第6話 『特殊犯罪捜査課』。

 そこは、芸大の美術室だった。

 一人の青年が熱心にキャンバスを見つめていた。

 葉月は青年の背後に立って、絵の出来に感動を覚えていた。


「こちら側に戻ってくるという考え方は無いのかい?」

 青年は葉月の顔を見ずに訊ねる。


「佑大。私と付き合う時になった時から言っていたけど、貴方は私に“異性としての理想像”を押し付けて欲しくない。私は貴方の都合の良い恋人じゃない」

「僕が君にとっての都合の良い恋人なんだろう? でも、これはやっぱり、言っておかないと」

「ああ。また人を殺すのか? って? それを止めろって?」

 葉月は薄ら笑いを浮かべる。


「佑大。私はサイコだ。贔屓目に見ても、パーソナリティ障害の塊で。貴方との交際でさえ、自分の利害関係をつねに頭に浮かべている。純粋な感情で貴方との付き合いが上手く出来ない」

「僕は君にずっと、振り回されっぱなしってわけか」

 細身の青年は溜め息を付く。


「心ボロボロなんじゃない? 境界例のパートナーは鬱病を発症する事が多いらしい。貴方は私の心をつかみたいのだろうけど、私はつねに対人関係を白か黒かで考えるようにしている。こいつは“敵”か? こいつは“利用価値”があるか?」

「いや。葉月。君は頭が良すぎるだけだよ。そして男性性が強すぎるだけだと思う」

 佑大はキャンバスを睨んでいた。

 色彩が好ましくない事を厭っている。


「神と信仰の話をするわ。佑大」

 葉月はカーテンを開く。


「処女は偶像的に崇拝される。最近では違うけど、昔は童貞も信仰対象だったわ。修道女は神と婚礼をする為に男性経験を拒む。そう言えば日本で言う処の巫女もそう。もっとも、巫女は娼婦である、という伝承も聞くけれど。キリストを産んだ聖女がそうであるように、私は自分自身の身体が純潔でいたいんだ」

 葉月は窓の外を眺めていた。


「君は自身の病的な潔癖症を、思想や個人的に作り上げた妄想。宗教的な言葉によって、上書きしようとしているんだ。他者との触れ合いが出来ない。他者との親密な関係性に恐怖を覚えている。根源的な恐怖だ。その最もたるものが、性行為。君は、僕と付き合う時に、プラトニックを前提にしたね」

 佑大はキャンバスに筆を走らせていた。


「僕にはキスもしてくれないのかい?」

 佑大は優しく笑う。

「貴方が死体になったら、考えるわ」

 葉月は笑う。


 真っ赤な夕日が部屋の中に差し込んでくる。


 葉月は両手を広げる。

 まるで、葉月の背中に真っ赤な翼があるかのようだった。


「私は神の領域に行きたい。その視座を見据えたい。……でも、佑大。貴方はいつも言う。これ以上、罪を重ねて欲しくない、と。今回は、そうじゃない…………」

「今回、僕に相談があるんだろう。君はいつも、僕に相談する時に、君の妄想の……ごめん……。君の思想の話をするね」


 キャンバスに描かれているのはドメニコ・ディ・ミケリーノという画家の《ダンテ、『神曲』の詩人》という絵画の模写だ。真ん中に詩人であるダンテがいて、左手に地獄と煉獄が描かれ、右側にイタリアのフィレンツェの町が描かれている。奥には天界が描かれている。十九歳の佑大は絵描きとして天才だと言える。パース。色彩感覚、デッサン力が素晴らしく、複雑な構図も再現出来る。更に佑大は大学の方で出される課題と同時に、速筆で絵を仕上げる事が出来る。彼は芸大での成績も優秀らしい。


 葉月は筆を取って、色彩に赤を足していく。

 筆は地獄の景観をなぞっていく。


「もっと本物より真っ赤な方がいい」

「じゃあ。そうするよ」

 葉月は筆を置く。

 

