第二章 寒気

ギシギシと鈍い音を立てながら廊下を歩く春樹。彼の表情はどこか暗く、いつもの覇気がない。冬吾が待っているであろう部屋に近づいた時、力が抜けたように古びた板の上に座り込んだ。陰陽師独特の服装をしている春樹は、裾を汚さないように捲っているのは仕込まれた礼儀が身に付いているからだろう。


「彼奴、あんなこと一言も……」


「彼奴って、どいつのことだ?」


「は!?お、お前、いつの間に!?」


独り言のつもりで呟いたのに、真横から話しかけられるとは思わなかった春樹。肩をビクつかせ、後ろに飛び退いた。軽く宙に浮いていたのかもしれない。ドスン、と尻餅を突いたがすぐに立つ。


「え?今さっきだけど?それよりも、早く課題終わらせようぜ!俺はもう元気になったからよ!」


同じくらいの背丈である二人。目線は同じなのだが、ほんの少しだけ冬吾の方が大きいようだ。茜色の眼が春樹の真っ青な眼を見つめ、袖を引っ張る。


「わ、分かったから!引っ張るな!」


彼の我儘に渋々付き合っているのにも関わらず、ひたすら振り回されている。陽斗や海斗とは違う彼の独特な雰囲気に戸惑いを見せる。引っ張られたまま座らさられた春樹は厠に行く前と同じように正座をする。


「あれ、何処からだっけ?」


「いや、ここからだろ?まずここは……」


筆を持ったはいいものの、すっかり学んだことが抜けてしまった冬吾。念のため、と思って印を付けていたのを見つけ、もう一度説明を始めた。真面目な顔をして聞いている冬吾は一生懸命に筆を走らせる。春樹も彼に説明することに集中しようとするも、先程年上であろう二人が話が頭の中で反芻している。説明していた口は途中で止まり、差していた指も勢いを失った。


「……?春樹?どうかしたか?」


説明している口と手が止まったので、その先を見た冬吾。正反対の目の色をしている二人が互いを見つめるが、一人は光を宿らせ、一人は闇を映し出している。閉じた口は何かを言おうと少しだけ開き、もう一度閉じた。


「具合でも悪いのか?」


「……いや、そうじゃない。ただ……」


「ただ?」


「お前、上位式神を召喚したって、本当か?」


喉まで出かかっていた質問を口にした春樹。巻物に書いてある文字を見るだけで、全く顔を見ようとはしない。こんなことを聞いて良かったのか、こいつは本当に俺と仲良くしたいだけなのか、珍しく感情が顔に出ている。数十秒の沈黙の後、重苦しいと感じた雰囲気を吹き飛ばすかのように軽い答えが聞こえた。


「え?そうだけど?お前も召喚したんだろ?」


「は?」


「いやほら、噂だとお前と俺だけが上位式神を召喚出来たって聞いたからさ。どんな奴かなーって思ってたんだよ!」


あっけらかんに話す彼を見て気が抜けたように肩を落とす。張り詰めたものが消えたように間抜けな返事をし、その後に何事も無かったかのように話を続けている彼を見る。光が消えた深海のような目が微かに輝きを取り戻した。


「……お前、本当に合格したんだな」


「だーかーらー!そうだって言ってんじゃんか!なーんで信じてくれねぇんだよ!」


「俺、自分が特別だと思ってた。だから、お前が俺と同じように上位式神を召喚したことを聞いて、何か、腑に落ちた気がした。俺って、普通じゃないけど、特別ではないんだって」


流暢に話す彼を真っ直ぐに見つめている冬吾。いつも適当に生きているように見える彼がこんな顔をするのは珍しいだけではない。しかし、それに気づかずに自分の手だけを見つめている春樹。その視線の先で震えているのは恥ずかしさなのか、それとも馬鹿にされると覚悟したのか。真っ白な肌を一瞥した冬吾はいつもより真面目な声色で話し始めた。


「……別に、俺も同じこと思ってたよ。俺って、特別な存在なんだって。でも、お前に会って分かった。いや、思いしらされた。これが、本物の天才かってな。圧倒されたさ。自分の未熟さを知ったさ。それでも、俺は、お前と友達になりたいと思ったんだよ。血は繋がってないけど、兄弟のように仲良くなりたいってさ。それじゃ、駄目なのか?」


課業の間も、式の時も、真面目に受けている印象なんて全く無かった彼。彼の紡ぎ出される言葉を一つ一つ聞いて、頭の中で考え、やっと理解した春樹。そうか、彼も俺と同じなのか、と。それ以上にほぼ同じ年齢であろう二人は、今まで互いに無かった物を補い合うことが出来るのだろうと。震えが止まった白い肌の持ち主は目の中に輝きを取り戻し、深い真紅の瞳を見つめ返した。


「……ほら、次の所進めるぞ」


「ちょ、俺今凄い良いこと言ったと思うんだけど!?」


「分かってるよ、冬吾」


「あーはいはい……って、春樹!お前、やっと俺の名前を!」


「何だよ、早くしないと終わらないだろ?筆を持て!」


冷静な春樹が頬を赤くしているのを見て嬉しそうに微笑んでいる冬吾。今まで呼ぶことの無かった彼の名前を呼び、気を許した“友達”はたった二人だけ。冬吾がそれを知るのはもっと先のことだろう。




