第1章 最強


「おい、春樹!遅いぞ!もっと早く掃除しろ!!突っ立ってんじゃねえ!!」


「あ“―もう!分かってる!」


「こら、その話し方は駄目だと言っただろう?」


「くそっ……はいはい!!」


まだ朝日が昇ったばかりの所謂早朝。周りにはまだ霧が立ち込めており、桜が咲く季節だと言うのに寒さを薄っすらと感じる。本来ならまだ静かな時が流れているのだが、ここ九条邸には複数の声が響いていた。


一体、何人住んでいるのか分からないこの屋敷で春樹は厳しく指導されていた。


「まだこんなに寒いってのに……」


「何だぁ〜?ひよっ子のお前は誰よりも早く掃除をしないといけないんだぞ?」


「そうだよ。君が一番年下だし、何より陰陽師の世界は縦社会。それに加えて実力社会でもあるんだから、何も知らない君は雑用を押し付けられるのは当然だ

よ」


誰も庇ってくれないこの状況に春樹は大きな溜息を吐いた。手先が凍る程冷たくなっている布切れを使い、廊下、柱などを片っ端から拭いて行く。それも、先輩の監視付きだった。


朝早く叩き起こされたと思えば、すぐに装束に着替えさせられて桶と布切れを渡される。二つの組み合わせで何かを悟った春樹は嫌々ながら掃除を始めた。


「ま、これも一種の修行だと思うしかねぇよ」


「……別に、これくらいなら出来ます。ただ、奴隷の時より時間が早かったので少し辛いです」


「あれ、そうなの?てっきり、もう諦めるかと思ったよ」


ケタケタと愉快そうに笑っているのは真っ黒な目が特徴的な春樹の先輩、海斗かいと。必死に布切れを擦り付けて汚れを落としている春樹を見て、煽るように話す。彼は春樹の二つ歳が離れているようで、優しい兄貴に見えるが実は意地悪な所が垣間見える。それを知っているので春樹は彼の挑発には乗らないのだ。


「ま、ここで諦めたら面白くねぇよ。俺たちはここで見てるから1人で頑張るんだぞ〜!」


海斗の発言を聞いて一緒に笑っていたのは、少し厳つい見た目をしている陽斗はると。口が悪いのが目立つが、兄貴肌な所があるので年下にはよく好かれている。この個性豊かな2人が春樹の指導係として任命されたのだ。


そして、その春樹はと言うと、二週間と言うかなり短い時間で九条邸の仕事や学舎に行く前の予行練習をされているのであった。


まずはこの屋敷での決まり事や掃除炊事について叩き込まれることになったのだ。一番年下で新参者の春樹への洗礼だ。今している掃除が終わった後、直ぐに朝餉の準備に取り掛かる。その時には他の弟子達も各自起床し準備をするのだ。


しかし、そんなにも時間をかけることが出来るのは一部の人間だけで、ほとんどの弟子達は同じように屋敷の掃除から始まるのだ。


「はぁっ……はぁっ……こ、これで、全部、終わった……」


「お〜綺麗になったなぁ!じゃ、今から朝餉の準備をするぞ〜」


「は、はい……」


息を切らすと自然と白くなって行くのが肉眼で見ることが出来る。先程寒いと感じたのがいつの間にか額に汗を滲ませるまでに変わっていた。掃除の終了を報告し、直ぐに調理場へ向かう。春樹には休む時間など全くない。


全ての朝餉を作り、準備が終わった後。九条邸全員で朝餉を食べる。これが、春樹にとっての朝の仕事だ。


箸と食器がぶつかる音が静かに響いている室内には、何十人もの弟子達が揃っていた。向かい合わせるような形で座り、上座に行く程実力も歳も上であることを示している。


「……皆さん、一旦手を止めてもらってもよろしいでしょうか?」


静寂の中で声を発したのは一番上座に堂々と座っている蒼だった。彼が発した瞬間、全員がすぐに手を止め、体を向き直した。一斉に止まったことに驚きを隠せない春樹は動きが止まってしまい、隣にいた海斗に肘で突かれて箸を置いた。


「知っている方もいるかもしれませんが、昨日新しい子が入りました。容姿が私達と異なっていますが、同じ同志です。仲良くしてくださいね」


『はい!』


目を細めて微笑んだ蒼の言葉に、全員が元気よく揃えて返事をした。いや、全員ではなく春樹以外の全員だった。呆然としている彼を他所に蒼は話を続ける。


「春樹、その場で良いので自己紹介してください」


「はっはい!」


ほぼ反射と言っていい程の速さで返事をした春樹。否、返事をするしかなかったのだ。蒼が視線を向けた先には春樹がおり、その視線を辿って他の弟子達が一斉に注目したのだ。大勢の前で話したことのない春樹にとってこれは最難関だったのか、生意気な口はなかなか開かなかった。


