第2章 感情

徐々に日が暮れ始めたと気づいた時にはあっという間に外が暗くなっていた。春になったとは言え、未だに日が落ちるのは早いようだ。ぼうっとしていたらいつの間にか闇に包まれている。そんな中、三人はひっそりと話をしていた。


「何か、あったんだね?」


「そう、なんですかね……」


「曖昧に答えるってことは、それすらも分かっていないってことだな。何があったのか、教えてくれるか?」


釈然としない答えに問い詰めることをせず、むしろその訳を聞くために待っている海斗と陽斗。二人の春樹に対する柔和な態度に外の温度とは正反対の温かさを感じていた。何から話そうか、と考えながら口を開いては閉じてを繰り返している。そんな彼に苛立つことなく、見つめたまま待っている二人。


「実は、入学式で、月輪冬吾?と言う奴に出会って。それで、帰りに彼から誘われたんですけど、勉強したかったから、断ったんです。……正直、彼も僕のこの見た目が面白くて、話しかけただけだと思ってて、でも、僕が冷たくあしらってもあいつ、全然堪えてなくて。なんていうか、その、えっと……」


「なんだ、他の陰陽師のやつに会ったのか?」


「もしかして、式前に話しかけられたあの子かい?」


「え、見ていたんですか?」


「まぁね。彼、かなり声が大きいみたいだから」


クスクスと手で口元を隠している海斗は思い出したようだ。あの場面を見られていたのか、と少し恥ずかしくなった春樹だが、それ以上に彼の存在を知っていることに安心して話を続けた。


「その、そいつのことを考えてたんです。俺……僕とは、正反対の彼が何故話しかけてきたのか。何で、俺はこんなことで悩んでいるのか、訳が、分からなくて」


気が抜けているのか、無意識に自分のことを「俺」と呼び戻っているのを聞いていた二人だが、そこについては何も言わずに聞いていた。目が泳ぎながら目線が下がっていくのを見ると、彼はどうやら大きな壁にぶつかってしまったようだ。


「あー……多分だけどさ、そいつ、春樹と友達になりたいんじゃないか?」


「え?友、達?」


「おう。お前、今まで友達って存在がほとんどいなかっただろう?えーっと、ほら、樹?だっけ?あと、お前の兄弟。あの二人だけだろ?」


「ま、まぁ、そうです、けど……」


「俺もその子がどんな子か分からないけど、陽斗と意見は同じだよ。春樹と、友達になって仲良くしたいんじゃないかな」


初めて聞いた言葉のように狼狽える春樹。一瞬、彼らが何を言っているのか頭が追いつかない顔をしていた。しかし、すぐに反発するように話を始めた。


「い、いや、でも!別に、友達がいなくても俺には蒼さんや海斗さん、陽斗さんもいるし……」


「春樹、先輩や師匠とは違うんだよ。友人と言うのは、時に喧嘩をして、時には互いに励まし合う存在だ。認めたくないけど、俺にとって友人は陽斗だからね」


「おうよ!友達がいるといないとでは全く違うぜ!って、俺のこと認めてないのかよ!?」


「うるさいな、いつも迷惑をかけられてる身にもなってよ」


「喧嘩、励まし合う……」


海斗の言葉を自身で繰り返し、噛み砕くように理解しようとしていた。二人が目の前で言い合っていることは全く聞こえていないようで、口を閉じる。すると、まだ何か文句を言っている陽斗を無視して海斗が春樹の方へ顔を向ける。


「春樹に足りないのは、同級生の友人との友情、かな?正解は分かんないけど、蒼さんの言った通り陰陽寮には色んな人がいるんだ。それこそ、春樹と同じように奴隷から成り上がって来た子もいるんだ。それぞれの価値観を持った人達の中で学ぶべきことはたくさんあると僕も思うよ」


「例えば、課業では習わなかったりすることとかな!」


ニヤリ、と口の端を大きく上げて笑っている陽斗。彼の意見に対して「その通り」と頷いている。ここに拾われるまで考えもしなかったことを、彼らはいとも簡単に教えてくれた。そのことに春樹は目を大きく開き、いかに自分が知った気になっていたかと思い知らされた。


「……前までは、その日生きるのに必死でした。必ず約束された明日が来るなんて、思ってもなかったんです。……でも、今はそうじゃないですもんね。俺、いや、僕、頑張ってみます」


「お!それでこそ俺の弟だ!よく学び、よく遊ぶのだぞ〜!」


「いや、お前何様だよ。ていうか、お前はもっと勉強するべきだって蒼さんが口すっぱく言ってただろ!」


「あーあーなーんも聞こえねー!」


相変わらず続いている彼らの口喧嘩は何処と無く楽しそうで、春樹もふふっと思わず笑いが出てしまった。すると、言い合いしていた二人は止まり、「ほら、ちゃんと笑えるじゃねーか」と陽斗に言われたのだった。




