第二章 報復

「貴方、もうすでに春樹を捨てたのでしょう?良いではないですか、この子が何をしていようと。貴方には関係ないのですから」


「そ、そんなことあるか!こ、こいつの所為で二人も奴隷がいなくなったんだぞ!?ゆ、許されると思うのか!?」


鼻息荒くしながら大声で叫ぶ姿はまるで醜い豚のようだ。変わらない彼の体型を見る限り、贅沢な生活を続けているのだろう。動く度に揺れる贅肉に目がいく。しかし、それを全く相手にしない蒼は涼しい顔をしている。淡々と告げている彼の姿を見て、品位の差が顕著に出ていることをその場にいる誰もが感じ取っていた。


「おや、あの時の言葉を覚えていないのですか?」


「な、何のことだ!」


「私、貴方に言いましたよ。『将来その“子供”に殺されますよ?』と。そのような事が起きないように私は彼を保護しました。そして、彼の才能を見出して陰陽師に育てているのですよ」


冷ややかな目で見つめる蒼の姿を見て、春樹は背筋が何か嫌なものが走る感覚がした。いつも知っている彼の目ではなかった。彼の目の中には何も映さず、ただ真っ黒な闇が広がっている。九条邸で見ている彼とは正反対で、正体不明の恐怖に襲われた気がした。


「そ、そんな事知ったことか!大体こいつはなぁ……!」


「失礼致します。大変申し訳ございませんが、ここでの言い合いは控えて頂いてもよろしいでしょうか?」


「な、何だ、お前は!誰に向かって口をきいている!」


「はい、ですので前置きを致しました。本来ならば貴方のような方には即退寮して頂く所ですが、注意だけで済まさせて頂きました。良いですか。ここは、神聖な場所です。霊力が満ち溢れている場所であり、何が起こるか分かりません。なので、こうして声を掛けさせて頂きました」


二人の話の間に割り込んだのは予想外の人物だった。低過ぎず、高過ぎず、けれど心地良い高さの声の持ち主は、春樹達に指示を出していた老師。彼は二人が勝手に進めていく話に堂々と割り込んだのだ。流石に春樹や冬吾、他の新入生達も目を大きく見開いて驚きを隠せそうになかった。顔を真っ赤にしている大地主を無視して話を続ける。


「九条様、貴方も年甲斐なく張り合わないでください。今回の目的は、貴方様の技を見せる為の機会です。それをお忘れですか?」


「あぁ、すみませんね。少し、刺激をし過ぎました。ふふっ それでは、早速技を見せますので安全な所まで彼等を離してください」


二人の会話は和やかに終わったのだが、先程から小さい子供のように地団駄を踏んでいる大地主。「わ、わしの話を聞かんか!」「ぶ、無礼だぞ!」などと繰り返しているのだが、蒼は存在しない物としてその場から離れた。すると、蒼に対して諫めていた老師はくるりと向きを変えて淡々と告げる。


「もう一度言います。ここは、神聖な場所です。如何なる身分の者でも逆らうことは許されません。もし貴方様が許さないと言うのならば、それは神に楯突くと言うことでよろしいでしょうか?」


怪しく微笑む彼の顔を見た大地主とその御一行は「ひっ……」と小さい悲鳴をあげた。微かに見えた老師の表情を見た春樹は、またもや体を強張らせた。口の端を上げて、目は歪んだ色を映している。陰陽寮にいる老師達は十二神司までとは行かないものの、実力は相当であると言われている。


それこそ、十二神司の一歩手前まで来ていたと言われているので、威厳は他の陰陽師に比べたか桁違いである。数多くの修羅場や修行を乗り越えてきたこともあり、その辺の人間では怯むことは全くない。


「分かって頂けたようで何よりです。では、ここは危険ですのであちらの方へご案内致します」


何事もなかったかのように話を進める老師は、にこやかな笑顔に戻っていた。今までの彼の態度は何だったのか、と思う程の変わりように慌てる貴族達。さっさと進んでいく老師を目で少し追った後、小走りで着いて行った。


その一部始終を見ていた新入生達は、数人がその場にへたり込んでいた。力なく座り込む何人かは、「し、死ぬかと思った……」などと半泣きの表情だ。それもそのはず、陰陽師を目指しているとは言え、まだ半人前にすらなっていない彼らにとって最高位の称号を持っている陰陽師の圧力には耐えられない。しかし、春樹と冬吾は何も言わずただ後ろ姿を見つめているだけだった。


