序章 第二話

「見て見て!春樹!凄いよ!」


「分かった分かった。見えてるって…」


春樹の服をグイグイ引っ張る冬樹は興奮しているようだ。鼻息を荒くしている彼が指差す方向には真っ白な装束を身に纏い、頭の上には立烏帽子を被っている。彼の立烏帽子はかなり目立つ真紅だった。


一際目立つその色に目を奪われるのだが、その次には彼が出しているモノに目が行った。彼の手元、いや正確には扇子のところから出ているのは水。近くには井戸や川は全くないのにも関わらず、普通の“人間”は見えないようだ。


「…あの人、式神を扱ってるんだね」


「え?どこどこ?そんなの見えないよ?」


「ほら、あの人の足元に小さい龍がいるよ」


春樹が指差す方向は、まさに水を出している彼の目の前にいる、らしい。周りで見ている人々は全く見えていないよで、拍手を送っている。冬樹は一生懸命に見ようとするが、残念ながら何も見えない。春樹にしか見えないモノに興味津々のようだが、見えないものは見えないのだ。


「あーあ…俺にも、春樹みたいな霊力があればな〜」


「おい、あんまりここでその話をするな」


彼の発言に春樹は顔をしかめて咎めた。冬樹の言った通り、春樹には他の人間よりも多くの霊力を持っている。生まれた時から持っていたモノで、何故かは今の彼には分からない。春樹が拾われたのは5歳の時。山の中で、葉っぱや木の枝を使って一緒に遊んでいたのを目撃された。その話を聞いているだけだと、可愛らしい話のようだが詳細まで聞くとだいぶ異なる。


正確には、自分の霊力を無意識に使って本来使うはずの式神の紙を代用として葉っぱ、木の枝を利用し、召喚していたと言う。それを目撃した奴隷商人は高く売れると思い連れ去るが、春樹はその後そのような遊びを全くしなくなった。それ故、買い取る人間はおらず、格安で今の主人の所に来たと言う。


「ごめんごめん…でも、俺もいつか立派な陰陽師になれたらなぁ…」


「…そう、だな」


適当に相槌を打っているようだが、彼の願望に素直に頷けない様子の春樹。そんな春樹の様子に気づいていない冬樹は真ん中にいる彼に近づこうとする。


「ねぇ!もう少し前に行こ!」


「お、おい!ぶつかるって…!」


春樹に話しかけることに夢中になっていた冬樹は、前にいきなり出て来た男性になかなか勢いよくぶつかってしまった。そして、それと同時に倒れてしまった冬樹は強く尻餅をついてしまった。


「イテテ…」


「冬樹!大丈夫か!?」


「おいおい、痛いじゃねーか!…あ?お前、奴隷か?」


春樹とぶつかった彼は痛いと口にしているが、尻餅をついている冬樹とは違って立ったままだ。彼らより明らかに体格差のある男性は見下ろすようにして威嚇してくる。直ぐに駆け寄った春樹も一緒に上から威圧する彼は、目を細めて彼らを舐めるように見回した。


「うっわ、最悪じゃねーか!お前らみたいな奴隷に触るとか!」


パッパッと汚れを振り払う彼は、地べたに座り込んでしまっている2人を汚物を見るような目で見た。彼らにとってはよくあることで、奴隷という存在は蔑まれ、人間扱いされないのが常だ。


そんな彼らはその目に敵意を感じ、何も言い返さない代わりに怒気を含んだ目線を送る。すると、その怒りに気づいた男性は威嚇するように声を荒げた。


「何だぁ?人間でもない奴らが、俺らに反抗するってのかぁ?」


「……別に、何でもないです」


抵抗を込めた沈黙の後、答える冬樹。周りは何が起きたのか、と興味を持ち始めたようで野次馬が増えて行く。周りの様子なんて全く気にしていない彼は続けて罵倒する。


「はっ…何も持っていない、人権もない、そんな人間に価値はねぇよ。失せな」


彼の軽蔑する目は変わらない。周りからは指を差され、クスクスと笑う声が聞こえる。誰も彼らを助ける素振りを欠片も見せない。手を差し出す人は少数であり、それもきっと彼らの命をお金で買うような輩だ。


「……すみません、でした」


頭を地面に擦り付けて謝る冬樹。その姿を隣で見ていた春樹は目を鋭くさせながらも、同じように擦り付けた。彼の笑い声が頭の上から聞こえてくる。2人は彼がどんな顔をしているかなんて分からない。しかし、優越感に浸っているのはヒシヒシと感じていた。


「俺は忙しい商人なんだ。お前らに時間を割いてやっただけ有り難いと思えよ!」


捨て台詞のように吐いた物は、嫌な感触と共に2人の髪の毛についた。その感触に鳥肌が立ったのだが、反論するのは許されない。彼が去って行く足音を聞いて、2人は顔を上げた。周りにいた沢山の人間はいつの間にかいなくなっており、道路の真ん中に残されたのは春樹と冬樹だった。


「…ごめんね、俺の所為で春樹まで巻き込んで」


「いいよ、だって俺らは兄弟だろ?」


「……!うん!」


偽物の兄弟、と言われたらそれまでだろう。しかし、本物の兄弟以上の絆を持っている彼らの間には目には見えない、大切な物があったのだ。


「……!?ど…い…る!?」


幸せそうな彼らに近づく怒号。聞き慣れた声は、遥か彼方から聞こえてくる。静かになったと思った周囲の人々はその声がする方を見ている。彼らの目線と同じ方向を見る春樹と冬樹。


そこには、血眼になっている彼らの主人がいた。


いつも自慢気に見せている高価そうな服を取り乱して、周囲の店に片っ端から聞いているようだ。鬼気迫っているその行動と表情に血の気が引くのを感じた。


「ど、どうしよう、春樹…!」


春樹の腕を揺する冬樹。顔を青ざめさせているのは冬樹だけでなく、春樹も同じように真っ青な顔をしている。叱責されることを覚悟で来ていたのだが、今回は違う。いつもより桁違いに怒っている。その姿に怖気付いてしまい、動けなくった2人。これは、帰ったら何をされるか分からない。それだけは2人とも理解していた。


すると、ぐるんと勢いよく首を振り向かせた主人は彼らを見つけた。その彼の行動に恐怖を抱いた2人。そして、春樹と冬樹は完全に彼と目が合ってしまったのが分かった。


「春樹!冬樹!お前ら、勝手に抜け出すとは何事だ!!!!」


醜く太っている彼は短い足を一生懸命に動かして大股で歩いてくる。周囲で見ていた人々も、あまりの迫力に圧倒されてしまい自然と道が開いた。どんどん近づく彼に対しての恐怖が2人の足を地面から動かせない。


「ねえ!春樹!!」


「……逃げよう!!」


焦っているように呼んだその声に反応した春樹。今まで動かなかった重い足が、鎖が外れたかのように軽くなった。そして、春樹は冬樹の手首を強く握って走り出したのだ。それを見た主人は怒りが最高潮に達したようで、何か2人に向かって叫んでいた。しかし、長年怠惰な生活を送っていた人間が毎日動いている人間に追いつく訳もなく、すぐに見失ってしまった。

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