「呑まれていく理性」

 暗闇の中で仰向けになっていた。起き上がろうとした時、体が固定されたように全く動かない。

「そんな、どうなっている」



 体の異常に戸惑っていると、腹部が蠢いているのに気がついた。


 抑揚を繰り返し、まるで何かが腹を破り、外に出ようとしているようにも見える。



 すると無数のムカデや芋虫、蛆虫が自身の薄い腹の皮を食い破ってぞろぞろと溢れ出て来た。鮮血を纏い、自身の顔に向かってくる。



「やめろ、やめろ!」

 勢いよく飛び起きた。腹を確認したが食い破られた痕跡はなく、悪夢だったと悟った。

 


 夜明けが近づいているのか。東の空が明るくなり始めていた。自身の横では愛しい我が子がいた。



「なんなんだ。さっきの夢」

 悪夢で荒れた自身の心を落ち着かせようと深呼吸をしようとした時、突然想像を絶する程の空腹と喉の渇きに襲われた。



 まるで体から栄養を全て引っこ抜かれたような脱力感に手足が痙攣を起こし始める。



 おそらく肉体が強化した分、補給する栄養量も増えさなければならないのだ。



 人間は栄養価が非常に高かったため、ある程度満たされていたが、今やその栄養も枯渇しかかっていた。



 するといきなり、魅惑的な香りが彼の鼻腔を燻った。両目が左右逆を向いて正体は分からないが、間違いなく絶品だ。



 焦点が定まらないため、ご馳走に有り付けない。食欲と発見できない煩わしさで苛立ちが募る。


「くそっ! どこだ! 飯! 飯い!」

 すると鼻がご馳走の匂いを特定した。口元から蛇口を捻ったように涎がダラダラと流れ出てくる。



 突然、プツンと糸が切れたように自身を苦しめていた食欲の波が静まり、まるで嘘のように治ってきた。



「あれっ、俺は一体」

 目の正面が徐々に前を向いていく。しかし、視線の先にあったものを確認して、彼は言葉を失った。



「ああ、なんてことを」

 目線の先にあったのは愛する子供だった。極度の飢餓状態のあまりに我を失い、守るべき者に手を出そうとしていたのだ。



「すまない。こんな父親で、本当にすまない」

 彼は罪悪感と自責の念に駆られて、すがりつくように卵に頰を寄せた。



 我が子に許しを乞いていると、森の奥からこちらに近づく複数の足音を耳にした。


 素早く土を蹴り、草を踏みしめる音がものすごい速さでやってくる。


 心臓の鼓動が早くなっていく。そして、草陰から勢いよく何かが飛び出して来た。


 武装した隊員が三人と三頭の犬だった。その格好で彼はなんとなく研究所関係の連中だと察した。


 おそらく自分達を処分、または暗殺するために送られてきたのだ。


 そのどれもが彼に対して敵意を抱いたような目を向けていた。


 彼もすぐさま臨戦態勢に入った。背後にいる我が子を守るために戦わなくてはならない。


「例のトカゲを発見しました。すぐさま対処に当たります」


 隊員三人ともが銃口を向けてきた。足元の犬たちも一斉にうめき始めた。


トカゲは研究室での経験から銃がいかに危険なものか理解していた。発砲したら躊躇なく殺す。


「おい、獣ども。俺は今、むしゃくしゃしてんだ。かかってくるのなら容赦しない」


  犬達は不敵な笑みを浮かべた。どうやら警告は無駄だったらしい。


 一匹が鋭利な犬歯をむき出しにしながら、飛びかかってきた。しかし、今のトカゲにとって攻撃をかわすなど朝飯前。


 一瞬でかわして、尻尾に噛み付いて近くの木に投げつけた。


 キャンと甲高い声で鳴いて、犬は動かなくなった。


 犬達が唸り声をあげながら、石竜子を威嚇している。



 しかし、トカゲから見れば被食者が自ら首を差し出しにきたのも同然である。



「行け!」

 隊員の指示で二頭の犬が向かってきた。敵討ちと言わんばかりに鬼気迫る形相で向かってくる。


 二匹のうちの一匹の首に勢いよく食らいついて、強力な顎の力で息の根を止めた。


 