「……なぁ、春樹」


「何だよ」


「お前さ、もしかして俺と同じこと考えたんじゃない?」


「……同じことって?」


「うーーーん、何て言うか……」


「「俺も/僕もあんな風になりたい」」


息を合わせた訳でもないのに、自然と声が揃った二人。前を見ながら話しかけていた冬吾は勢いよくこちらを振り返り、「だよな!?」と目を輝かせている。春樹は彼の目を見ることなく、真っ直ぐに見つめたまま返事をした。


「悔しいけど、いつか僕も蒼さんのように、老師のように強い陰陽師になりたいって思った。冬吾と一緒なのは癪だけど」


「一言余計なんだよ!」


二人の話なんて周りは誰も聞いていなかった。まだまだ子供であり、右も左も分からない彼らにとっての憧れの対象は遥か彼方にいる。いつ追いつくのかも想像が出来ないが、一つ一つ年をとる度に知識と経験が増えて、憧れの人を追い越してしまうのだろう。


自分の将来のことなんて見えていないこの二人は、遠くから叫ばれた老師の「ほら!危ないですよ!」の声に反応して今の場所から少し離れた。優しく頬を撫でるような風が吹いている今の季節は、体温も心地良く感じるのでうたた寝してしまう時期でもある。暖かい風を肌で受けながら、何が起こるのか胸を踊らせて待っていると、静かな声で青龍を召喚する蒼の姿が見えた。


『姿を見せぬ命ありき物達よ。ここに正体を現し給へ。』


唱えた後に徐々に柔らかかった風が肌を切り裂くような勢いに変わって行く。地面に敷き詰められている小石や砂利が微かに動き、強くなる風に乗って吹き荒れている。雲一つない晴天の青空の雲行きが怪しくなり、薄暗くなって行く。今にも雨が降りそうな天気の中で聞こえて来た声は荒れ狂う風の中で確実に春樹と冬吾の耳に入って来た。


『青龍』


青龍独特の声に思わず耳を塞ぐ。以前会った時よりも大きな声とつんざくような高さの音に顔をしかめる。変わらず強い風が吹いているのを必死に耐え、砂利や小石が目に入らないように目を隠す。すると、ふっといきなり時が止まったかのように風が止んだ。ゆっくりと目を開けると、真っ青で大きな体を持ち、他の式神とは格の違いを見せている青龍がいた。


「こ、これが……青龍……」


一度見たとは言え、犬神とは全く異なる雰囲気を持っている青龍には圧倒されてしまう春樹。しかし、それ以上に驚いているのは隣にいた冬吾だった。隣から聞こえた感嘆の声は、まさに彼のものであり、口をあんぐりと開けている。普段ならお目にかかることのない上位式神は、今のところ試験でしか触れていない。


「青龍、いつもお世話かけます。今回は“あの”技でお願いします。もちろん効力は抑えて欲しいのですが、今回は少し事情があります。ですので……」


耳打ちをしている蒼の声はもちろん誰にも聞こえない。彼等からかなり離れた位置にいる貴族達に聞こえるはずもなく、誰もが目を潜めて見ていると、『……本当に良いんだな』と確認する青龍の声が聞こえた。蒼よりもだいぶ低めの彼の声は地響きのように心を震わせる。彼の問いに対して主人である蒼は笑顔で頷き、「えぇ、お願いしますよ」とだけ言った。


「……冬吾、他の子達をもう少し後ろに下げさせて」


「は?何でだよ。俺、もっと近くで見たいんだけど?」


「いいから、早く。お前もまだ、死にたくないだろう?」


「わ、分かったよ……おい、お前らー!もう少し後ろに下がろうぜ!まだ生きていたいしな!」


いつもとは違うきつい言い方に仕方なく頷く冬吾。彼はまだ春樹よりも他の新入生との関係は途切れていなかったので、周囲は「えー?」「何でだよー」と文句を言いながらも大人しく下がった。彼らと同じように春樹も下がり、「ここから一歩も前に出るなよ」と目線も合わせずに言った。


それを横目で見た蒼はふっと口元を緩め、「流石、私が見込んだだけはありますね」と小さく呟いた。彼の声が聞こえたのは青龍だけであり、一瞬目を自身の主人に向けたのだがすぐに逸らした。手に持つ扇子をバサッと広げ、口元を隠す蒼。技の時だけに出す、低い声で言い放った。


