ときには祖国の話を

 できたての料理がテーブルを覆い尽くすのは、当初はリディも戸惑い驚いたりしたけれども、今ではすっかりおなじみの光景になっている。今夜、暴食は落ち着いたというのに、やけに食が進んでいる。

 食前にギルから嫌味ったらしく「今夜は酒はなしな」と言われてムカッとしたせいだろうか。


(わかっているわよ。失礼なヤツ。フンッ)


 昨夜のやらかしをすんだことと割り切るには、まだ少し時間が必要だ。

 以前は、食べることにそれほど関心を抱いていなかった。もちろん、美味しいに越したことはないけれども、食事は生きるために必要だからという意識が強かった。

 それがどうしたことだろう、食べるという行為が、体だけでなく気持ちにまで多大な影響を与えるとは。やけ食いなど、はしたなくて下品だと見下げていたというのに。

 彼女の胃袋と心が満たされるのを、ギルはこれっぽっちも面白くなさそうに眺めながら、シナモンとはちみつがたっぷり入ったホットミルクをすする。


(もしかして、ありったけの食い物与えておけば、大人しくここに引きこもってくれるかもな)


 などと血迷った考えが頭をよぎるほど、彼女の食べっぷりは見事だった。たとえやけ食いだろうが、夢中になれることがあるならばと、思ってしまったのだ。けれども、すぐにその食費を出すのが自分だと思い出し、倹約を趣味としている以上、認められないと小さく息をつく。

 甘ったるい物を飲んでいるというのに、酢を飲んだような顔をしているギルに、リディはふいにあることに気がついた。


「そういえば、ギルは飲まないわよね?」

「……」


 心ゆくまで食べ終えた彼女が、口元を拭いつつ不思議そうに小首をかしげている。

 何がと尋ねなくともわかってしまった彼は、無骨なマグカップを握る手に力をこめる。それこそ、憎たらしくて握りつぶしてしまいたいと言わんばかりに。

 急にあらわにする不穏な態度に、リディは驚きオロオロしだす。


「え、どうしたの?」

「どうしたの? じゃねぇよ」


 ダンッと、マグカップごとテーブルを荒々しく叩く音がやけに大きく響いた。


「なんで、どいつもこいつも、まったく……」

「あの、ギル、その別に、わたしはその……」

「あ゛?」


 ギルの目は据わっていた。元王子の上品さなど、一片の欠片も残っていない。そもそも、どれほど王子らしさが残っていたのか疑わしいけれども。


「酒が飲めなくて悪かったなぁあ」


 もはや、そこらのチンピラではないか。

 リディはなんとなく気になったからと、何の気なしに尋ねただけだ。なにがそれほど気に障ったのか、さっぱりわからない。混乱しオロオロするしかなかった。


「いいだろう、リディ。壁の向こう側出身のよしみで、特別に詳しくおしえてやろう」

「…………」


 「いいえ、結構です」と言えたらどんなにいいかと、リディは少し泣きたくなった。


(でも、わたし、そんなにひどいこと言ってないわよね)


 理不尽極まりないと嘆きつつ、もうギルの好きにさせようと諦めた。好きなだけ喋らせればいいだろう。少なくとも手は出さないはずだ。そう信じたい。


「昔、俺が右腕を失ったときのことは話したよな」

「……え、ええ。聞いたわ」

「その後、幻肢痛が続いたことも話したよな」

「聞いたわ」

「その、幻肢痛と悪夢から逃れるために、馬鹿なクソガキだった俺はしこたま酒を飲んで死にかけた」

「あーそれは……」


 はっきりと言わなかったけれども、彼が十歳かそこらのことだったのだろう。当然、子どもゆえの軽率さと笑い飛ばせず、下手な同情もできず、リディはなんとも複雑な顔で口を閉じるしかなかった。