「オレンジも足そうか。君はオレンジが好きだろう?」

「そうね。焼ける夕日は素晴らしいわ。花も空の色彩もオレンジは本当に美しい。燃える炎はとても綺麗、焼け落ちる都は涙を流して、言葉を失うくらいに美しい」


 彼女は時計を見ていた。


「明日。向かうわ。警察に」

「自首でもするのかい?」

「いや。誘われている。ほら、外国の警察がよくやっているでしょ? ある特定の犯罪者を捕まえる為には、その道の専門家の犯罪者に協力を願い出るって」

「ああ。成程。そういう事か」


 キャンバスに赤とオレンジの色彩が足されていく。



 昼宵葉月は、とある区域の警察署へと向かった。


 手紙によれば、確か此処に『特殊犯罪捜査課』がある筈だ。


 それなりに大きな警察署で、三、四百人の人間が働いているらしい。

 彼女はギターケースとバッグを手にして、少し警戒心を強めながら中へと入る事にした。


 受け付けの人間に話を聞く事にした。


「ああ。あそこなら、アポを取れば入れますよ」

「一般人でも大丈夫なの?」

「ええっ」

 受け付けの人間は、まるで、その課を煙たがっているかのような顔をしていた。


「大丈夫だそうです。地図を渡しますので、今、行っても大丈夫だそうです」

「ありがとう…………」

 葉月は渡された署内の地図に従って、特殊犯罪捜査課を訊ねる。

 地図には印が描かれている。

 それにしても…………。


 特殊犯罪捜査課のオフィスは二階の端にあった。


 まるで、物置のようにひっそりとしている。


「ああ。お客様ですね」

 中から一人の小太りの男が出てくる。

 見た処、四十代と言った処か…………。

 彼は書類を机の上に置いて、入り口に駆け寄る。


「あ。この部署の職員である、富岡と申します。一応、刑事です」

「刑事さん…………?」

 葉月は少し困惑する。


「此処、オフィス。狭くない? 何というか、まるで…………」

「物置みたい、ですか? あ、でも、ちゃんと、パソコンが三台。コピー機だってあります。あ、そうだ。防犯カメラもありますっ! 台所もですっ!」

「刑事ドラマでオフィスとか見るけど、狭くないかしら? 此処…………?」

「そうですね。なにせ、特殊犯罪捜査課のメンバーは、三名しかいませんから…………」

「…………。はあ………?」

 葉月は首を傾げた。


「一応、刑事なんでしょ?」

「刑事課と仲悪いんです。私も、その、左遷させられて、此処に配属されましたから。あ、お茶を用意しますので、どうぞ」


 葉月はお茶を出される。

 錆びていて、汚いデスクだった。

 その前にある椅子に座らされる。


「私は、その、犯人として事情聴取を受けに来たのかしら? 事件の参考人として…………っ!」

 葉月は露骨に怒りを露わにし始めた。


「俺達は刑事課の連中と仲が悪いんだよ。露骨なイジメだな、これは。ろくに備品を与えてくれねぇーんだ。刑事課の連中の面子があって、特殊犯罪捜査課ってのはマジで嫌われている」

 部屋の奥で書類を顔に置いて、居眠りをしていた男が、顔から書類を机に置く。

 三十代半ばくらいの男だった。

 よれよれのスーツを着ている。

 無精髭ばかりで、ろくに髭を剃っていない。清潔感の無い男だった。


「一応、俺も刑事だ。此処に配属されて長い。崎原玄と言う。宜しくなっ!」

 そう言うと、崎原は葉月に手を伸ばして握手を求める。

 葉月は露骨に嫌そうな顔で、握手を断った。


「あんた、昼宵葉月だろ? 刑事課の連中、脅迫したんだってな? 俺にもそのやり方を教えてくれよ。裏金作りしているカスばかりなんだよ。アンタとは、会ってみたかったぜ。スゲェ、スカっとした」

 崎原は、本当に、嬉しそうな顔をしていた。


「貴方、本当に刑事……?」

「ああ? 極道に見えるのか?」

「商社で使えないから窓際族やっているサラリーマンに見える」

「…………。ああ? やるか、この野郎!? しかし、園田と笹神を殺害した疑いがお前にはあるな。あの二人は刑事課の連中の中では珍しく正義感が強く、有能だった。先日、他の警察署から配属されてきたからな。……交通課の次に、うちの刑事課はゴミクズが多かったが、惜しいのは、生きる価値があるべき人間が消えた事だな」