翌日からは早速課業が始まった。今年の新入生は人数が多いらしく、二つの教室に分かれていると今日聞かされた。春樹は昨日案内された部屋に入り、昨日と同じ場所に座った。学舎とそう変わらない景色に少し安心感を覚えた春樹はいつもより心が落ち着いているようだ。


「よ!春樹!昨日はしっかり勉強出来たか〜?」


「うわっ!?ま、またお前かよ……」


「おいおい、俺のことは冬吾って呼んでくれよ〜!あ、もう課業始まる!隣に座るぞ〜!」


「え?ちょ、待てって!……はぁ、もう好きにしろよ」


室内のど真ん中でそのようなやり取りをしていれば、嫌でも他の生徒から視線を集めることになった。大人しく、人とはあまり話さないようにしようとしていた春樹だが、早速彼に打ち破られた。


(……でも、陽斗さんと海斗さんと約束、したしな)


「隣に、座るだけだからな」


「おう!ありがとうな!」


顔をくしゃくしゃにして笑う彼は人懐っこい顔立ちをしている。春樹の反応にも屈せず話しかけて来る彼を見ると、毒を抜かれるようにふやけてしまいそうだ。


「皆さん、揃ってますね?今日からみっちり勉強してもらいますので、頑張ってくださいね。では、今日は初歩的な所から始めます。まずは―――――」


冬吾と話をし終わった後、すぐに老師が中へと入って来た。昨日と同じ男性の老師で、蒼よりかは少し老けているように見える。むしろ、蒼は若すぎるのではないか?と最近疑いを持ち始めた春樹。


(いや、今はそれよりも課業に集中だな)


心の中で自分を叱責し、老師がつらつらと書いていく黒板を見て要点をまとめて帳面に書き進める。しかし、蒼が言った通り今日の内容はすでに春樹が学び終えた所だった。退屈、とまでは行かないが、流石に飽きはして来る。思わず欠伸が出てしまったのだが、運よく老師はこちらに背中を向けていたので気付かれなかった。


「ふふっ……お前、真面目なのに欠伸してるじゃんっ……」


しかし、真横にいた冬吾はそれを見ていたのか、微かに肩を揺らして笑っている。彼の反応を見て少し顔を赤くする春樹。油断していた、と思った春樹は「こっち見んな!」と口パクで伝える。


「え?何だって?」


「だーかーら!こっち見んな!」


「ほぉ……?一体、何が見えるのかね?」


「「あっ……」」


冬吾に聞き返された思わずムキになって大きな声で言ってしまった。すると、二人の目の前には先ほどまで黒板の前にいた老師が二人を見下ろすように立っている。笑顔を貼り付けたような表情に頬を引きつらせて無理やり笑顔を作る春樹。


「どうやら君達は今の課業は暇なようだから、今回の内容から次回のここの内容まで予習復習して私に提出すること。良いですね?」


「「は、はい……」」


「はい、では続きを説明しますね。次の所ですが―――」


有無を言わせない圧力で二人を強制的に頷かせた老師はにこり、と微笑んで踵を返して黒板へと再度向かい合って書き始めた。自分よりも年上の彼に何も言えなかった春樹は深くため息をついて横でまだ微かに笑っている冬吾を睨みつける。しかし、隣から来る視線を気にする素振りを全く見せない冬吾は懲りもせずに話しかける。


「なぁ、どうせなら一緒にやろうぜ??」


「やだね、またお前と叱られたら蒼さんにも色々言われるんだ」


「蒼……?あぁ、お前の師匠か。俺の師匠と仲悪いんだってな!まぁ、そんなこと言うなって!じゃ、決まりな!」


「はぁ!?ちょ、おまっ……はぁ、仕方ないな……」


反抗しようとしたが、その声が聞こえていたのか黒板へずっと向いていた老師がこちらを振り返った。次こそどんな課題を言い渡されるか分かったものじゃない、と危機感を覚えて口を閉ざした。事の発端となった彼は何食わぬ顔をして老師の話を聞いている。と、思いきや、帳面に何かしら落書きをしているようだった。


(何で、俺がこんな目に……)