 残り一匹の後ろ足に食らいついた。口元に力を込めて、血を吸うと物凄い量の血液が口内に流れ込んできた。


「ああ、たまらん」

 病みつきになるような美味さ。あまりの味わい深さに頬が緩んで恍惚と笑みを作った。



 脳内には辺り一面に美しい花が咲き誇る広大な花畑が浮かぶ。


 我に帰ると犬は血を大量に吸血されたせいか、干からびた体を痙攣しながら地面に横たわっていた。


「くっ! 撃て!」

 隊員達が銃を次々と乱射し始めた。トカゲは鉛玉の豪雨を先ほど吸血した犬の体を用いて防いだ。



 防弾しながら迫り、隊員達の前に投げつけた。 

 隊員達が遺体に目を取られているすきに、持ち前の凶悪な爪で隊員達を引き裂いた。



 首が吹き飛び、内臓が飛び出す。両足と頭が欠損するなど気持ちの良い朝とはかけ離れた凄惨な光景が広がっていた。



 すると近くで音がした。目を向けると最初に木にぶつけられた犬が忍び足で逃げようとしていた。


 どうやら絶命したのではなく、気絶していたようだ。トカゲは瞬時に、鋭利な爪で両後ろ足を切断した。



 犬は前のめり倒れて、自身の後ろ足が切られた事を知ったのか、顔を引きつらせていた。


「さて、話を聞かせてもらおうか。なぜ、俺を襲った」



 犬は目を血走らせながら、彼をじっと見ている。恐怖のせいか言葉が途切れ途切れでしか、聞こえない。


「め、命令された。お前は危険だと言われたから」


 トカゲの予想は当たっていた。やはり研究所にいた連中の仲間は自分のことを相当警戒しているようだ。


「この力はなんだ?」


「その力はお前が嗅いだのはある植物が元になっているんだ」


「植物?」


「俺も詳しくは知らない。だけどその植物の効果を試すために色々な生き物に臭いを嗅がせていたらしい」


 彼は思わず耳を疑った。自分たちだけではなかったのだ。他にも被害者達がいて、今もなおかつての自分たちと同じ目に遭っている存在がいること。


「そんで、あんたはその中でもイレギュラーな存在だって。普通あの臭いを嗅いだ生き物を死ぬらしいんだが、あんたの場合、適合して驚異的な力を身につけたとよ」


「じゃあ、あれか? 俺達はその実験のために捕らえられて、奴らのおもちゃにされたって事か」

 犬は口にしづらそうな様子で答えなかったが、間違いない。


「その植物が自生している場所を教えろ!」


「しっ、知らない。俺たちはただの使いっぱしりだ」


「ならお前らアジトの場所は!」


「こっ、ここからずっと西に行った場所にある。そこに摘み取った植物も保管してある」


 トカゲの鬼気迫る尋問に犬は肩を震わせながら、答える。


 怯えた様子から察するに本当に効き出すに値する情報は持っていないと察した。


「な、なあじゃあ、俺はもう良いだろう? 見逃してくれよ」


「そうして、やりたいがお前を生かすと増援を呼ぶ可能性がある。すまないな。恨むならお前をこんな運命に巻き込んだ奴らを恨むと良い」


 トカゲは真正面から犬の頭に食らいついた。


 犬は手足をばたつかせながら抵抗していたが彼には全く通じず、少し顎に力を込めると鳴き声は止んだ。


 歯の隙間から真っ赤な血が顎下を流れて、地面に滴り落ちる。


 東の空には既に太陽が我が物顔で上がっていた。

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