第1章 試練


「あの、聞きたい事が山程あるんですけど」


「ん?なんだい?あ、そこの問い違うからね」


「うっ……って、そうじゃなくて!その、蒼……さんが言ってた最低限の教養?と言うのは一体……」


「んー……まぁ、まだまだ程遠いって事は確かだな」


「冗談でしょ……」


外から入ってくるほんのりと暖かい風が肌を撫でるように吹いている。太陽が真上に来ているので寝室にいる三人は見えていない。


未だに少々重ための布で作られた単を重ねて来ているのは、飄々と春樹に指摘している海斗。現在春樹は蒼に課された『最低限の教養』とやらを教えられている。勉強の「べ」の字も知らないような彼が苦戦しているのは言うまでもない。


そんな春樹の質問を一刀両断で切り落としたのは陽斗。机に齧り付くように筆を走らせている春樹を横目で見つつ、眠たそうに大きな欠伸をしている。


「―――って事で、この出来事がここに繋がってくるんだよ。どう?分かった?」


「わ、わか、りません……」


「うーん、それは残念だなぁ」


隣から聞こえてくる溜息は海斗のもの。彼がこのような反応をする度に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた春樹。


何度も繰り返し教えて貰っているのだが、案の定、全く『何かを学ぶ』と言うことをして来た事がないので、まずはそこから教えなければならなかったのだ。


「も、もう、文字を、見たくない、です……」


「ありゃ、これは駄目か〜……それなら、息抜きにこの前の話の続きをしようか?」


「え!この前って、十二神司のことですか!?」


机の突っ伏して、そのまま溶けてしまいそうな程項垂れていた春樹。彼の姿を見て何か思ったのか、海斗が軽い提案をした。すると、思った以上に食いついてきたので海斗は彼の行動を見て思わず微笑んだ。


「あぁ、そうだよ。えーっと、この前は何処まで話したんだっけ…?」


「その、十二天将を1人1体しか使えないってとこです」


「あぁ、あそこね!えーっと……」


目の輝きは止まる事なく海斗を見つめている。何を話していないか、と色々考えていると、陽斗は再び大きな欠伸をして舟を漕ぎ始めた。しばらくの沈黙の後、思い出したかのように「あ、そうだ!」と声をあげて丁寧な口調で口を開いた。


「彼等、所謂十二神司はね、和国に六人、華国に六人いるんだ。互いの国では陰陽師って軍事力のような物だから、力関係がどちらか片方に偏りがないように分けたんだってさ」


「へ〜……あ、でも、その十二天将っていつまでも同じ主人の所にいる訳じゃないですよね?どうしてるんですか?」


「あーそれは追い追い説明しようと思ってたんだけど……まぁ、いっか。簡単だよ。弟子の誰かが引き継ぐんだ」


「引き継ぐ?」


「そうだよ。これに至っては昔から決まってる事だから、例外なんてないよ。あ、強いて言うなら、今は1体の式神を双子が一緒に使ってる〜…って事は聞いたことあるかな」


次々と疑問をぶつけて行く春樹に対して流暢に答えて行く海斗。先程まで勉強していた歴史や国学などよりも、圧倒的にこちらの方に興味津々のようだ。前のめりになりながら話を聞く彼は更に質問を続ける。


「あの、この前話していた悪行…何とかって何ですか?」


「悪行罰示式神ね。簡単に説明すると、過去に悪い行いをした霊とかを陰陽師が倒して服従させたんだ。過去に悪行を行なっていただけあって、霊力が強いんだよ」


「凄いですね……俺も、扱えるようになるのかな……」


「うーん……今の春樹には無理だね!」


「うっ……そんなあっさり言われたら何も言い返せないですよ……」


爽やかな笑顔で即否定した海斗。優しい顔して毒を吐く姿はいっそ清々しい。希望を一瞬持った春樹だったのだが、直ぐに打ちのめされてしまった。


海斗の言葉を真っ直ぐに受け止めた春樹は1人で唸りながら頭を抱えている。彼の表情を見ている海斗は、軽く笑って話を続けた。


「もちろん、それは今だけであって、未来は分かんないよ。春樹が文字通り死ぬ気で修行をすれば叶うんじゃないかな」


「死ぬ気で……」


「そうだよ。未来なんて誰にも分からないんだからさ、先の事を考えるよりも、今を必死に生き抜こうよ」


海斗の言葉を聞いた春樹は一年前の出来事が頭を過ぎった。目の前で命を落とした、いや、落とされた親友であり、兄弟である彼の姿。そして、彼から言われた言葉達。頭を抱えていた手を離し、自身の手を見つめ始めた。


彼の姿を見ているだけで何も言わない海斗。少しの沈黙の後、春樹は下げていた目線をゆっくりと上げて海斗と目を合わせた。


「それなら、俺に……僕に、もっと教えてください。強くなるための、知識が欲しいんです」


「うん、もちろんだよ」





「で、さっきの続きから説明するよ。悪行罰示式神はね、話した通り霊力が強いから並の陰陽師では扱えないんだ。無理に扱うと……」


「扱うと……?」


「死ぬね、確実に」


「また爽やかな笑顔で言ってる……」


仕切り直しと言わんばかりに海斗は笑顔で話を進めた。しかし、その内容と彼の笑顔は確実に矛盾しており、違和感しかない。彼の話を聞いた春樹は戸惑いながらも、続きを聞くことにした。