心の中で不平を漏らしつつも、仕方なく進んでいく老師の話に耳を傾けるのだった。




「だーかーらー!何でこんな答えになるんだよ!初歩中の初歩だぞ!?お前、本当に試験に合格したのか!?」


「はぁ!?失礼だなー!ちゃんと合格したっての!何なら合格証見るか!?」


「見ねえよ!!はぁ……ほら、次の所もやってみろよ」


「おう!任せろ!!」


大きく胸を広げるようにしてドンっと叩く。堂々とした彼の態度はこれで何度目だろうか。そんなことを考える春樹はとっくの昔に諦めているようだった。

遡ること数時間前。


老師に課せられた課題を終わらせるべく、陰陽寮の中でも一際広々としている場所、書庫に来ていた。そこには学び舎にはなかった勉学に励む場所が設けられていた。実践だけでは生き残れないのが陰陽師。霊力以上に知識も必要としているため、ここで勉学に励む生徒は多いと入学時に説明を受けていた。


入学して間もないのに、恐らく新入生であろう同い年くらいの子供達がいる。熱心に何かが書かれている巻物を見ながら、必死に書き写しているようにも見えるのだが、その中でも一際騒がしいのはこの二人。あまりにも大声で言い合っていたのでそれを見かねた一人の老師が「それほど元気ならば、外に出て行きなさい?」と笑顔で圧力をかけられたのだ。


二人は仕方なく、と言うよりもほぼ強制的に摘み出された行く当てもない春樹と冬吾は課業を受けていた部屋へと戻って来たのだった。そして、今に至る。


「よし、これでどうだ!」


「はい、残念。違います。お前、本当にいい加減んしろよ……?」


「えー……もう俺嫌だ〜!何にもしたくね〜!」


「おい、待て!寝るな!お前が終わらないと、俺も老師に怒られるんだぞ!?ほら、寝転がるんじゃない!」


「えー!もう嫌だって言ってるじゃん!」


持っていた筆を放り出して部屋の畳の上に寝転がろうとする冬吾。春樹が彼を必死に止めようとするが、それすらも嫌がっている。まるで、小さな赤子のようでどうしたものか、と頭を抱えている春樹。くしゃり、と髪を掻いて考えるが未だに何かを言っている冬吾を見てため息を吐いた。


「はぁ。僕、ちょっと厠に行ってくるから。ほら、それまで休憩な」


「お、やったー!」


座りっぱなしになっていた春樹は痺れている足を少しだけ摩り、立ち上がる。彼の言葉を聞いて喜んだ冬吾はすぐにそのまま寝転がった。そのまま畳の上を転がっている彼を横目に廊下へと出た春樹。老師に出された課題はまだ半分も終わっていない。


これからどうするか、と考えながら厠へと向かい用を済ませていた。すぐに戻ろうと廊下を急ぎ足で向かっていると、ヒソヒソと誰かが話をしているのを感じ取った春樹はひっそりと足を止めた。


「……なぁ、知ってるか?あの九条家の新入生。あいつ、入学の試験で上位式神を召喚させたってよ」


「おー、ついに期待の新人が来たってことか?」


「さぁな。でも、見た目が異色だから大分浮いてるんだよなぁ。あれに話しかけている奴なんて、月輪家の彼奴だけじゃね?」


「彼奴?月輪家は今回複数人入学してただろ?どいつだよ」


「ほら、黒髪で瞳の色が少し赤っぽい……あ、月輪冬吾だ!そうそう!」


先程まで一緒にいた人の名前を呼ばれると思ってなかった春樹は、耳がピクッと反応した。物音を立てないようにしていた彼は、もっと彼らの話を聞くべく身を潜めて気付かれない瀬戸際まで近付く。


「あー彼奴か。あれ、でも彼奴もある意味有名だろ?」


「え?どう言うことだよ」


「ほら、噂で聞かなかったか?入学の試験で上位式神を召喚することが出来たって」


「そうなのか!?ってことは、あの九条家の奴だけじゃなくて月輪冬吾って奴も召喚したって言うのか!?」


「あぁ、らしいよ。何人もの老師が騒いで話していたから間違いないだろう。全く、とんでもない奴等が入って来たもんだ」


その後も何かを話していたようだったが、春樹の耳には入って来なかった。彼らに気付かれないように音を立てずに離れた少年はその場から少し離れた場所で胸下を強く握った。激しく動く鼓動を止めるため、深呼吸を繰り返す。壁に寄りかかってなんとか立って入られたのだが、今さっき聞いた話を再度頭の中で巡っていた。


(彼奴も、俺と同じ上位式神を……?)


彼は、月輪冬吾はそのようなことを春樹の前で一度も口にしなかった。むしろ、苦手な勉学に励む春樹を羨んでいるようにも見えたのだ。そんな彼が、自分と同じことを成し遂げたことを知り、心の底から湧き上がってくる言葉に出来ない気持ち。今まで知ることがなかったこの気持ちを他の人は何と呼ぶのだろう、頭の中で考えても出て来ないことを悟った春樹は彼の待つ部屋へと向かったのだった。


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