第26話 バターチキンカレー⑤

「というわけで弁当を持ち帰ってきました。すみません」

「まさか領主様の娘さんだったとは……。あ、持って帰ってきたやつは気にしなくていいよ。私の晩ご飯にするから」


「はい……」

「元気出してよ……と言いたいところだけど、あの子のことを考えるとねえ」


 アマリルはバターチキンカレーを本当に気に入ってくれていただけに、余計心が痛む。


「とにかく、明日は夜の時間は空けておかないとね。うう……胃が痛い……」

「どうしたんですか?」


「私の作った料理を領主様に食べてもらうことになるなんて、考えたことすらなかったからさ……。口に合わなかったらどうしよう……」

「カルディナさんがそこまで頭を抱えるなんて珍しいですね」


「だって領主様だよ!? ヴィノグラードの! お金持ちの人が毎日食べてる料理とか絶対に美味しいに決まってるじゃん!? 私ら庶民とは味覚が違うって!」

「でもケニーさん……じゃなかった、アマリルさんは気に入ってくれてたじゃないですか」

「子供と大人じゃやっぱり違うよぉ……」


 半泣きになりながら肩を落とすカルディナ。

 とはいえ、彼女にはこのプレッシャーを乗り越えて作ってもらうしかない。

 既に約束(一方的だが)をしてきてしまったのだから。


「それじゃあ俺、今からトンカツを作りますからカルディナさん食べてください。持って帰ってきたバターチキンカレーは俺が食べますから」

「いきなりどうしたのさ?」


「忘れたんですか? 験担ぎですよ。カルディナさんはどんな状況でも『カツ』ことができる人だって、俺信じてますから!」


 カルディナは目を丸くしたまましばらく呆然としていたが――。


「ふふっ……あははははっ!」


 いきなり声を上げて笑い出してしまった。


「な、なんでそこで笑うんですか!?」

「ごめんごめん。だって本当に突然すぎるんだもん。でも、うん。ありがとうマサヨシ。そのトンカツを食べて、明日頑張るよ私」


 真面目に励ましたつもりなのに笑われたのはちょっとだけ納得いかないが、いつものカルディナの笑顔に戻ったので正義は良しとする。


「あ、カルディナさん。今朝食べたパンは余ってますか? あのちょっと柔らかいやつ。バターチキンカレーに付けて食べてみたくて……」

「なにそれ!? 絶対に美味しいやつじゃん。私も食べてみたいよ! やっぱトンカツはなし! 明日は自力で頑張る!」

「あっ、はい」


 この香辛料から作ったカレーならナンに付けて食べても美味しそうだな――とふと思って聞いてみたのだが、カルディナの好奇心にも火を付けてしまったらしい。

 以前カルディナはパンを作ることはさすがにできないと言っていたので、『ナンカレー』が宅配メニューに加わることはないだろう。

 が、これからの夕食のメニューは一つ増えることになりそうだ。






 次の日は少しだけ早く宅配の注文を打ち切った。

 約束の夜に備えてだ。

 さすがに今回は状況が状況だけに、弁当を渡してはいさようなら、というわけにはいかないだろう。


「できたよ。バターチキンカレー二人前」


 弁当容器に入った湯気の立つカレーを見つめる正義。

 見た目はもちろん、相変わらず胃を刺激する良い香りだ。

 念のため味見もしたが申し分なかった。


「では行ってきます」

「うん。気をつけて……」


 やはり不安なのか、カルディナの声に覇気がない。

 でも彼女はやるだけのことはやってくれた。

 仮に領主の口に合わなかったとしても、その時はその時だ。

 この二人で作り上げたバターチキンカレーは、店を利用してくれているお客さんたちからは「美味しい」という評価をたくさんもらっている。その事実は変わらないのだから。


 正義は頬を両手で軽く叩いて気合いを入れてから、宅配バイクに跨がるのだった。






 指定された時刻に到着した正義。

 立派な門構えに広い庭。

 改めて見ても「大きい」という感想以外出てこないほど立派な屋敷だ。


 正義は小さく深呼吸をしてから、ドアノッカーを軽く鳴らす。


「こんばんは。『羊の弁当屋』です」


 待つことなくすぐにドアは開いた。

 そこに立っていたのは妙齢の女性。無機質な表情がちょっとだけ怖い。

 格好から推測するに、屋敷に仕えるメイドで間違いないだろう。


「お待ちしておりました。ご主人様からお話は伺っております。どうぞこちらへ」


 女性は正義に淡々と告げると、屋敷の奥へと正義を案内する。

 大きな廊下の左右にはいくつものドアがあり、これだけでこの家の広さが充分にわかる。

 メイドはそのまま大きな階段を上りしばらく歩くと、とあるドアの前で立ち止まった。


「お連れいたしました」

「うむ、入れ」


 短い返事の後、メイドがゆっくりとドアを押し開ける。

 非常に広い空間の中央に、白いクロスがかけられた長テーブルが置かれてあった。


 真正面に座っているのは昨日会ったばかりの領主。

 その脇に金髪の少女が手を膝に置いて座っていた。

 まず間違いなく、彼女がアマリルだろう。

 今までフードで隠れていたのでアマリルの顔をハッキリと見るのは初めてだが、やはり正義が予想していた通りまだまだ幼い顔立ちをしていた。


「約束通りお持ちしました」

「来てくれて感謝する。昨日は挨拶しそびれていたが、ヴィノグラード領主、ハイネルケンだ。改めてよろしく頼む」

「は、はい。俺は『羊の弁当屋』の従業員、大鳳正義です」


 本人の口から発せられた『領主』という単語は、想像以上に正義の体を緊張で縛り上げる。

 日本にいた時に会ったことがある目上の人は、バイト先の店長と教師くらいしかいなかったからだ。


「アマリル。お前も挨拶なさい」

「…………」


 しかしアマリルは視線を膝に落としたまま微動だにしない。


「すまん。昨日からずっとこんな感じでな。話も聞けていない。ひとまず持ってきた料理を出してくれ」

「は、はい。こちらがご注文のバターチキンカレーです」


 何とか緊張で頭の中を白紙にすることなく、正義は保温バッグから弁当容器を取り出してテーブルに置いた。

 ハイネルケンが蓋を開けた瞬間、香辛料の良い香りがふわりと広がる。

 彼の目元が一瞬だけピクリと動いたのを正義は見逃さなかった。


「疑っていたわけではないが、本当に温かい料理を持って来たのだな。この料理も初めて見るものだが――確かに香りは良い」


 褒めてくれてはいるが、感情が乗っていない淡々とした口調なので素直に喜んでいいのかはわからない。


「早速だが頂くとしよう。アマリル、お前も食べなさい」


 無言のままアマリルもスプーンを手に取る。


 そして静かな食事は始まった。


 正義はお客さんが宅配弁当を目の前で食べているのを見るのは初めてだ。

 ただ、非常に居心地が悪い。


 アマリルも父親がいるせいか、表情を動かすことなく黙々と食べ続けている。

 ハイネルケンも動かしているのは手と口だけ。

 正義は二人が何も言わずバターチキンカレーを食べているのを、ただ突っ立って見ていることしか許されなかった。

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