第10話「魂の契約②」

 アルセーヌは『魂の契約』の内容を知り、慌てた。

 絶対に、確かめなければならない。


「ル、ルイ様! そ、その契約が! 俺とツェツィリアがパートナーになっても取り消しにはならず有効だと、い、いや! ゆ、有効なのですか?」


「その通りだ……小僧。お前がもしツェツィリアのパートナーになっても、私とツェツィリアの契約は……解除されぬ」


「え? か、解除されない?」


「うむ! 先ほど私が言った通り……このまま時が経てば……ツェツィリアは人の心を失い、冷酷で無慈悲な夢魔と化すだろう。その時、魂の契約は完全に成立する……」


 ルイの突きつけた非情な現実……

 このままでは、ツェツィリアが人ではなくなり、完璧な夢魔モーラとなる。

 運命の出会いをしたアルセーヌの下を離れ、闇深き魔界へと堕ちてしまう……

 そうなれば、彼女とは永遠に会えなくなってしまう。


 絶句するアルセーヌ……


「そ、そんな!」


「そんなもこんなもない……紛れもない事実だ」


「じゃ、じゃあ! ど、どうすれば! ツェツィリアが夢魔にならずに済みますかっ! お、教えて下さいっ!」


 ツェツィリアを救いたい!

 方法を知りたい!


 ルイへ迫るアルセーヌは、徐々に考えが変わり始めていた。

 ……自分と会えなくなるなど、どうでも良い。

 そう思い始めていたのだ。


 両親が人間なのに……

 ツェツィリアは夢魔モーラになど生まれてしまった。

 

 更に、それが理由で……

 彼女を生んだ実の両親から森に捨てられるという、過酷な運命を背負った。

 悲運としか言いようがない不幸なツェツィリアを……

 少しでも幸福にしてあげたい!


 何故ならば、自分が……

 親にあっさり捨てられた、心の辛い痛みを知っているから……尚更なのだ。


 アルセーヌは、もう必死だった。

 ルイならば、『解決方法』を知っているに違いない。

 すがるしかない。


 だがルイは、冷たくアルセーヌを突き放した。


「小僧! 甘ったれるな!」


「う、ぐ……」


 ルイの声は、魔王の持つ威圧、つまり金縛りの効果でもあるのだろうか……

 アルセーヌは、またも全身が硬直したのだ。


 そんなアルセーヌへ、ルイは鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。


「愚か者めが。私は言ったはずだ。お前達が往く道は果てしなく困難だと」


「ううう……」


いばらの道へ進む事を、自ら選んだのだ」


「…………」


「どうすれば、ふたりが幸せになれるのか、他者になど頼らず、自分達で探してみせい」


「…………」


 高い崖から、容赦なく突き落とされたようなショックを受け、アルセーヌは無言で俯いてしまった。

 ふたりの往く道は茨の道……

 ツェツィリアが、「覚悟はしている!」と宣言する。


「お父様、成し遂げます! 必ず! ふたりで幸せになってみせます!」


 ここで……

 突如ルイが、「にやり」と笑う。

 アルセーヌへ、『最初の取引き』を持ちかけた時と同じ笑いだ。


「ふふ、小僧、お前がそこまで言うのならば、私と取引きをしようか? 先ほど以上にとても良い話だぞ……」


「と、取引き? 先ほどよりも!? と、とても良い話なんですか!」


 アルセーヌは、甘い蜜に引き寄せられる蝶のように「ふわふわ」と、たよりなく身を乗り出した。


「そう、素晴らしい取引きだ」


 話を聞いていたツェツィリアは、嫌な予感がした。

 もしかしたら……


「お父様! ま、まさか!」


「ふふ……実は、ツェツィリアをすぐ人間にする方法がある」


「え? ほ、本当ですか、ルイ様っ!!!」

「お、お父様!」


「私にしか発動出来ない……禁呪。すなわち禁断の古代魔法ハイエンシェントがあるのだ……」


「ツェツィリアを人間にする禁呪、禁断の古代魔法ハイエンシェント……」


「アルセーヌ。お前の魂と引き換えに、その魔法を発動してやろう」


「お、俺の魂!?」


 夢魔のツェツィリアを、人間にする超絶魔法。

 ツェツィリア自身、想像はしていたが……

 父と慕うルイから聞いたのは、初めてであった。

 

