マドレーヌの葉っぱ

「変だな。君の言葉や心は夜半の篝火のように暖かいのに、手はこんなにも冷たいのか」


 数時間後。青年は眠る事もできずに譫言を繰り返していた。可哀想に思ったセヴォンは今晩だけ同じ部屋で眠ってやる事にした。『愛する母親』という感覚はセヴォンにとって共感しかねるものだったが、一先ず〈幼い頃からまるで己の守護天使であるかのように慕っていた人〉に突然、包丁を向けられたようなものだろうと解釈していた。


「君のような王女が出る話を知っているぞ。何だったかな……ああ、そうだ、『白雪姫』だ。黒く輝く立派な髪に、雪のように白い肌……君、まさか小鳥と話せたりしないだろうな?君の実家は森の中にあって、しかも、の小屋だったりして……」

「実家は広場の近くでしたけど、確かに子猫とか子鹿とかとは縁がありますね。……良い迷惑ですけど」

「そうか、そうか。良いなあ。すごく羨ましい。私はよく犬に吠えられるんだ。私と君と、何が違ったんだろうな……」


 青年はそこまで話すとと起き上がって灯りを手繰った。

 小さなオイルランプに火を灯してセヴォンを振り返る。


「地下へ行く。……一緒に」


  ◇


 断る理由などなかった。断ったらそのまま地下で死なれてしまいそうだった。しおれた背中を支えながら二人で邸を出る。地下室へ続く秘密の扉は中庭にあった。青年はセヴォンに助けられながら歩いている間もずっと母親の話をしていた。母上はとにかく童話が好きで、何かとメルヘンティックで、時々おかしくて──もう夫がいるのに国中のうまやを回って白馬を探していたり、狂ったように庭を薔薇だらけにしてみたり、古いぬいぐるみを口元へ寄せながら裏声で話しかけてきたり、ボロ屋を指差しては「綺麗なお城だ」とはしゃぎ倒したり──青年が言葉を重ねる度にセヴォンは嫌な思いをした。まるで自身の母親について聞かされているようだった。あの女には6歳かそこらで家を飛び出されたから大した思い入れもないが、確かに自分も似たような体験をした覚えがあった。


 先に結論を述べるが、この時セヴォンが抱いていた嫌悪はあながち間違いでもなかった。


  ◇


 青年が今にも消えきそうな細火を頼りに地下室を物色する。やがて一冊の鍵の付いた本を探し当て、外で待つセヴォンの元へ戻ってくる。


「開くと『破裂』する。目を閉じていろ」

「『破裂』?『破裂』って、どういう──」


 古書の錠前が開かれる。カチ、と静かな音がしたのも束の間、一筋の閃光が紙面から放たれて夜空を切り裂いた。白い突風が二人の前髪を搔き上げる。閃光はやがて色を帯び、枝葉に分かれ、その後に琥珀だとか飴細工だとかのように固まって一本の樹になった。──目を閉じなくて良かった。その不思議な樹が他の樹木のそれと違っているのは幹や葉が綺麗な黄金こがね色をしている事と、その葉の上に文字が刻まれている事だった。


 家系図だ。


 セヴォンがそう理解するまでさほど時間はかからなかった。

 青年は黄金の葉を一つずつ手繰り寄せてセヴォンに語りかける。


「この大きな葉が私の祖父、この小さな葉が私自身。この枯れてしまった葉が父上で、その隣が母上の──」

「──マドレーヌ?」セヴォンは遮って口にした。口にせずにはいられなかった。「僕のお母さんと同じ名前だ。マドレーヌなんてな名前の人は世界であの人だけかと……」

「そうだな。きっとあの人だけだ」

「……?ですが、その言い方だと、まるで貴方のお母様が──」いつの間に握っていたのだろうか。青年の手から家系図と同じ色をした光が溢れていた。「まさか……」


「君の、その淡い紫色の瞳……本当に母上そっくりだ。私のものより、何倍も」


 そっとくべられた光の胞子が蝶になって羽ばたいていく。

 蝶はマドレーヌの葉の傍に止まると細い枝に姿を変え、遂には歪な接ぎ木となって固まってしまった。


  ◆


「君の名前は、確かセヴォン(Savant)だったか。──酷い名前だ。ジュヴァン語だと『学者』とか訳すんだろうが、ピエトラでは『奴隷』という意味の品詞で……」青年、いや、種違いの兄は続けた。「このコリンとかいう男と、私の──私達の、母親。どちらが君にこんな名を付けたんだ?」

「きっと父です。確か、そうでした」


 嘘を吐いた。


「そうか。なら、良いんだ。このコリンとかいう男は兎も角、母上は私達の言語の違いを知っている筈だからな。その上で君にセヴォンと名付けたのだとしたら、母上はとんでもない極悪人だという事になるだろう?──では、やはりあの訴状も只の贋作だ。母上は君が知る由もない言語で君に忌名を付けるような人ではないのだから、受取人である私が読むことのできない異国語で訴状を作らせる筈がない。……疑った事を謝らないと。母上は今、何処に居るんだ?国難の容疑者なんかと会ってくれるかは分からないが、とにかく馬を出そう──」


  ◆


「……その、余計なお世話かもしれないが。実は、ずっと君の新しい名前を考えていたんだ」歳の離れた兄は続けた。「──マルグリッド。マルグリッド・フォン・ヴァルデック。……ほら、少し悔しいが『マドレーヌ』と『マルグリッド』でなんだか似ているだろう。それと、ジュヴァン人は皆だと聞いていたから、白と言えば真珠だと思ってマルグリッドと……だが、この噂はひどい偏見だったな。後で皆の誤解を解きにいこう。君の肌は確かに真っ白だが、肝心の髪が真っ黒……」


 デュロアは愛おしいものを見るような眼差しをこちらへ向けた。向けて、固まった。


「君……」

「……?」

「──君、そのは何だ?」

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Vincit qui se vincit 金鶴雨仁 @kntr_1120

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