「霊力って言うのは、その人の中にある“器”みたいな物なんだよ。それを超えてしまうと、水が溢れた器の如く溢れ、更に超えて行くと器が壊れるように人間も壊れるんだ。むしろ、器よりも人間の方が柔く脆いんだ。だから、自分の技量を見誤る事だけはしてはならないよ」


「……」


眉をひそめて話をする海斗は真剣そのもの。死と隣り合わせで生きていくのが陰陽師と言う役職。緊張感が走る2人の間は大きな欠伸の音により薄れてしまった。


「ふあ〜あ……ん?お前ら、まだ勉強してたのか?」


「陽斗……お前は本当に場の読めない人ですね……」


大音量を出して寝ていた彼は2人の雰囲気を考えずに言葉を発した。陽斗の行動に呆れて溜息をする海斗は「まぁ、彼の事は置いといて」と何か文句を垂れている陽斗を無視して再度話を始めた。


「何度も話が逸れてごめんね。陰陽師の事は正直明るい内容ではないんだ。この前話していたのを覚えているか?安倍晴明様が亡くなったって」


「あぁ、それなら覚えています。それが何か大きい問題でも?」


「大ありなんだよ。それがな」


「陽斗、またお前は勝手に話に入ってくる……彼の言う通り、問題があったんだよ。彼、安倍晴明様が亡くなる少し前に国の天皇様が亡くなったんだ。しかも、何の遺言も残さずに。そのせいで彼の子供であった2人の兄弟は跡目争いが内部で勃発。真っ二つに別れてしまったんだよ」


時々話の間に入ってくる陽斗は口角を上げて話し、続きを話している海斗を見ていた。春樹は2人が進めていく内容に惹かれるように体が前のめりになっていた。


彼の行動を見ていた海斗はこの調子で本来勉強するはずの歴史を混ぜて話そうと考えつつ話を続ける。


「皇族も、貴族も真っ二つに別れた頃。その時に安倍晴明様が亡くなったんだ。それを聞いた陰陽師達も、兄の派閥と弟の派閥で綺麗に別れてしまったんだ。元々、安倍晴明様によって強制的に支配されていた物だったからねぇ」


「まぁ、そんだけあの人は強かったって事だよ」


「そう。まさに、春樹の目指している“最強”の陰陽師だったに違いないよ」


「最強の、陰陽師……」


海斗と陽斗は震撼している春樹を見て、心の底から何かが湧き上がるような気分になった。今は亡き安倍晴明の事を知り、恋い焦がれるように想いを馳せる春樹の姿は恋を通り越して尊敬の念と憧れを持ち過ぎているのだと分かった。


春独特の暖かい風が部屋の中に入り、柔らかな優しい匂いが充満する。彼等は春樹の未来なんて見える訳もない。しかし、きっと自分達よりも上へ上へと貪欲に、貪り尽くすように進むのだろうと確信した。


「……で、その後はさっき説明した戦争が起きたんだ。この名前、覚えてる?」


「え?い、いきなり問題ですか?えーっと……」


「おいおい……さっき教えてばかりだろ?ちゃんと思い出せよ!」


気合いを入れるように春樹の背中を何度か叩く陽斗。彼の強い力は春樹にとって痛みが強いようで「痛い痛い!」と体を縮こまらせていた。


「あ!思い出した!春秋しゅんじゅう陰陽おんみょう戦争、ですよね!?」


「そうそう。思い出してくれて良かったよ。で、まだ内容を説明してなかったから今から説明するよ」


「お願いします!」


気合い十分な春樹は興奮を隠せないようで、それを見た海斗は可愛らしいと思って軽く笑った。


「ふふっ気合い十分だね!続きなんだけどね、春秋陰陽戦争って言うのは武器を一切使わなかったんだ。その代わりに、陰陽師を“道具の代わり”として使われたんだよ。だから、一般人が戦う事は不可能と言われていたんだ」


「え?何で不可能なのですか?」


「あぁ、まだ春樹は知らなかったね。僕達のような陰陽師になる人間は、当たり前のように式神が見えているんだ。でも、一般人にはそうそう見えないんだよ」


説明をしている最中の春樹の質問に、思い出したように反応した海斗。彼等の話を近くで聞いていた陽斗は再び眠そうにして、欠伸をしている。


「それは知ってるんですけど……だって、俺の兄弟も見えなかったし。それでも、たまに見えている人いましたよ?」


「あ〜それはね、理由があるんだよ。」


「理由?」


「そうそう。ん〜……話すと長くなるから、このまま教えるね。さ、帳面を開いて」



「うっ……結果的に勉強することになるのかよ!」



少し考えていた海斗は先ほど考えていた案をこのまま採用し、教養を指導するための時間をまとめて取ろうと提案した。春樹はてっきり勉強は終わっていると思い込んでいたのだが、まさかの再会に絶望しつつ、受け入れることにした。


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