリチアの象徴であり、箱庭の中央、地の底から生えて来ているらしい。

 原初の時代から存在し、未だ何で出来ているのかも、何の為にあるのかも解明されていないもの。


 一説によれば原初の騎士王たちは、この塔を使って箱庭へと降りてきたのだという。

 中へと続く扉は閉ざされており、開く日が来るのかも分からない、創造主がこの惑星に干渉したという数少ない物的証拠だ。


 白亜の塔を取り囲うように、騎士団本部は円状に建設されている。

 長い階段を上がった先、リチアを一望出来る高台にあり、一見すると要塞のようにも見える。

 中には各騎士団の主要施設が存在していて、箱庭の縮図とも呼ばれていた。


 騎士団本部には通い慣れている。

 未来はこれでも聖王騎士団の幹部のひとりだし、第一階級とは騎士に与えられる最高位の階級だ。


 だから未来は堂々と、皆が憧れる完璧な騎士として振る舞わねばならない。

 少なくとも本部の中では……私服で気軽に来れない理由がこれだった。

 門の下をくぐり、未来は本部へと続く上り階段に足を掛ける。


 階段を上った先で、五つの王国と騎士団を示す旗が掲げられた正面入口を前にした未来は、それとなく深呼吸をした。


 通り掛かりの騎士たちの視線を感じる、期待と憧れのこもった眼差しに、未来は美しい笑みを返して歩き出す。

 ──多くの騎士が未来をこう呼ぶ。

 彼女こそが理想的、完璧な「最優」だと。

 


「疲れたぁ……」


 多くの騎士が行き交うロビーを通り抜け、上階へと向かう昇降機に乗った未来は、中に誰もいないことを確認してから呟いた。


 窓越しにロビーを見下ろせば、様々な色の騎士服が行ったり来たりしている。

 全ての騎士団が集う場所、所属の違う騎士たちが行き交う此処ではやはり、未来は気を抜くことができない。


 視線を上げて、未来は昇降機が目的の階に止まるまで待つ。

 向かうは最上階である六階、騎士を統べる長がいる部屋だ。



 昇降機から降りて、未来は迷うことなく廊下を歩き出した。


 六階は各騎士団長の部屋や、主に幹部たちが使う会議室、何部屋にも分けられた資料室などで構成されている。

 ここまで上がってくれば誰かとすれ違うことも少ない、幾らか気が楽だ。


 並んだ扉を数えながら曲線を描く長い廊下を歩き、執務室の前で未来は足を止めた。

 この階まで来る者は大体、この部屋の主に会いに来るのだ。


 ──統合騎士団の団長にして五つある騎士団を取り纏める、騎士長という存在。

 未来たちを拾って騎士寮で育ててくれたひとが、この扉の向こうにいる。


 未来は躊躇うことなくノックをした。

 はーいと気楽な返事が中から聞こえてくる、どうやら騎士長にもなると部屋の中から扉の向こうに誰がいるのか分かるらしい。


 未来の方も気楽な気持ちで、扉を押し開け中に入った、本部という場所が厄介なだけで、別に緊張する相手ではない。



「やぁ未来、お疲れ様。

 休日だと聞いていたけど、わざわざ顔を見せに来てくれたのかい?」


 部屋の奥に置かれた執務机が、書類の束に食われている。

 窓を背にして椅子に腰掛け、統合騎士団を示す青の騎士服を着た男性がいた。


 男性は柔らかい笑みと共に、未来のことを迎え入れる。


「お久しぶりです、翔さん」

「久しぶり未来、座ってどうぞ」


 男性は騎士には珍しく眼鏡をかけている。

 視力低下の起こらない騎士には必要のない物のはずだが、未来が初めて出会ったときからこのひとはこうだった。


 彼こそが騎士長であり、未来を拾ってくれたひと。

 五年前、あの家の血溜まりで途方に暮れていた未来を引き上げたのは、このひとの手だった。

 外の世界の常識と、勉強や本の楽しさを未来に教えてくれたのも他ならぬ彼である。


 薫が母であるなら彼は「父」だ、未来だけではなく騎士寮生にとっての。


 神楽衣翔かぐらぎしょう、薫の夫でもある彼は長椅子に座るよう未来を促す。


「長居する気はないのですが……」

「二ヶ月ぶりなんだ、少しくらい付き合ってくれ、ほらお菓子も出してあげよう」


 まるで子どもみたいに弾んだ声音で言いながら立ち上がる翔を止めきれず、未来は言われた通り長椅子に座った。

 戸棚から菓子の箱を取り出しながら、翔は未来に問い掛ける。


「騎士寮の方はどう?

