ザッハブルクへ Ⅲ

「いやあ、生きてみるものですね。まさか、こんなに良い事が続けて起こるとは……」

「行き先が同じだっただけでしょう。大袈裟ですよ」

「私としては、貴方と会えたこと自体が奇跡なんです」


 ふふ、と微笑む男。名前をソーレ・ピストネーと言うらしい。セヴォンはよくも小恥ずかしいセリフをスラスラと吐けるなと呆れて顔を見たが、ソーレの瞳に嘘はないようだった。おそらく、天然タラシか聖職者だろう。ルイははじめ、突然現れた同乗者に驚いていたが、すぐに順応して寄りかかって寝たりしていた。


「本当に奇跡です。会えて良かった」

「……貴方……」

「そうだ、何か悩み事はありませんか?」

 何でも良いですよ、とソーレ。悩み事なんて無限にある。どれを言おうか迷ったが、選考に飽きたので「特にない」と言った。

「それは良かった。今後も難がないようにお祈りしましょう」

「……女神にですか?」

「いえ、何にでも良いんですよ。そうですね……この麻袋にでも祈りましょうか」ソーレは荷台の袋に向き直ると、尤もらしい手順で祈りはじめた。「自分は何かに祈ったのだから、と憂いを断つのが目的ですから。心配事が無くなれば、自ずと何事も上手く行くものです。自己暗示というやつですね」


 ソーレがこのように口走るので、セヴォンは酷く動揺した。袋に向かって祈るなんて、女神などズタ袋に等しいぞと挑発しているようなものだ。いくら常識知らずと言え度、限度を超えている。この男、本当に人間なのか……?──というのは口にしなかったが、本気でそう思った。お祈りは、女神さまにあげるもの。お祈りするときは、女神さまに向かって手をあわせましょう──こんな事、赤子でも知っている。


「それが信仰の正体です。そうやって実力で掴み取ったものをにして、お金を稼ぐんです。酷い話ですよね」


 極め付けに、この爆弾発言。セヴォンは自論に近い発言をされていると言うのに冷や汗が止まらなかったが、じきに落ち着きを取り戻して微笑んだ。


  ◇


 翌日。

 昼になってようやく起きたソーレが馬車から顔を出すと、セヴォンは何かの雑誌を片手に馬車に手を向けていた。

「馬車に魔法をかけるんですよ。見た目を変えたくて……まぁ、見ててください。上手くやりますから」

「魔法──」セヴォンは平然を装っていたが、疲労が蓄積している事は誰の目にも明らかだった。ソーレは馬車を降りてセヴォンに近付くと、セヴォンの手を両手で包んで下させた。「王家の者以外が使用すると体に障ります。私に任せてください」


「……そうなんですか?でも、それだと貴方が……」

 ソーレは指揮者のように手を掲げると、セヴォンが言い終えるより前に魔法を使った。どこからともなく光の粒が集まり、糸状にまとまる。糸は指先の動きにあわせてクルクルと回り、馬車に降り注いだ。

『うわ~……すげえなこの人』


 ソーレが腕を下ろすと、まだ魔法が続いていたのか近くの花々が一斉に芽吹いた。セヴォンは驚きと心配が混ざった目でソーレを見たが、ソーレの顔は白むどころかピンピンしていた。今、彼が軽々と──特に何の事前準備もせず、簡単にやってみせた芸当は、並みの人間が扱える魔法の範疇を超えていたのに。

 まず、あの糸状になった光の粒──正体不明の、人が魔法を使うときに必ず現れる淡い胞子だが、普通の人間はこれを使役するのに膨大な精力スタミナを持っていかれる。その為、魔法の使用中は指先に全神経を集中させなければならないし、先のセヴォンのように背中がガラ空きなったりというのは当たり前だった。それを糸状に整列させ、まるで戯れるかのように旋回させるなど正気とは思えない。

 次に、花の開花。原理を知らなければ「すごい!」の一言で済ませそうな光景だが、知識ある者が見ればあれも異常だった。──今回の場合は花の成長を進めただけだが、使い方によってはこの世の何よりも強い兵器になる。若い兵士を老衰させて無力化するとか、特定の動物だけを若返らせ続けて生態系を破壊するとか……セヴォンはソーレの常識知らずぶりを見て「よく今まで生き残れたものだ」と思っていたが、このようなポテンシャルを秘めていたのなら生き残れて当然だと思い直した。


「ほら、もう旗が見えますよ。早く行きましょう!」


 ソーレはそう言って馬車を飛び降りると、子供のようにはしゃいで門をくぐった。時刻は昼と夜の真ん中で、空は紫とオレンジのグラデーションで彩られていた。

「セヴォンさん」ひとしきり街を見渡した後、ソーレは振り返って小さな声で告げた。「私、実はここの領主なんです」


 隠しててすみませんね、とソーレは笑った。

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