十干じっかんみずのえ時雨しぐれ心地ここち


瞬間、青龍が天に向かって雄叫びを放った。響き渡る声は体の中にまで轟かせるようで、貴族達は大きく肩を揺らしていた。すると、先程まで雲ひとつなかった晴天の空が徐々に分厚いねずみ色の雲に覆われ始めた。


「……なぁ、なんか寒くないか?」


「そうだね。もしかしたら、これが『時雨心地』の技かもしれない」


広範囲に渡って薄暗い雲が広がると、自身の腕を掴んで擦る者が数人出始めた。最初は気のせいかとも思ったのだが、夏に近い季節なのにも関わらず、吐く息が白くなっている。


「お、おい。今まで結構暑かったよなぁ?」


「何でこんなにも寒いの?」


騒つく周囲の新入生達。それもそうだろう。彼らも十二神司に弟子入りした身とは言え、天候までも変えてしまう能力を持つ上位式神に会ったことなんてないはずだ。震える体を抑えるために、互いにくっつき合って暖を取っている。冬吾もその中に入っていたのだが、春樹は自然と動かなかった。鼻先は赤くなり、頬もほんのり紅色になっている。だが、気にすることなく白い息を吐き続け、目の前で起こる何かに夢中になっていた。


「……それでは、青龍。私の言った通り、お願いしますよ?」


『あぁ。分かっている』


二人のやり取りが終わった後、もう一度青龍は声を上げた。しかし、今回は天に向かってはなく、遥か先にいる貴族達に向かって。かなりの距離があるとは言え、形容し難い恐怖を感じた貴族達は震え、互いに身を寄せ合った。


「……え?こんな季節に、雪?」


誰かが言った一言で、周りは混乱した。空を見上げると、そこには変わらないどんよりした分厚い雲と、真っ白でふわふわな雪が降って来ていたのだ。そして、先程の雄叫びの後に強い冷気が辺りを包んだ。しかし、元より距離を開けて立っていた新入生達は感じることは無かったのだが、それ以上に直線上にいる貴族達に冷気が直接当たった。


「さ、寒いぞ!な、何をしておる!」


「わし達は貴族なのだぞ!」


交互に何やら訴えかけているようだが、そんなことはお構いなしと言った様子で笑顔で受け答える老師。


「何を言っておられるのですか?貴方方が見たいとおっしゃったので、彼を連れて来たのですよ。ほら、もう少しで終わりますから静かにしててください」


老師の態度を見た貴族達はご乱心のようで、「後で覚えておきなさい!」などと叫んでいた。すると、ぽろっと彼らの前に何かが落ちた。彼らの中の一人が拾い上げると、それは小さな氷の粒のようなものだった。


「これは……雹?」


彼が拾った瞬間、まるでバケツをひっくり返したかのような雹が彼らの目の前に降って来た。


「う、うわぁ!?な、何だこれは!?」


「い、痛いっ!」


「や、やめろ!もう十分だ!」


目の前に落ちて来た雹は最初に拾った物の何倍もある大きさで、下手な所に当たったら命が危ういものもあった。それを目の前にした彼らは畏れおののき、蒼に向かって懇願していた。しかし、それとは裏腹に止まる事のない雹は勢いをつけて落下してくる。寸前とは言え、跳ね返ってくるそれらに対応仕切れない貴族達はひたすらに互いの体を押し付けあっていた。


「ふっ……ふふふっ……九条様、このくらいにしてあげましょう。彼らはすでに意気消沈しております故。これ以上は流石に大問題になるかと」


「あれ、そうですか?僕はまだ足りないくらいですが……仕方ないですね。まぁ、どちらにせよ僕の弟子を莫迦ばかにしたことが仇になりましたね。あ、そうそう。……夜道には、お気をつけくださいね」


笑いを堪えきれていない老師は仕方なく、と言いたげに蒼を止めた。何食わぬ顔をしている蒼だが、相変わらず笑顔が顔に張り付いているようだ。技を見せる前までなら何かしら文句を言われたのかもしれないが、今はそれどころではないらしい。魂が抜けたような顔をしている彼らを見て、とどめの一言を言い放った蒼。それを聞いた老師は「貴族様、こちらでお休みください。私がご案内します」と言ってそのまま彼らを連れて行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヘイワな国の作り方(仮タイトル) 茉莉花 しろ @21650027

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