ギルの講義 その一

 皇帝に命じられたのは、リディを皇帝のもとに連れて行くことだと、ギルは解釈していた。なので、保護者と被保護者の関係もニーカに滞在している間だけだと。


(本格的なのは、ハウィンについてからでいいと思ったんだがな)


 子どもでも知っているような魔力と魔法の基礎知識ですら、部下に丸投げするような男だ。この国の仕組みなどといった知識も、関係が解消されたあと、誰かがしっかり教育してくれるだろうと、無責任に構えていたのだ。


「リディは、この国の主な産業がなにか知っているか?」

「知らないわ」


 首を横に振った彼女にとって、フラン神聖帝国について漠然とした印象しか抱いていなかった。具体的な人々の営みを想像することすら、畏れ多い。


「フラン神聖帝国は、開国以来ずっと農業大国だ」

「農業大国?」


 思わず首を傾げてしまった。

 今でも、目の当たりにするたびに衝撃を受けている魔道具の数々のせいで、帝国の他の都市もニーカのような工業や商業が盛んだと思いこんでいたのだ。

 ピンときていないリディに、ギルは苦笑する。


「ここみたいな街は、ごくごく限られている。国土のほとんどが農場だ。麦畑をはじめにじゃがいも畑、さとうきび畑などなど……ああそうだった、綿畑に桑畑、牧草地もかなりあるから、繊維業、酪農も次いで盛んだ」

「……そう言われてみれば、帝国産の高級品といえば、砂糖とか麦とかワインとか織物だったわね」

「納得したか」

「ええ」


 納得するしかないけれども、実際にそうした牧歌的な風景を目にしていないせいか、実感がともなわずスッキリしない。それよりも――


「それで、この国が農業大国なのと、よそ者が嫌われているのと、関係あるの?」

「あるから、話してやっているじゃないか」


 結論を急ぐ彼女に、ギルは苦笑を深める。


「言ったろ、この国の仕組みが関係しているってな。それに、これからこの国で生きていくいく上でも、知っておいて損はない話だ」

「そうだったわね」


 ギルが無駄に長い話を好まない性格なのだろうと、リディはなんとなく理解していた。


(もしかして、わたしが思ってたよりもずっと根深い話だったりするんじゃ……)


 ならば、なおさら知っておかねば。これから、生きていかなければならない国のことを、もうややこしそうだからと、闇が深そうだからと、避けられない。

 彼女には、神なき国で知らないうちに王位争いに巻き込まれた結果、今ここにたどり着いた経緯がある。もしも、平穏な王城暮らしの水面下で行われていることを知っていたら、王家の内情を知っていれば、巻き込まれずにすんだかもしれない。

 すんだことだけども、同じ過ちを繰り返すつもりはない。

 リディは、保護者の話に向き合おうと決意を新たにした。


「初代様は、大いなる神の力を用いて荒れ地を肥沃な大地へと創り変えた。だからだろうな、神ごとき皇帝のうちに大いなる神が眠り続けるかぎり、この国は豊かなのさ。事実として、建国以来、一度として食糧難に苦しんだことはない。毎年豊作だ」

「なんだか、実感わかないくらい、すごい話ね」

「まぁ、この国で生まれ育っている連中は、当たり前のことすぎてすごいともなんとも思っちゃいないがな」

「それはそうなんだろうけど、なんかむかつくわね」

「安心しろ、すぐに腹も立たなくなる」


 そういうものだろうかと、内心首を傾げつつここまでの話を、メモした。


「さて、我が国が農業大国であるのは、理解したな。なら、その作物を育て収穫するのは、誰かって話だ」

「国民でしょう。皇帝陛下のお力が強大だとしても、ご自身でそこまでする必要はないでしょう?」


 皇帝一人で完結するなら、そもそも国家として成り立たないだろう。


「そのとおり。今は品種改良も進んでいるし、農具としての魔道具開発も、負けじと進んでいる。おかげで、ここ十数年、加速度的に効率が良くなっている。まぁ、そのあたりは、一旦おいておいて、だ。昔はどうだったかというと、農業の労働力のほとんどは奴隷が担っていたんだよ」

「でも、身分制度はなくなったって、言ったじゃない」


 他でもない、ギルがリディに教えたことだ。建前としてだけども、国民は平等だとも。


「昔は、だ。聖戦前の話だ。で、奴隷は人ではなく単なる労働力だ。雇い主に当たる奴隷主は、賃金を払う必要もない。家畜のように最低限の衣食住を提供するだけだ。このあたりは、まだわからなくていい。重要なのは、聖戦の影響で全奴隷を対岸に追放し奴隷制度を廃止せざる得なかったことだ」

「ようするに、家畜同然に使えていた労働力を失ったってこと?」

「そういうことだ」

「……それって、大問題じゃないの?」

「大問題だな」


 国民の何割が奴隷だったのか、どれほどの労働を彼らに頼っていたのか。想像もつかないけれども、相当な労働力を失ったことはわかる。奴隷追放だけでなく、黄金山脈に雷を落とし、大河で反乱軍と物理的に分断し、一夜にして北壁で帝国を閉ざすほどのことを、神ごとき皇帝が奴隷相手にする必要があったのか。リディは、初めて疑問に思った。なぜ今まで疑問に思わなかったのか不思議だった。