 そんな彼女に、まだまだ言い足りなかったギルは、ずいと不機嫌な顔を近づけた。


「だいたいとうして、どいつもこいつも飲めるって決めつけてくるんだ。顔か? 顔なのか?」

「……顔、というよりオーラ? 雰囲気じゃないかしら」


 おそらくこれまで散々言われ続けてきたであろう答えも気に入らないと、ギルは鼻を鳴らして身を引き腕を組む。

 どうすれば機嫌を直してくれるかわからないながらも、リディは「あぁ、でも……」と続けた。


「ジャック王子のせいもあるかも」

「ジャック? ああ、コニーの息子だったか」

「そうそう、王太子で、次の春にはわたしの従妹の夫になるギルの甥っ子」

「そのコニーの小倅がなんの関係がある?」


 よく見れば、皇帝によって期間限定で二十代の頃の姿になっているギルは、祖国の次期国王との血の繋がりを漂わせる風貌をしている。並び立つことはもうないだろうけれども、烏のような黒髪と藍色の瞳はもちろん、特徴的な細い目にばかりに気を取られてしまうけれども、細面の輪郭や口元はそれなりに似ているのだ。


(まぁ、ジャック王子しか会ったことないんだけどね)


 あらためて彼が神なき国の高貴な血筋の生まれなのだと、リディはしみじみとしながら答えた。


「神なき国のジャック王子は無類の酒好きだというのは、結構有名だと思ってたけど。ギルは知らなかったの?」

「……」


 不機嫌そうにではなく、訝しむように眉間にシワを寄せて、ギルは祖国に残してきた大事な弟の息子に関する情報を手繰り寄せる。

 なにしろ、会ったこともない甥だ。か弱い弟のことは、常に気にかけているけれども、正直甥のことはそれほど関心を抱いたことはなかった。


(そもそもコニーはクリス兄さんの息子のほうに継がせたがってたじゃないか)


 末弟コーネリアスが一番慕っていた長兄が遺した一粒種。もう一人の年長の甥。王の資質に不安のある甥を競わせ鍛えるために、コーネリアスは実子を王太子に指名したはずだ。現に、目の前のリディは二人の甥の王位争いに巻き込まれた結果、帝国にくる羽目になったのだ。

 暴君であった父王に立ち向かい英雄視されている亡き王太子の遺児と、未婚の王の庶子。コーネリアスの思惑がどうであれ、対立するのは避けられなかっただろう。


(だが、いよいよコニーの命も危ういというし、次の春に婚姻を結ぶのを前提に王太子の婚約者を月虹城に迎え入れた。気が変わったのか)


 あれほど可愛がっていた長兄の息子を諦めた可能性もあるのだろうか。

 私的なやり取りは続いているものの、互いの国の情報は漏らすことで有益となる場合を除いて避けてきた。というよりも、ギルがコーネリアスの体調を気遣う便りと滋養によさそうな物を一方的に送りつけては、嫌味や皮肉をたっぷりこめて弟が礼状を送る。そんなやり取りがほとんどだったのだ。

 それほど関心を抱かなかったジャックの人となりを、ギルがほとんど把握していないのは、そういった事情があったのだ。

 次期国王の可能性が高かった長兄の遺児のほうは、末弟とは別に信頼できる筋から情報を得ていた。けれども、末弟の考えが変わった可能性を考慮するなら、今からでもジャックがどういう人物か、知っておいたほうがいい。

 ギルは素直に知らなかったと認めて、リディに尋ねることにした。


「無類の酒好きは、初めて聞いたな。十中八九、母親譲りだろう」

「そうなの?」

「そうに決まっている。だいたい、病弱なコニーが酒なんか飲んだらどうなるか。俺たち兄弟六人で飲めるのは、二人だけだ。それも少し嗜むのがせいぜいといったところだしな。歴代国王でも酒豪なんて逸話も、そもそもない」

