ギルの講義 その二

 ギルは、シャツの下にあるオニキスの聖石を引っ張り出した。

 そういえばと、リディは以前彼が聖石には、信徒の証の他に身分証の役割もあると言っていたのを思い出した。まだ来たばかりだからか、彼女の蛍石の聖石は、以前のままだ。


「これも、前に少し話したと思うが、この国でどの街に住民登録しているかが、結構重要だ」

「ロバートの保証金を持ち逃げされて、泣き寝入りするしかなかったやつ?」

「なんで、それなんだ」


 他にもあっただろうに、嫌なこと思い出させるなと、ギルは心底嫌そうにぼやいた。

 もちろん、リディはちゃんと他のことも覚えている。

 北壁を越えるときに、どういう仕組みか知らないが、聖石で身分を確認していた。そのあと、彼女がロバートと名付けたロバの持ち主が、保証金を持ち逃げした件で訴えるのが難しいと言ったときに、身分証がどうこう言っていたのも、詳細はわからないなりにも、一応覚えていたのだ。

 とはいえ、リディが魔力を持って生まれていたことが発覚してからは、聖石は魔力の安定装置としての役割のほうが大きいと無意識のうちに認識を改めていたのだが。


「まぁいい。国に資産をすべて納めるとはいえ、実際に徴収を行うのは、住民登録されている街や村だ」

「そうなるでしょうね」

「徴収した資産の額やら、職業年齢、家族構成……他にもいろいろあるが、諸々加味されるから一概に言えんが、だいたい四割だ」

「四割? ああ、四割が実質的な税として徴収されるということね」


 六割程度が手元に残ると、メモをしようとした彼女に、ギルはそうじゃないと首を横に振った。


「逆だ、逆」

「逆? 逆って……」

「四割が手元に返って、六割が実質的な税だ」

「はぁああああ!!」


 素っ頓狂な声を上げてしまった彼女を、ギルは笑わなかった。笑えるわけがない。かつての自分も、素っ頓狂な声こそ挙げなかったものの、大いに驚いてしまったのだから。


「だ、だ、だだ、だい……大丈夫なの?」


 何がとは、ギルは尋ねなかった。驚きのあまり挙動不審になってしまったリディ自身、なにが大丈夫なのかと具体的なことは頭に浮かんでいないのが、痛いくらいよくわかってしまったからだ。


(そいや、リディの祖国の前政権が革命で倒れたのは、権力者の腐敗政治とか真っ当な理由があったな)


 当然、重税に苦しんだこともあっただろう。彼女自身が経験していなくても、まだそう古い話ではないのだ。

 とりあえずと、水の入ったコップを黙って差し出した。黙ってゴクゴクと飲み干して、ようやく動揺が収まったようだ。


「大丈夫か?」

「……え、ええ、大丈夫よ」


 そんなとんでもない税で大丈夫なのかと尋ねた自分が、大丈夫かと心配されて、リディは気まずさを誤魔化そうとぎこちなくもう一杯コップに水を注いだ。心を落ち着かせるために、先程よりもゆっくりコップを空にするのを待って、ギルは話を続けた。


「それに見合った恩恵を与えられているから、国民はあまり不満を抱いていない。というか、そもそも他国を知らないわけだから、これが当たり前だと疑いようがないってのもある。だから、大丈夫か、大丈夫じゃないかと問われれば、大丈夫ってことなんだろうよ」

「確かに、比べようがないのはわかる。それで、その恩恵っていうのは?」

「たとえば、この国の子供は読み書き計算とか、基礎学力を学べる学校に無償で通うことができる」

「誰でも?」

「誰でも。というか、義務と定められているんだよ。子を学校に通わせない親は、罰せられる」


 だから、この国では読み書きができて当然なのだと、ギルは続ける。


(それは、すごいことだわ)


 リディの祖国では、都市部でも代筆を生業にしている人はたくさんいる。読み書きができるだけで、重宝してもらえるのだ。そんな特殊技能のような読み書きが、当たり前のようにできる。彼女は、ただただすごいと感心するばかりだ。