 そう言いながら、崎原は煙草を吸い始める。

 箱を見るとタール度の高い煙草だった。


「それにしても、刑事課の人達と仲悪いって、もしかして、合同捜査とか出来ないの?」

「ああ。刑事課の連中、頭固いしな。あ、でも、刑事課の奴らの中でも、鑑識とは仲が良い。鑑識の連中を通して、俺達の処に仕事が回ってくるからな」


「取り合えず、防犯カメラ切ってくれないかしら? その、監視カメラ。それから、私の声とか録音してないわよね?」

 葉月は、防犯カメラを睨み付ける。

 富岡は快く言われた通りに、防犯カメラを外した。


「さて。今、何も録音されていないし、記録されてないわよね?」

 葉月は、崎原と富岡の顔を吟味する。


「ああ。そうだ」

 崎原は煙草の灰を灰皿に落とす。


「私は『ネクロマンサー』だ。“ゾンビ”を作れる。私を現わす言葉で、それ以外に説明が必要かしら?」


「何しに来た? 此処に?」

「その、刑事課の連中かしら? 私は手紙を受け取っている。『特殊犯罪捜査課』の手伝いをしたら、私のこれまでの容疑に眼をつぶる、と。あるいは、これからの多少の容疑にも眼をつぶる、とね」

「ああ。お前には、夫婦惨殺事件と、七月のテロ事件。同じく七月の笹神刑事殺害事件。それから六月の園田刑事失踪事件。それらの重要参考人だからなあ」

「後。十九歳女性五名の殺害にも関与しているわ。それらも覚えておいて」

「ああ。覚えておく」

 崎原は二本目の煙草に火を点ける。


「単刀直入に言うが。昼宵葉月。やって貰いたい事がある」

「何かしら?」

「『腐敗の王』に関しての情報が欲しい。刑事課の連中が今、捜査をしているが、刑務所に入れたいんだってよ。令谷は呆れて声も出ないと言っていた。令谷から話を聞いたんだが、お前と令谷が殺し合っている最中に、腐敗の王が仲間を連れて襲撃してきたんだってな?」

「……ええ、そうね…………」


「なあ。お前の所謂、シリアルキラーなんだろ? あるいは“異能者”。あるいは令谷が言う処の“人狼”。つまり、化け物。何か、腐敗の王に関して、プロファイリングが出来ないか? どんな人物で、何を目的として犯行を重ねているのか。此処、数日は、その話題で持ち切りなんだ」


「ファイルはあるかしら?」

「こちらに」

 富岡がそう言って、腐敗の王に関するファイルを葉月に渡す。


「私、富岡が、犯人のファイルをまとめる仕事をしています。以後、宜しくお願いします」

「そう。よろしく」

 葉月はファイルに眼を通した。


「少し一人で考えたいわ。一人になれる部屋はある?」

「ああ。個室がある。そこに行ってくれ」


 部屋の中に、新たな人物が入ってきた。


 牙口令谷だった。

 水色の髪に耳は大量のピアスをジャラジャラと付けている。

 服装もパンク・ファッションに見える。

 どう見ても、一番、警察の人間に見えない。

 

 葉月は令谷と互いに、睨み合う。


 しばらくして、令谷は小さく溜め息を付く。


「ああ。せいぜい、仲良くしようぜ」

「…………。私は腐敗の王のプロファイルを任されている。しばらく個室で一人になっていいかしら?」

「どうぞ」

 令谷はオフィスに座った。


「ああ。そうそう、お前のツレだろ? 警察署の前で待っていたから、俺が連れてきた。何も問題無いってな」

 令谷の後に、オフィスに入ってきたのは怜子だった。

 彼女は額にガーゼを付けていた。

 怜子はガーゼを取り外す。

 昨日、令谷が撃った筈の頭に開いた穴は消えていた…………。

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