陰陽寮を卒業するには約三年程かかると言われている。


一年目は基礎知識を詰め込み、実技では和国の陰陽師が必ず持っている『扇子』の使い方を教え込む。二年目では知識よりも実技を優先させる。大体がこの二年目に華国との親善試合を体験することになる。

三年目で実際に戦いを覚えるために修行に出されるのがほとんどである。それを知らされるのはこの陰陽寮に入学した後。絶対的な門外不出を約束をさせることにより、長年の秘密を守っているとされている。


「それよりさ、何で一年目でこんなにも知識を付けさせるんだぁ?実践の方がどう考えたって大事じゃん!」


「うるさいな、さっきから文句しか言ってないじゃないか。知識が大事なのは当たり前だろう?何が危険であるのか、霊力がどのような仕組みになっているのか、華国との関係性について、その他諸々あるだろう。知識とは、覚えるだけではなくて、自分の身を守るためでもあるんだよ」


「ふーん、そんなもんなのか」


二人で勉強をした後、陰陽寮ではほとんど一緒にいることになっていた春樹と冬吾。ここに入ってからはあっという間に過ぎて行く日々に何とか付いて行くのに必死な日々だった、のは大半の寮生達。春樹は新入生の代表をしていたこともあり、軽々と課業での課題をこなして行く。


その所為か、他の寮生は春樹に対して近づき難い雰囲気を感じていたのだ。しかし、その大半の寮生の中に冬吾が入ってるのにもかかわらず、涼しい顔して一緒にいるので周りからは不思議がられていた。新入生の中でも浮いていると言っても過言ではない二人は、他の寮生と同じようにいつもとは違う部屋へと移動していた。


「それより、何で俺ら今移動してるの?次って、いつもと同じ部屋で課業だったよな?」


「お前、本当に話を聞いていないよな……今日の初めの方で老師が言ってただろ?今日は、貴族とかの身分が高い人達がわざわざ見に来るんだよ。まぁ、興味本位で来てるだけだろうけど、今回はまた別の目的があるんだろうね」


「別の目的ぃ?何だよ、それって」


「……十二神司の一人であり、僕の師匠でもある九条蒼さんが来るんだよ。ここにね」


「はぁ!?それ、聞いてないぞ!?」


「まぁ、極秘ではあるからね。僕もさっき聞いて驚いたよ。だって、蒼さん何も言ってなかったからさ。それよりもお前、ちゃんと前見ろよ」


話に夢中になっている冬吾は目の前にまで迫っていた柱を避ける。技量は確かにあるであろう冬吾は基本的には抜けている事の方が多い。そのため、いつも近くにいる春樹が兄のように彼を世話している、のに近い。周囲の人間からしたら二人の関係性に色々話を聞きたいようだが、誰も何も言わないのは恐らく春樹のせいだろう。


「それで?今日は外にでも出るの?」


「そうなるだろうね。ほら、お前も履物を持って来ているだろ?早くそれ履いて外に出るぞ」


「はいはーい」


袖の内側に忍ばせていた履物を出して準備をし、外に出る。今回は庭ではなく、大きな門がある方の外側。そちらの方が広いと言うこともあり、新入生は全員集められていた。砂利が敷き詰められている場所では歩く度に音がする。すると、先に来ていた老師が手招きをして「ここで待つように」と指示を出して何処かへ行ってしまった。


周りは滅多に見ることの出来ない十二神司が使う十二天将の技に興奮が隠せないようだ。それに対して冬吾は大きく口を開けて欠伸をし、目には涙を溜めている。それを横目で見ていた春樹は彼の頭を叩き、「集中しろよ?」と注意する。先程、どこかへ行った老師がこちらへ戻って来ると、一緒に高価そうな服を着た大人達が付いてきていた。


「はい、皆さん。今日集まって頂いたのは分かっていますね?本日、特別に十二神司の一人である九条蒼さんが技を見せてくれます。今回は貴族の方々もいらっしゃるので、少し離れた所で見ててくださいね。それと……」


「あ!!!!お、お前、何でここに……!?」


淡々と説明をしていく老師の話を遮った一人の男。指を差している先は、紛れもなく春樹だった。春樹は彼の声を聞いて、しばらく忘れていた出来事を思い出し全身に寒気が走った。声を聞いた後、指を差す主を見つめると体が固まった。そこには、嫌でも見慣れたあの主人(あるじ)だったのだ。


「こ、こいつ、こんな所にいたのか!?な、何でこんな所に、お、お前なんかが!?」


「それは、私が彼を拾ったからですよ」


相変わらず汚い唾を飛ばし、罵倒する姿を見て春樹は固まっていた体がふっと力が抜けた。何も変わらない彼は偉そうに踏ん反り返っているのを見て、嫌悪感が心の中で疼く。しかし、それを吹き飛ばすように話を遮ったのは春樹の師匠である九条蒼だった。


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