 他にも、職を失った人に新しい仕事を斡旋したり、両親を失う以外にも虐待や困窮にさらされた子どもを尊重した保護施設に里親制度、治癒にかかるお金の補助などなど、びっくりするほど行き届いた行政制度の数々。それですら、ほんの一例だとギルが言うのだ。


「あとは、この街で例えるなら、トラムも無償で乗れる」

「え、あの乗車券、タダだったの?」

「いや、俺たちはタダじゃない。俺たちは、この街の人間じゃないからな」

「それはつまり、住民登録していないと、街の支援は受けられないということよね」

「そういうことだ。お前にわたした定期乗車券も、それなりにしたんだぞ」


 なぜ、出稼ぎ労働者をはじめとしたよそ者が嫌われるのか、なんとなくわかり始めてきた。


「じゃあ、住民登録していない人たちの稼いだお金は、どうなるの?」

「いいところに気がついたな。もちろん、出稼ぎ先では納められない」

「てことは、出稼ぎ中は稼いだら稼いだだけ自分のものになるってことよね」

「もちろん、戻ったあとで納めることになるが、そうなる。それにくわえて、支援が受けられないこと、移動費滞在費その他諸々考慮しての優遇措置が受けられる。ようするに、納める額がうんと減る。これも一概には言えないが、半分ほどになる」

「六割の半分は、大きいわね」

「まぁ、それでもよそで暮らしていくには足りないらしいがな」

「そう、でしょうね」


 あの市場のことを考えれば、ちっともうらやむような生活はできないだろうと、納得する。そして――


「ということは、つまり……」


 つまりと咀嚼するように数度繰り返すうちに、どんよりとこの街を覆っていたモヤモヤの正体がはっきりとしてきた。


「つまり、出稼ぎ労働者のよそ者は、稼いだだけお金を持っているから、地元住民に疎まれているってことじゃない」

「まぁ簡潔にまとめるとそうなるな」

「でも、必要な税制優遇措置だし、戻ったらきちんと納めるでしょ。なら、なら、なら……全然筋が通らないじゃない」

「ああ、まったく筋が通っていないな。理不尽なことだ」


 いきり立つリディに、ギルはがりがりと頭をかく。


(さて、どうなだめたらいいものか……)


 皇帝が開発、性能向上に力を入れている魔道具には、当然農作業で使われるものも多い。その結果、近年人手を持て余している農村が増加している。余った人手の多くは、大規模工場を有するニーカのような街に出稼ぎに行く。出稼ぎ労働者の増加は、すでに国の最重要課題となっている。

 そこまで、リディに教えるつもりはなかった。勤勉な彼女のことだ、切りがないに決まっている。


(俺は保護者であって、教師じゃねぇんだよ)


 早く神都に帰りたい。


「なにしろ、一時的とはいえ、四割しか手元にないはずの金がまるっとあるんだからな。だいたい、出稼ぎ労働者はどこでも嫌われがちだ。それも理解した上で、故郷を離れて働いてくれている。だが、この街は少しばかりやりすぎている。どうやら、この街には他にも原因があるんだろうよ」

「他の原因?」

「ああそうだ、他の原因。よその街にはないロクでもない原因がな」

「ロクでもない原因ってなによ」

「さぁな」


 怒りをにじませるリディに、ギルは苦笑して肩をすくめる。


「お前が怒るようなことじゃない。陛下も、そういつまでも見逃しはしないからな。さぁ、これでよそ者が嫌われる理由も、おおよそ理解できただろうし、これからはしっかり自重しろよ」

「……わかっているわよ」


 明らかに、ギルはなにかはぐらかしている。

 どう追求すればいいのか、追求していいことなのか、考えあぐねていると、呼び鈴がなかった。


「お、ちょうどいいところに来たな。飯だぞ、リディ。お前の好きな飯だ」


 ギルが頼んでいた夕食が届いたようだ。

 舌鼓すら聞こえてきそうな笑顔で受け取りに行く彼に、リディはもう講義は終了なのだと悟った。少なくとも今日はもう神の国について、詳しく教えてくれることはないだろう。


(この街にしかない、ロクでもない原因、ね)


 もしかしなくても、新参者の自分は知ることないままこの街を離れることになるだろう。なぜか、そのことがとても不満だった。

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