深く、深く息を吸って、ゆっくりと吐く。大袈裟にすると悪目立ちするので、自然に、丁寧に。


「春樹です。季節の“春”に大樹の“樹”です。まだ何も知らないのですが、最強の陰陽師になるために頑張ります」


まだ掃除した時の水の冷たさが残っているのか、微かに震えている春樹の手は真っ直ぐ伸ばされていた。握りしめる余裕もない彼は誰かが何か言葉を発してくれるのを待った。


今まで彼の人生でこんな事をすることなんてなかった。物として扱われ、人として見られないが故に出来た大きな障害物のようだった。


「ふふっ……あははっ!おっと、失礼しました。ふふっ……こほん、彼が、私が見繕った文字通り“最強”の陰陽師です。まぁ、今はまだ見習いですらないんですが」


堪えきれなかった蒼の笑いは静かになっていた部屋の中で、少しの緊張が走ったようだった。“最強の陰陽師”と聞いて黙っている人間はいないだろう。誰かが言うかと皆が思ったのだが、蒼の一言によって笑える内容では無くなったのだ。張り詰める空気の中で唯一声を出した笑ったのは下座の席からだった。


「ははっ流石、期待の新人って所だなぁ!蒼さん、俺がこいつをみっちり指導してやりますので、ご安心を!」


「ふふっそうですか、陽斗。それは安心出来ますね」


豪快な笑いに加えて、他の弟子達よりも態度が大きい陽斗。周囲の人間は彼の発言により、柔らかくなった。ちらほら聞こえてくる笑い声は嘲笑ではなく、むしろこの2人のやり取りに笑っているようだった。蒼が陽斗に向ける視線は温かいもので、親子のような彼等の話を止める者はいなかった。


「ふぅ……では、食事を続けましょう。あぁ!後ですね、2、3ヶ月後にある“あの”話し合いに付いてくる方ですが、まだ決めておりませんので頭に入れておいてください」


一通り笑い終わったのか、一息ついた蒼は思い出したかのように報告をした。蒼に視線を送っていた弟子達は全員揃って『はい!』と返事をして各自食事に戻った。春樹も周りの行動に倣って再度箸を持つ。


「あの、海斗さん」


「ん?どうしたの?」


「蒼……さんが言っていた話し合い?って言うのは一体……?」


「あぁ、あれね」


耳打ちするように声を潜める春樹。彼だけが蒼の話に疑問を持ち、いまいち返事が出来ていなかったのだ。質問した春樹は手を少しだけ止めて聞いたのだが、海斗は一瞬動きが止まったのだが、直ぐにご飯に手を付けた。


「話し合い……とは言っても、そんな生易しいもんじゃないよ。表向きはこの国、和国やまとのくにと隣国の華国はなのくににいる十二じゅうに神司しんしが和解をするべく話をする場だよ。」


「それなら…本当は?」


「ま、簡単に言ったら腹の探り合いだな。面倒にもほどがあるぜ」


「あ、陽斗さん」


途中で混ざって来たのは海斗の横に座っている陽斗。大きくはないが、春樹にも聞こえるような声で話に入って更に分かりやすく説明を続けた。


「話し合いってのは、前候国統合会談、って言われてるやつな。さっき海斗が話した十二神司って言う陰陽師の中でも圧倒的な強さを誇る十二人の陰陽師がいるんだ。そいつらが、今後の二つの国の統合について話し合うんだ。ま、案の定全く決まっていないんだけどな」


「そうなんですか。と言うより、十二神司って何ですか?」


「そんなことも知らないのか?」


「仕方ないよ、まだ見習いだし」


長々と話してくれたのを聞いている春樹は、所々出て来た単語が気になり聞き返した。すると、聞く側にいつの間にか代わっていた陽斗が口に含んでいたご飯を飲み込んで口を挟んだ。


「十二神司ってのは、さっき海斗が説明してた通り十二人の陰陽師のことだよ。まず、陰陽師の中にも階級があるってことは知っている?」


「い、いえ、それもちょっと……」


「まぁ、簡単に説明するとね、陰陽師の中に12の階級があるんだ。低い方から黒、白、黄、赤、青、紫の順番で変わってくるんだよ。それに加えて濃淡も関わってくるからね。」