 しかし魔法発動の代償は……

 想い人アルセーヌの魂なのである……


「お、お父様!」「……ル、ルイ……さ、様!」


 ツェツィリアとアルセーヌの声が、同時に重なった。

 しかしルイは、相変わらずツェツィリアを無視している。


「何だ、小僧」


「ほ、本当なんですか! 俺の魂を貴方へ渡せば、ツェツィリアがすぐ人間になれる……のですかっ!」


 ルイに尋ねる、アルセーヌは……本気だ。

 

 これは……とてもまずい展開である。

 アルセーヌは……ルイに、もう魂をとらわれ始めているのだ……


「だ、駄目! ア、アルセーヌっ!!!」


 ツェツィリアは、アルセーヌを止めようと大声で叫んだ。

 しかし、アルセーヌとルイの話は……

 彼女の制止も関係なく、どんどん進んで行く。


「……ああ、約束しよう。但し、アルセーヌ……お前とも、ツェツィリア同様、魂の契約を結ぶ事となる」


 ルイが約束をした瞬間、アルセーヌは躊躇ちゅうちょなく言い放つ。


「な、ならばぁっ! 俺の魂をすぐ貴方へ渡すっ!」


「え? アルセーヌ!」


 驚いたのは、ツェツィリアである。

 まさか!

 心が通い合ったとはいえ、アルセーヌが自分の為に躊躇ちゅうちょなく命を投げ出すとは……


 しかしアルセーヌは叫び続ける。

 早く、早くと! 


「ルイ様! すぐだ、すぐに魂を渡す! だからツェツィリアもすぐ人間にしてやってくれっ! そして解放してやってくれっ!」


 遂に!

 アルセーヌは、魂の契約を了解したのである。


「ア、アルセーヌゥゥゥ!!!」


 思わず、ツェツィリアは絶叫した。

 暴走するアルセーヌを止めないと!


 しかし、アルセーヌは言う。


「俺は……さっきまで死にたいと思っていた人間だ。魂なんて惜しくない」


 ルイも、獲物を完全に捕らえた喜びからなのか、にやりと笑う。


「ほう、アルセーヌ。さっきからお前はそう言っていたが……やはり死にたかったのか? ならば自分の魂など投げ捨てても構わないな?」


「ああ! こんな俺の魂で、彼女が……ツェツィリアが人間になり、幸せにもなれるのなら! 存分にやってくれっ!」


 覚悟を決めたアルセーヌが、ルイと魂の契約を取り交わそうとした、その瞬間!


 びしぃんっ!


 アルセーヌの頬が大きく鳴った。

 力を込め、ツェツィリアが平手で張ったのである。


「え?」


 打たれた、アルセーヌの頬がみるみる赤くなって行く……

 呆然と、頬を手で押さえるアルセーヌへ、


「馬鹿っ! アルセーヌの大馬鹿っ!」


「ツ、ツェツィリア……」


「馬鹿な事をしないで! 思い直して!! 魂を投げ捨てるなんて! そ、そんな事をして! あ、貴方が! 深き闇へ堕ちたら……」


「…………」


「もしも人間になれたって! 私は絶対、幸せにはなれないわっ! 駄目! 絶対に駄目よ! 駄目だからぁ!!」


 叱責するツェツィリアの言葉が……

 アルセーヌの魂へしみて行く……

 愛する想い人の、温かい、思い遣る言葉がしみて行く……


「で、でも! あ、ありがとう……」  


「…………」


「あ、ありがとうっ! 本当にありがとうっ!! アルセーヌっ! 大好き、貴方が大好きよっ! わあああああああんん!!!」


 ツェツィリアは、呆然と立ち尽くすアルセーヌへ飛びつくと……

 まるで子供のように、思いっきり号泣していたのであった。

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