「ヴァルトン王家って、下戸の家系だったりするのかしら」

「こんな冗談がある。国王に毒を盛るくらいなら、酒を飲ませたほうがきくってな」

「ぜんぜん笑えない冗談ね」


 実際、ギルはちっとも面白そうではない。

 リディは、知りたくもなかった事情をどう処理をすればいいのか頭を抱えそうになった。


「それで、そのジャックとやらは、いったいどんなやつだ。教えてくれ」

「そうね、ジャック王子は……」


 おそらく世間の噂ではなく実際に会った印象を知りたいのだと、リディは考えた。少し迷ったものの、やはり率直な印象を答えることにした。


「ヘタレよ」

「……………………は? ヘタレ?」

「そう、ヘタレよ。ヘ、タ、レ」


 聞き間違えたのかと思ったギルに、リディは強調するように一音ずつ区切ってはっきりと告げる。


「そもそもジャック王子に会ったことなんて、数えるくらいしかないけど、初日ではっきりとわかったもの。あいつはヘタレだってね。ジャズのことを好いているくせに弱腰で、見ているこっちがイライラしたわよ。まぁ、ジャズもジャズで鈍いし拗らせているんだから、彼のことばかり言えないけど。なにあれ、両片想いってやつなんだろうけど、イライラする。男なら、もっとビシッと積極的にいけってのよ。そうすれば、イライラせずにすんだのに。ジャズも、あんなヘタレのどこがいいのか」

「………………………………」


 リディがいかに甥の態度に不満をいだいていたのかだけはよくわかった。


(いや、俺が知りたかったのはそういうことじゃないんだが……まぁ、しかたないか)


 彼が知りたかったのは、ジャックがどれほど有能かということだ。末弟が敬愛する長兄の遺児を諦め、認めざる得ないほどの資質がどれほどのものかだ。

 そもそも、期待するほうがおかしい。こちらの思惑などお構いなしに、リディは従妹の婚約者がどれほど鈍感か、従妹も従妹で無駄に拗らせてなどと、渋面ではあるものの他人の恋愛事情を喋り続ける。


(若いな)


 年頃の女というやつだろうか。微笑ましくて、ギルは好きなだけ喋らせてやることにした。

 ギルは、祖国を飛び出すよりも前から、一生涯妻帯しないと固く決意していた。情に厚いけれども、恋愛には非常に淡白な男であった。けれども、無自覚な人たらしのようなところがあるせいで、たびたびトラブルを引き起こしている。サガを筆頭とした部下の頭痛の種になっている。

 閑話休題。

 従妹の恋愛事情で溜め込んでいた鬱憤をあらかた吐き出したリディは、ふとジャック王子が帝国に対して言っていたことがあったのを思い出した。


「あ、そういえば、彼、この国と対等な交易関係を築きたいとか言ってたわね」


 ギルの微笑ましく弧を描いていた唇がピクリとかすかに動いたけれども、リディは気づかずに思い出しながらとつとつと続ける。


「世間では帝国をしのぐとか言われているけど、そんなことはないとか。帝国が羨むような新しい産業を確立しなければとか、ああそうよ、神なき国の医療にヤスヴァリード教の奇跡――治癒を取り入れたいみたいなこととか、なんか色々すごい大口を叩いていたわね」

「大口を叩いていたか」

「大口でしょ。わたしもその時は神なき国の国力はすごいなと思って聞いていたけど、壁を越えた今はただの見栄だってわかるわ。きっとジャズにいいところ見せたかったんでしょうね」

「それもそう、かもな」

「そうに決まってるわよ」


 言いたいことを言ってスッキリしたリディは、きれいに空になった食器を重ねていく。ギルも思いがけず聞きたいことを聞き出せたので、彼女にならい廊下のワゴンに食器を運んでいく。

 即席の天蓋の内側のプライベートな空間で寝支度を始めたリディは、最後まで気がつかなかった。

 神なき国の王太子の帝国に対する姿勢を聞いていた彼の糸のように細い目が、まったく笑っていなかったことに。


(あのコニーの息子だぞ。ただの大口をたたくわけがないんだよなぁ)


 そんなこと、コーネリアスが許さないはずだ。

 甥のことはしらなくとも、ギルは末弟のことはよく知っていた。

 下手をすれば、末弟などとは比べ物にならないほど帝国の脅威になりかねない。

 寝椅子に腰を下ろしたギルは、長々と憂鬱なため息をついた。

 まさかとは思いたいけれども、今までもう一人の甥を推していたことすらも、有能な実子への目隠しだったのかもしれない。


 神なき国のコーネリアス王も、ギルバート・ヴァルトンという兄をよく知っていた。

 一度、皇帝に忠誠を誓ったのなら、帝国の脅威になりかねない芽は早々に排除してくるに違いないことを。

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いかにして彼女は、神ごとき皇帝が統べる国の民となったのか。 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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