第11話「お持ち帰りの夜」

 ツェツィリアの住まう異界エデンにおいて……

 アルセーヌは結局、ルイの提示した『魂の契約』を断った。

 正確には……

 アルセーヌとルウの会話へ、ツェツィリアが強引に割り込む形で止めたのである。


 不思議な事に……

 一旦アルセーヌが了解した魂の契約締結を、勝手に断られた形のルイであったが、怒るどころか何の感情も見せなかった。


 ただひと言。


「全ては、お前達ふたりが選択する事だ」


 淡々と言い放ち、転移魔法を使い、その場から姿を煙のように消したのである。

 

 果たして、ルイの真意とはどこにあるのか?

 完全な夢魔モーラと化したツェツィリアを、自分に仕える忠実な『片腕』として……

 本当に魔界へ引き込みたいのか?

 アルセーヌには……全く分からなかった。


 更に……

 ルイがいきなり消えた事も、アルセーヌにはとても気になった。

 だが、ツェツィリアは全く意に介していない。


 微笑みを浮かべ、静かに、囁くようにアルセーヌへ告げたのである。


「大丈夫よ、アルセーヌ。お父様はいつもそうなの」


「え? いつも?」


「うん、いつもあんな感じ……用事が済んだら、さっさと行っちゃうの……」


「…………」


 ルイの意図を知りたいと、悩み黙り込むアルセーヌに対し、ツェツィリアは、突如『おねだり』をする。


「それより……私、貴方の家に行きたい」


「え? お、俺の家?」


「ええ、アルセーヌの家よ。今夜は貴方の家に泊まりたい」


「お、お、お、俺の家に!? と、と、泊まるぅ!? だ、だって!」


 若い女子が……

 自分の家に泊まる!?

 今迄アルセーヌが経験した事のない未知の世界だ。


 どぎまぎするアルセーヌを見て、ツェツィリアは悪戯っぽく笑う。


「うふふ、私……魔導水晶で見たわ。王都の女の子が『お持ち帰り』されちゃうの」


「おおお、お持ち帰りぃぃ!!!」


 女子をお持ち帰りする……

 その意味は……女子に全く縁のないアルセーヌだって知っている。


「お、お、お、俺はやってない。やってないからな、そ、そんな事ぉ!」

 

 動揺するアルセーヌへ、憂い気な表情のツェツィリアが迫って来る。

 小さく端麗な顔を寄せて来る。


 そして、囁く。

 咲き誇る花のように濃厚な甘い息が「ふっ」と、アルセーヌの鼻にかかる……


「ねぇ……嫌?」


「い、い、い、嫌じゃない……い、良いよ」


「ホント? ファイナルアンサー?」


「あ、ああ! と、泊まって良いよ」


「じゃあ決定ね! うふふふ」


 どぎまぎしながら、アルセーヌがOKすると……

 ツェツィリアの表情が一転。

 官能的な香りを発する大人の女が、無邪気に……

 まるで童女のような無邪気な笑顔となった。


 というわけで……

 気が付けば、不思議な事に……


 アルセーヌは王都の自宅へと戻っていたのである。

 夢魔のツェツィリアと……可愛い女子と共に。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 狭い……

 ぎゅうぎゅうだ。

 

 普段は、アルセーヌひとりきりで寝ている小さく粗末なベッド。

 しかし今は……

 ツェツィリアとふたり、一緒に寝ているのだ。


 ふと見れば、たったひとつある窓から見えた外は真っ暗だった。

 魔導時計の短針は、午前1時を指していた。

 

 果たして異界エデンでどれくらいの時間を過ごしたのか……

 アルセーヌの居る世界――現世はもう真夜中なのである……


 今ふたりが居るアルセーヌの部屋は、四方を薄汚れた壁に囲まれた小さな空間である……

 ベッドが置かれ、様々な生活用品、魔導書が雑多に置かれた部屋。

 空気も重く澱んでいて、あの広々として、清涼な空気に満ちた異界エデンとは大違いだ。


 アルセーヌは……

 自宅に戻った時の、ツェツィリアの仕草、発した言葉を思い出す……


 狭く汚い部屋なのに……

 ツェツィリアは、大きく目を見開き、「わぁ」と小さく声を出した。

 凄く嬉しそうに笑っていた。


「うふふふっ、これが男の子の部屋……アルセーヌの部屋なのね」


「あ、ああ、そうだ」


「ふうん……単に見るだけと……実際に来るのとでは大違いね」


「え? 見てたの?」


「うん……ごめんね……私、寂しくなると……魔導水晶で、いつもアルセーヌを見ていたの……」


 寂しい時には……

 いつもアルセーヌを見ていた……


 ハッとしたアルセーヌが、ツェツィリアを見れば、彼女はとても切ない眼差しを送って来る。


「ねぇ……今夜は私をきゅっと抱っこして寝て……」


「えええっ!? きゅっと? だ、だ、抱っこ?」


「うん……私、いつもひとりぼっちで寝ていたから……さみしいの」


「…………」


「あの日……森へ置き去りにされた時から……ずっと」


「…………」


「ごめんね……わがまま言って……貴方なんか、ずっとひとりぼっちで眠っていたのに……」


 ずっとひとりぼっち……

 確かに、アルセーヌも、親に見放された、捨てられた日から……

 生まれた日から、たったひとりで眠って来た……


 でも……

 今はひとりぼっちじゃない。

 愛するツェツィリアが、そばに居るのだ。


「…………良いさ、ツェツィリア、一緒に寝よう」


「あ、ありがとう」


 ツェツィリアはかすれた声で礼を言うと、アルセーヌへ「ひし!」と抱きついた。

 そしてふたりは、ベッドへ入ったのである……


 ……アルセーヌも健康な男子である。

 年頃の男子と女子が一緒に寝る。

 となれば、どうなるか期待が高まった。

 妄想が働き出す。


 加えて、ツェツィリアの恰好が、アルセーヌの本能を刺激した。

 会った時とは違う独特な黒いブリオーを、いつの間にか脱ぎ捨てたツェツィリアは……

 薄い生地の、身体が透けて見える、これまた独特の肌着を着ていたからだ。


 陶器のように真っ白な肌は勿論の事……

 細い首すじ、やや膨らんだ可愛い胸、流れるような丸い腰、小さなお尻……

 初めて会い、抱き合った時同様、彼女の髪と身体から甘い香りもする……


 しかし、アルセーヌの期待に反して……

 残念ながら、艶めかしい男女の行為は一切なかった。


 ひとしきりアルセーヌに甘えたツェツィリアは、疲れていたのか、すぐ眠ってしまったから……


 最初は興奮しきりだったアルセーヌも……

 落ち着いて来ると、ツェツィリアをしっかり抱きながら余裕をもって彼女を見る事が出来た。

 自分の胸の中で、軽い寝息を立て眠るツェツィリアは、安心しきった表情をしていた。


 アルセーヌは改めて思う……


 ツェツィリアは、いつも戦っている……

 自分が、いつか人間ではなくなる不安、恐怖と……


 見守るアルセーヌの心に、強い感情が起こって来る。

 固い、決意の気持ちが。


 この子は俺の一番大事な宝物だ!

 絶対に! 

 絶対に守ってやる!

 こんな俺の、命に代えても……

 必ず幸せにしてやるんだ!


 いつしか……

 アルセーヌも寝息を立て眠りに落ちた。

 ふたりが初めて過ごす王都の夜は、静かに静かにふけて行った……

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