第25話 バターチキンカレー④

「来たわね」


 いつもの受け渡し場所に行くと、今日はケニーの方から声をかけてきた。

 既に慣れてきたせいなのか、いつもより心なしか声が弾んでいる。


「…………」

「どうしたの?」

「いえ。いつもありがとうございます」


 正義はバターチキンカレーをケニーに渡す直前、彼女の顔を真っ直ぐと見据えた。


「な、なに?」


 相変わらず髪色も目の色もわからないが、いつもと違う正義の雰囲気にケニーが動揺しているのはよくわかった。


「どうしていつも俺のことを聞いてくるの?」

「…………!」


 息を呑む音がハッキリと聞こえた。

 どうやら自分が質問をされるとは思ってもいなかったらしい。

 次いでケニーはわかりやすく俯いた。


「別に……深い意味なんてない……」

「えっ、意味なかったの?」


「屋敷の外の人がどういう人なのか、ちょっと気になっただけというか……。違う人と話をしてみたかった……だけ……」

「屋敷?」


 正義が復唱すると、ケニーは「あっ……」と口を押さえる。

 その反応に何かを察した正義はキョロキョロと周囲を見回し、近辺に誰もいないことを確認してから続けた。


「正直に教えてくれる? 君はどこから来てるの?」


 敬語をやめたのは、店員ではなく『正義』として今は接しているから。

 さすがに毎晩夜に出歩く少女のことを、これ以上見て見ぬふりをすることができなかったのだ。


 昨日までの大きな態度とは一変、ケニーは肩を小さくしながらある一方を指差す。


 指の先の延長線にあるのは、ここら周辺でひときわ大きな屋敷。

 誰が見ても、上流階級の中でもさらにトップクラスの家だと一目でわかる家だ。


「あれが君の家?」


 ケニーはこくりと頷く。


「めちゃくちゃ大きいね……」

「お父様はヴィノグラードの領主だから……」

「なっ――!?」


 消え入りそうな声で発したケニーの情報に、正義は咄嗟に声を上げてしまっていた。

 この世界の身分のことはまだよくわかっていないが、それでもヴィノグラードで一番上にいる人だということは間違いないだろう。


「つまり君は、領主の娘さん……」


 ケニーは黙したまま再度頷く。


「そんな君が、どうして毎晩宅配の注文を? しかもこんな外で」


 正義が聞いた瞬間、ケニーはバッと顔を上げて拳を握る。


「だって、あまりにも自由がなかったんだもの! 毎日毎日勉強勉強勉強って! しかもスケジュールは分刻み! 自由に動けるのはこの時間になってからだったの! だから私っ――」


 言っているうちに色々とこみ上げてきてしまったのか、ケニーの声が涙に濡れたものに変わっていく。


「メイドさんの一人が掃除の時に落としたチラシを拾って、街にはこんなお店があるんだって初めて知って……。でもお父様に言っても絶対に許可が下りないと思ったからこっそり注文することにしたの……。それで窓から抜け出してきてた」


「そうだったんだね」


 ついに我慢の限界を迎えたのか、ケニーの目から涙が頬を伝ってしまった。

 正義はフードの上から少女の頭をそっと撫でる。


「お弁当、美味しかった?」


 正義が聞くと、ケニーは手の甲で涙を拭ってから大きく頷いた。


「うん、とっても」

「なら良かった」

「屋敷の料理も美味しいんだけど、このバターチキンカレーは今まで食べてきたどんな料理よりも美味しいと思うの。すっかりハマってしまったわ!」


 鼻声ながら笑顔を見せてくれたことに正義は安堵する。

 これまで受け取る場所が外だった理由も納得した。

 怒られることを避けてのことだったのだろうが、彼女にとってこれが父親に対するささやかな反抗でもあったのだろう。


「お金は大丈夫だったの?」

「お小遣いは貰ってたから……。でも週に1度しか外出できないせいでだいぶ貯まってる」

「そっか……。君の事情はわかったよ。でもやっぱり、女の子が夜に人通りのない所に行くのは――」


「こんな所で何をしている」


 突然横から飛んできた低くて鋭い声に、正義も少女もビクリと肩を震わせる。

 声のした方に顔を向けると、あご髭を生やした中年の男性が立っていた。

 スラリとした長身。背筋が伸びたその立ち姿からは隠しきれていない威厳が滲み出ている。


「あ……お父様……」


 小さく呟いた彼女の声は僅かに震えていた。


(この人が領主……)


「こんな夜にこっそり抜け出すとはどういうつもりだ、アマリル」


 どうやらアマリルというのがこの少女の本名らしい。

 カルディナが予想していた通り、注文時に名乗っていた『ケニー』というのは偽名だったみたいだ。


「そもそもその男は何だ? お前がアマリルを唆したのか。それでこんな場所に!?」

「ち、違うのお父様! この人はお店の人! 私が呼んだの!」


「店? いったい何の店だというのだ」

「お弁当屋さんよ」

「…………何だそれは」


 いぶかしげな視線を正義に注ぐ領主。


(確かに「弁当」という単語と意味を知らなかったら、こういう反応になっちゃうよなぁ)


 元々正義がこの世界に持ち込んだ言葉だ。

 まだまだ知らない人の方が多い。


「お店で作ったできたての料理を皆さんの家に運んでいます……」


 その視線に怯みながらも正義は説明する。

 すぐに理解できなかったのか、領主は少しの間沈黙してしまった。


「料理を運ぶ、か。それを証明するものはあるか?」

「こちらがうちの店のチラシです」


 宅配バイクからチラシを取り出して渡すと、領主は真剣な目で視線を這わせ始めた。


「連絡先も書いてある。南区にある店か。確かに嘘は言っていないようだが……」

「お父様。そんな言い方――」

「お前は黙ってなさい」


 ぴしゃりと言われ、アマリルは肩を竦めてギュッと目を閉じる。

 しばしチラシに目を通していた領主だったが、ほどなくして再度正義を見据えた。


「明日、あそこの家までこの弁当とやらを持ってきなさい。アマリルが注文したやつをだ」


 領主は屋敷を指差しながら固い声で告げる。


「えっ……」

「私の分とアマリルの二人分を注文すると言っている。いいな。必ず持ってくるのだ」

「わ、わかりました」


「すまんが今日のところは引き取ってくれ。娘が注文した分の金は出す」


 有無を言わさぬ雰囲気に、正義は首を縦に振らざるをえない。

 流れのままに領主からお金を受け取るが、弁当をアマリルに渡せなかったことが鈍い痛みとなって正義の胸に広がっていく。


「さて、こんな所で長話していたら目立つ。ひとまず今日のところは帰るぞアマリル。詳しいことを聞くのはそれからだ」


 領主に背中を押され、不服な表情のまま俯くアマリル。

 正義は何も声をかけることができないまま、去っていく二人の背中を見つめることしかできなかった。

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