 わざとかどうかはわからないけれども、独立戦争を始めた旗頭の直系の子孫であるギルは、彼女が疑問を口にする前に話を続けた。


「まさに国家存亡の危機だ。独立戦争後のおよそ四十年の完全鎖国時代は、実のところ国家を立て直すのに手一杯で、他国に関わる余裕がなかっただけだったってわけだ」

「そんな事情が……え、でも、たったの四十年で、立て直したの?」

「それはそれで、信じがたいだろ。俺も、初めて知った時は、ビビった」


 おそらく、飢えを知らない国であることも、大きな要因なのだろう。


(それに比べて、わが祖国は……)


 共和国として、新たな歴史を歩み始めたばかりの祖国との圧倒的な国力の差を痛感させられた。


「前にもちらっと言ったが、階級制度を潰して国民は平等と宣言したのは、そのときの皇帝だ。今の皇帝の二代前の十一代皇帝で、祖父に当たるお方だ。まぁ、黄金山脈に雷を落としたり、壁を築いたりとか、そうとう思い切りのいいお方だったのだろうな。そういうお方だから、強引な政策で、国を立て直せたんだろう」

「四十年で」

「そ、四十年でな。その強引な政策ってのが、貴族階級に相当する神官、魔法使いから、平民に至るまでの全国民から、一度資産をすべて国が没収し、奴隷が担っていた仕事も含め、国が公平に国民に仕事を与え、没収した資産も国民に公平に分配するようにした。無茶苦茶な話に聞こえるだろうが、理解できたか?」

「えーっと……ごめん、できなかった」


 リディは、あっさりと音を上げ素直に首を横に振った。そうだなと、ギルはうまい例え話がないものかと、耳たぶをつまんでしばし考え込む。その間にと、彼女は走り書きしたメモの内容を整理することにした。


(神の国が楽園でないことは、よくわかったつもり。でも、やっぱり食糧難にあったことがないとか、とても恵まれた夢のような国よ)


 おそらく、自分にとって今後の課題となるのは、やはり人間関係だろう。


(わたしは、もうお母様の影で神経をすり減らすような女じゃないもの)


 だから大丈夫だと、言い聞かせる。

 一人ではないからと。事実、彼女には保護者のギルがいる。彼女はまだ知らないけれども、皇帝のお気に入りの彼ほど心強い保護者は、帝国中、いや大陸西部を探してもいないのだ。

 その最強の保護者は、ようやくうまい例え話が思いついたらしく、耳たぶから手を離し、得意げに笑った。


「いいか、この国全体を、一つの店だと考えればいい」

「どんな店よ」

「どんな店でもいい。とりあえず、黙って聞け。これは例え話だからな。皇帝が店主で、国民が店員だ。ようは、雇用主と労働者の関係だ。雇用主は労働者に仕事を与え、労働者は店のために働く、儲かるようにとか、潰れないように、とかな。んで、雇用主は、労働者に対価に賃金を払う。それは、理解できるよな?」

「ええ。あまりうまい例え話とは思えないけど、なんとなくわかった気がするわ」


 おそらく重要なのは、国が全国民の資産を管理し、分配する点だろう。


「なんとなくか。なら、これでどうだ? 俺の祖国のように、資産の一部を税として納めるんじゃなくて、一度資産を全部国に納めて税を引いた分が、当座の資産として返ってくる仕組み、というのは」

「あ、そういうことね」


 それならわかると、彼女は鉛筆を走らせた。


「ま、概念はそのうちに理解するだろうよ。今は、仕組みのほうが重要だからな」

「それって、今も同じ仕組みってこと?」

「そうだ。かなり改定を重ねているが、考え方は変わっていない」

「へぇ……」

「一部を税で納めるよりも面倒だと、思っただろ?」


 思わず漏れた呆れた声に、ギルは苦笑する。

 彼もまた、教育係から初めて仕組みを聞いた時は、似たような反応をしていたのだ。


「一度、仕組みをしっかり築いてしまえば、案外、利点が多いことに驚かされたぞ。まぁ。四十年で立て直せた要因の一つとして、国民の反発の少なさがある」

「えっ、反発が少なかったの?」

「びっくりだろ。だが、よく考えてみろ、少数の裕福な階級の資産も分配されたんだぞ、ほとんどの平民が得をしたわけだ。もちろん、そうなるように計算されて、分配されたんだろうがな」

「それは納得だわ。でも、奴隷の仕事をしなければならなくなったんでしょう?」

「そこは、文句言っていられなかったんだろうよ。背に腹は代えられないとも言うやつだ。長引いた聖戦を強引に終わらせたばかりで、国民のほとんどが疲弊していた。そんなときに、国が衣食住を保証してくれるなら、多少のきつい労働くらいってな」

「……なるほどね。ずいぶん強引な話だけど、そうせざる得なかったところもあるのね」


 ちょうど彼女の歴史の浅い祖国は、国力を盤石なものにしようと、教会の反対を押し切って神なき国と政略結婚を推し進めている真っ最中だ。

 そうでなくても、彼女の故郷では、教会の横暴さに苦しんだ旧体制の頃よりも、よりよい国にしようと必死な空気が、まだ色濃く漂っている。


「国を立て直すには、余計なことかまっていられないくらい強引なくらいが丁度いいのかも」


 ところで、肝心のよそ者が嫌われる理由が、まだわからない。

 ギルの講義はまだまだ長そうだと、リディは水差しに手を伸ばした。

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