ギルの牽制

 リディは、馬鹿じゃない。むしろ、賢い女だ。知識も教養も、充分すぎるほどなければ、異国の――それも国家の中枢で次期王妃の側近中の側近である私室付き女官に選ばれるはずがない。たとえ、次期王妃とは従姉妹の間柄とはいえ、だ。

 そのあたりは、事前に与えられた情報の中でもっとも信用していた。と同時に、ギルは安心もしていた。

 ここ十数年、いかに金をかけずに創意工夫を凝らす日々の暮らしを楽しんでいるとはいえ、彼の根本的な性質は変えられないと自覚している。どんなに庶民的な生活や振る舞いをしたところで、所詮は金持ちの道楽だとわかった上で、楽しんでいる。祖国で問題を起こした女は、国は違えど同程度の階級の育ちとあって、うまくやっていけると確信に近い予想していた。

 それが、どうしてこうなるのか。

 たしかに、リディは次期王妃の側近にふさわしいだけの資質を持った女性だった。育ちのよさで戸惑うことも多いだろうと、仕事に多少支障をきたしても、慣れるまで時間を割いてやろうとも、考えていたのだ。なにしろ、いきなりたった一人で見知らぬ国に、それも二度と帰れないような国で生きていかなくてはならなくなったのだから。けれどもリディは、彼が考えていたよりもずっと柔軟な思考の持ち主だったようだ。戸惑いつつも、慣れない新生活に一日でも早く慣れようとしているのが、ありありと伝わるほど、彼女は努力していた。予想以上の努力と適応力の高さに加えて、本来の仕事の成果が思わしくなったのもあって、一度一人で行動させてみても大丈夫だろうと判断したのだ。


(まぁ、あれの魔力量を甘く見ていた俺も俺だがな)


 食堂にやってきたギルは、遅い昼食を注文してガシガシと頭をかいた。


(あれは、放っておいても厄介ごとばかり引き寄せる)


 その厄介ごとが、彼女一人で対処できればいいのだけれども、そうではないのだから頭が痛い。

 さっさと本命の仕事を片付けて、厄介な彼女から解放されたい。


「はい、おまちどおさま」


 カウンターにドンと置かれた注文していた昼食に、彼は現実に引き戻される。

 二人分には明らかに多すぎる料理がこぼれんばかりに盆に盛られている。


「じゃ、晩飯もよろしくな」

「はい、できたてをお部屋にお届けしますんで!」


 昨夜の騒動で、それなりに迷惑を被ったはずなのに、店員の男はやけに嬉しそうだった。


(まぁ、これでよそ者が大人しくなれば万々歳ってことだな)


 こぼさないよう両手で盆を抱えた彼は、苦笑する。食堂に来てから、彼の言動は静かに注目を集めていた。当然だ。昨夜、手を出そうとしたとんでもない女と同じ部屋に泊まっている客だと、食堂にいた客の誰もが知っていたのだから。

 昨夜、直接関わっていなくても、リディの噂を聞いている者たちばかりだ。なんなら、噂を確かめたくて、わざわざ来た客も少なくない。

 噂の女と同室の男がどんな要注意人物なのかと、気になってしかたないだろうに、誰一人として彼と関わりたい者はいない。下手に関われば、噂の女以上にしてやられるだろう。かと言って、無視もできない。そんな好意的とは言い切れない注目を集めるのに、ギルは慣れていた。


(どうやら、いい感じに噂が広まっているようだな)


 実は、このギルこそがリディの昨夜の醜態を誇張して噂が街中に広まるように仕向けた張本人だ。


(ちょうどいい牽制になればいいが、な)


 気休めにすぎないとわかっているだけに、彼は苦笑を浮かべたまま食堂をあとにする。


 リディは、彼が持ち帰った昼食に目を輝かせたけれども、すぐにきゅっと口を引き結んで気まずそうに顔を繕う。


「なんだよ、腹減ってんだろ。今さら恥ずかしがることもないだろうに」

「……フン」


 素直じゃないなと、ギルはぼやく。


「ねぇ、ギル」

「ん?」


 テーブルに昼食を広げるのを手伝いながら、リディは不機嫌そうに口をとがらせた。


「……あれ、どうにかしてよ」


 彼女の言うあれとは、開けっ放しの窓枠にとどまっている烏のことだ。まるで置物のようにピクリとも動かないけれども、その鋭い視線のせいか威圧感がすごい。


(結局、わたしのためだってわかるけど……)


 昼食を取りに行ったギルを待つ間、嫌がらせではないかというほど、居心地が悪かった。

 テーブルに料理を並べるギルは、チラッと烏を見やると意地の悪い笑みを浮かべた。


「見張ってなけりゃ、監視にならんだろう」

「じゃあ、わたしから見えないところから監視させるようにしてよ!!」

「わかっていないな、リディお嬢さん」


 さり気なく窓を背にした椅子に腰をおろした彼は、向かいの椅子に座るように顎で示す。


「常に見張られているとわかっていれば、お前は気が張って迂闊なことしないだろう」

「それはそうだけど……」


 不承不承、彼女は烏からよく見える椅子に腰を下ろした。


(烏ににらまれていたんじゃ、部屋から一歩も出たくないわよ)


 納得しかねるものの、昨夜のやらかしのせいで、強く拒否できない。


「せいぜい、この街にいる間だけだ。我慢するんだな」

「……わかったわよ」


 先に食事を始めた彼につられるように、彼女は食事に集中することにした。お腹は空いていたし、少しでも烏から意識をそらしたかったのだ。

 よく食べるリディよりも先に食事を終えたギルは、言い忘れていたがと口を開いた。


「鬱陶しくても、クロに石を投げたりするなよ」

「しないわよ」

「今は俺のだが、クロは皇帝陛下から賜った烏だからな」

「へ?」

「あいつ、陛下のお気に入りだったんだ」


 リディは、思わず口に運ぼうとしていた肉団子を器に戻した。視界に入れないよう努力していた烏を見てしまう。

 置物のように動かないけれども、一度目を離して他の烏と混ざってしまえば、特定は不可能な程度には普通の烏だ。


「……嘘でしょ」

「まぁ、信じるも信じないも、お前しだいだな」


 ただ単にからかっただけのようにもとらえられる笑みを浮かべているからこそ、リディは真偽がわからない。これが出会ったばかりなら、不敬な冗談で馬鹿にしていると憤慨もしただろう。


(まぁいいわ。さっさと監視烏に慣れてしまえば、いいだけのことよ)


 すっかり食欲が失せていたものの、出されたものを残せない性質を若干恨めしく思いつつ、彼女は残りの料理を食べつくした。

 ギルが空になった器をまとめて廊下に出している間に、彼女は昨日、サガの講義に使った日記帳とペンをテーブルに広げる。

 実は、ギルが食堂に行く前に、彼女からお願いされたことがあった。


「さて、なぜこの街でよそ者が嫌われているか、教えればいいんだな」

「ええ。理由さえわかれば、わたしも迂闊なことしないと思うの」


 あんな烏の監視なんか必要なくなるはずだとは、まだ言えない。


「わかった。その問題について理解するには、この国の仕組みについて知らなけりゃならない」


 彼女は、こくりと神妙な顔で頷いた。

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