「ちなみに、濃い色の方が上だからな」


「はぁ……なんか、覚えるの面倒ですね」


陽斗、海斗の説明を聞きつつも同じように手を動かして話を聞く春樹。覚えることが既に山程ある彼にとってはこの話も覚えないといけない。何も言われてはいないが、薄々と感じている春樹は気が重くなった。


「その階級の中でも最上階級の紫色の烏帽子を持っているのは十二人だけなんだよ。その内の1人が蒼さんってわけ」


「え、あの人ってそんなに偉い人だったんですね」


「だから言っただろ?あの人は尊敬出来る人だって」


初対面で話した時のことを思い出した春樹は、「あぁ、なるほど」と1人でに納得していた。陽斗はそんな春樹を他所に説明を続けた。


「まぁ、そんな感じでいるんだよ、化け物集団がな。」


「陽斗、そんな言い方したらまた怒られるよ」


「あーはいはい。すみませんでした〜」


海斗が言い放った一言で、どれだけの実力を持ち、人間離れしているのかを春樹は想像した。彼にとって式神とはかなり身近な存在であり、無いのが不思議なほどだった。彼自身の中に莫大な量の霊力を持っていると言われても想像し難い。


だが、材料が一つだけでは完成しない料理のように、春樹には知らない事が多すぎるのを実感していた。


「……正直、陽斗の言った通り、あの方達の実力は桁違いだ。仮に下級陰陽師が何十人で挑んでも1人で吹き飛ばされるのが落ちだ。」


「そう、なんですか……でも、何で十二人?……ですか?」


癖がついている話し方はなかなか直らないようだ。陽斗に睨まれたことにより、無理矢理話し方を変更した春樹。目が合った気がしたのだが、直ぐに目を逸らして話の続きを促すようにして海斗の顔を見つめた。


「あぁ、十二人の理由ね。昔の話だよ。あの伝説の安倍晴明が生きていた頃、彼は数多くの強力な式神を使っていたんだ。その中でも一際目立っていたのが十二体の式神達。その名は、十二天将じゅうにてんしょう。」


「十二、天将……」


「そう。彼等は元々悪行罰示式神あくぎょうばっししきがみだったんだが、霊力が強く、陰陽師としての技量が高い晴明様に倒されて従っていたんだよ。」


春樹の視線を感じた海斗は他の人達には聞こえないくらいの声で説明を続けていた。知らない単語が出てくるのを聞きながら、必死に頭を動かしている春樹。真剣な顔そのもので、それに釣られるように海斗も真面目な表情で話しを続ける。


「その十二天将は、晴明様が生きている間だけは彼に忠誠を尽くすと言っていたんだ。でも、ある日晴明様が亡くなったんだ。人間だから、死ぬことくらいあるさ。でも、そこで問題が起きた。それは、誰が彼等を引き取るか。強大な霊力と共に熟練の技量を求められる式神は、大問題になったんだ」


「じゃあ、引き取る人が現れなかった、んですか?」


恐る恐る聞く春樹の姿は未だ慣れない話し方が崩れるほど夢中になって聞いていた。彼の質問に対して、海斗は横に首を振った。


「いや、逆だよ。我こそはと言わんばかりに現れたんだ。でも、彼等は元々は悪い妖怪とかだったんだ。そんな奴らが簡単に従う訳もなく、釣り合わないと思った瞬間に大量の霊力を流して殺して行ったんだよ。」


「え、そんなこと……」


「ありえない、と思うだろ?残念ながら、これがきっかけで多くの陰陽師が亡くなったんだよ。でも、そんな彼等と渡り合える十二人が現れたんだ。それが、今の十二神司だね。1人1体しか扱えないのが残念な所だけどね」


首を竦めて呆れた顔をした海斗。彼の姿から分かるように、数多くの陰陽師が亡くなったこと、そして強すぎる式神達に対応する事が出来た陰陽師達。それだけでも春樹にとっては興奮する材料だった。


続きが気になる春樹はいつの間にか止まっていた箸を置こうとした時。


いきなり大きな影が目の前に現れた。


海斗の顔ばかりを見ていた春樹は影の正体を見るために顔を上げると、そこには綺麗な顔で目を細めながら笑顔で見ている蒼がいた。


「……あ」


「春樹?お喋りは良いですが、他に言う事はあるのではないでしょうか?」


「す、すみません、でした……」



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