 みんな元気に過ごせているかな」

「小さい子たちは大丈夫ですよ、今日も元気いっぱいで。

 薫さんも変わりなく……翔さんに何か伝言あるかって聞いたんですけど特にないって」


 あはは、と翔の笑い声が響く。

 テーブルの上に菓子を置き、未来の向かい側の椅子に座った彼は、心底から楽しそうな顔で言った。


「薫ちゃんらしいね。

 気を遣ってくれてありがとう、でも大丈夫、連絡ならちゃんと取り合っているから」

「……いつのまに?」


 翔の発言に対し首を傾げた未来は、浮かんだ問いをそのまま口にした。

 毎日仕事に忙殺されている翔がこの部屋から出たところすら見たことがない。

 連絡を取る暇なんてあるのだろうか……それを言ったら今だって未来に構う余裕なんか彼にはないはずだけど。


 翔は悪戯っ子のように笑って、人差し指を口に当てながら言った。


「そこは、お父さんとお母さんの秘密」

「……えぇ」


 胡散臭い、と顔に書いてある未来のことを見て、翔はこれまた楽しそうにしていた。



「それで未来、本題は?

 ただ顔を見せに来たわけじゃないだろう」


 紅茶まで出されて、滅多に食べれない高級お菓子に夢中になっていた未来は、翔の問い掛けで我に返った。


 そうだ、と本来の目的を思い出し、口いっぱいのクッキーを嚥下する。

 今の彼女の様子はとても最優の騎士には見えなかったわけだが、お菓子にがっつく未来のことを見る翔の瞳は穏やかなものだ。


「翔さんなら知ってると思って来たんです。

 ちびっこたちには会えたんですけど、には会えなくて」


 未来の言いたいことを察した翔は、ああと頷いた。


「なるほど、それで僕のところに。

 騎士寮生は大人気で忙しいからねぇ……今のところ、誰も本部に来てるって報告は受けてないかな」

「そうですか」


 返答を聞いた未来はしょんぼりと肩を落とした。

 騎士寮生が仕事を終えて騎士団本部に戻ってくると、保護者であり管理役である翔に報告が行くようになっているのだ。


 幼馴染たちが本部の何処にいるのか、翔になら大体わかるのである。

 自分で探して回るより手っ取り早いと思ったから、未来はまず彼に会いに来たわけだ。


 翔がいないというのだから、幼馴染たちは今、自分が仕える王国か人類圏外で仕事をしているのだろう。

 そうなると、未来が会いに行くことは難しい。

 未来の事を励ますように、翔は口を開く。


「未来のおめでとう会には全員参加だろう?

 僕はいけないから、申し訳ないけど」

「いいえ、お気になさらず。

 自分の役割を果たすことが騎士として最優先ですから、お仕事してください」


 うっと苦しそうな声を出す翔から視線を外して、未来はあーあと呟いた。


「会いたかったのになぁ」

「会えるさ、大丈夫だよ。

 みんな強いし、何より生き残り運がある」


 運頼みなんか上手くいった試しがない、とは口に出さず、未来は翔に笑顔を向けた。


「用が済んだので、帰ります」

「ああ、もう帰っちゃうのか。

 これから暇ならお父さんの仕事を手伝っていかない?」


 断られると分かっていながら、冗談めかして発された翔の言葉を、未来は笑顔のまま切り捨てた。


「休日出勤はしません、では」


 出された紅茶とお菓子を全て平らげて、未来は立ち上がる。

 だよねぇ、と笑顔を絶やさぬまま翔も立ち上がり。


「そういえば、人間の子どもを助けたんだって?」


 歩き出そうとしていた未来は、掛けられた言葉に立ち止まり翔のことを見つめた。


 耳に届いた言葉によって未来の脳裏に、駆けずり回った戦地の光景が浮かぶ。

 ……破られた結界、溢れる天使、悲鳴を上げる人々と、未来だけが自由に動ける状況。

 無我夢中で戦い救い続けた人間の中には、確かに怯える少年の姿があった。


 事実だ、未来は翔にまでその話が届いていることに驚きながら頷く。

 そして微笑みながら、眉を下げた。


「でも、怖がられてしまいました」


 ……足を折って、天使から逃げる術をなくし、食われる寸前だった人間の少年を、未来は確かに助けた。

 しかし差し伸べた手は取っては貰えなかったのだ、異形を容易く殺せる存在など、人にとっては恐ろしいものでしかない。

 

 未来のことを見つめていた翔は、少し考えてから言葉を返してくれた。


「そうだねぇ、残念ながら良くある事だ。

 だけど未来は騎士としても、箱庭に生きる者としても正しいことをした」


「胸を張っていいんだよ、未来。

 君はこの惑星で、生きていていいんだ」


 心のこもった、彼が今言える最大限の言葉を貰って、未来は少しだけ安心する。

 ……安心して初めて、自分が不安そうな顔をしていたことに気が付いた。


 そうか、わたしは不安だったんだ。

 最優の騎士としてちゃんと、人の味方であれたかどうかが。


「ありがとうございます、翔さん」


 満面の笑みで礼を言うと、翔もまたほっとしたように笑ってくれた。

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