魔法使いの講義 〜魔力と命について〜

 魔力は、神ごとき皇帝が自ら民に分け与えた大いなる神の力の片鱗。大いなる神の力は皇帝にとっても強大すぎるため、民に分散ことで世界を滅ぼさない程度に力を減らしている。

 リディは、ギルからそう教えられている。そう言われれば、疑いを挟む余地などない。。


(大いなる神は、広大な荒野を一瞬で肥沃な大地に作り変えてしまうほどなら……)


 世界を滅ぼすのも簡単だろうと、心のなかでも彼女は確かな言葉を形作らずに曖昧な畏れを抱くにとどめている。

 神ごとき皇帝も、その裡で眠り続ける大いなる神も、いまだに彼女にとって信仰の対象であった。


 ところが、サガは彼女の信仰を裏付けるギルの説明では不十分と言ったのだ。


「正確に言えば、初代様が黄金山脈を越えて暗黒の東方より率いてきた氏族に力を分け与えたのです。僕らは、僕らはその氏族の魔力を受け継ぐ子孫となるのです」

「つまり、えーっと……」


 ギルの説明と何が違うのかと、リディは困惑する。


「つまり、僕らの魔力は親から受け継いでいるのですよ。リディさんの場合でも、ご先祖様からとなります」


 リディは、なかなか彼の言いたいことが飲み込めなかった。彼も、そのことに気がついて、穏やかな笑みにかすかに焦りと困惑の色が滲んでいた。

 気まずい二人を見かねたのか、ギルは書類を膝においた。


「サガが言いたいのは、当代の陛下から直接魔力を賜っていないってことだ。俺にはそんな重要なことには思えんが、どういうわけかこだわるんだよな」


 理解できないとわざとらしく顔をしかめるギルに、サガは不愉快だともっと顔をしかめる。


「ギル、あなたには理解できないでしょうね。なにしろ、当代の陛下から直接魔力を賜った唯一の例外、ですからね」


 にわかに険悪な空気が漂いはじめる。

 修復できないほど嫌な空気になる前にと、大きな声をあげた。


「あ、わ、わかりました! 今、わかりました!」


 わざとらしすぎたかと思ったけれども、リディは急いで続ける。


「魔力は、親から受け継ぐものなんですね。髪や目の色、容姿や気質を親から受け継ぐのと、似た感じなんですね!」


 なぜ彼女が急にまくし立てたのか、サガはすぐにわかった。


(気を遣わせてしまいましたね。神経質な方と聞いていたのに、ずいぶん違うようだ)


 先刻の市場でも同じ印象を抱いたにもかかわらず、また意外な一面に驚かされてしまった。クソ上司の横槍にいちいち腹を立てるべきではないとわかっていたのに、乗せられてしまった自分を恥じ入り申し訳なさそうに小さく笑って、気を取り直す。もう背後のギルのことは、しばらく無視すると決めて。


「ええ、その通りです。魔力の性質は、血筋で決まると言っても過言ではありません」


 リディは、サガの話を完全に理解しているわけではなかった。それはそうだろう。彼女の両親はもちろん、彼女が把握している血縁者に魔力を持って生まれてきた者はいないのだから。

 それでも、彼女は重要なことだろうからと、メモをとった。


(そのうち、わかるようになるかもしれないものね)


 まだまだ漠然としているものの、同じ移民であるギルを通してでは見えなかったこの国の実像が、生まれ育ったサガを通して少しでもはっきりしなくては。

 リディは、少し焦っていた。それは、先刻の市場での出来事が関係している。


 名門と呼ばれる優れた魔法使いを多く輩出している一族では、魔力の強い名門の間で婚姻関係を結ぶのが当たり前になっているほどだと、サガは続けた。


「ああ、そうそう、魔法使いというのは、魔法が使える人のことです」

「そのままですね」

「ええ、そのままです。わかりやすくていいでしょう」


 リディは、”魔法使いは、魔法が使える人”と書いた。すると、すかさずギルが書類に目を落としたまま声を投げかけてきた。


「特権階級と書き加えておけ」


 以前、ギルは階級制度はなくなったと言っていたではないかと、リディは首を傾げたけれども、すぐに”魔法使い”に矢印を引いて”特権階級”と書き加えた。


(皆平等なんて、建前よね。やっぱり)


 格差がなかったら、市場で嫌な思いをしなかったはずだ。


 やや顔をしかめたものの、サガはリディが納得した様子で書き足すのを待ってから続ける。


「魔力の量は、生まれつき決まっています」

「個人差があるっていう……」

「はい、そうです。たとえるなら……」


 彼はテーブルのすみにあった空のコップを手に取り、リディとの間に置いた。


「このコップが、魔力の器だとします」

「魔力の器?」


 初めて耳にする言葉に首をかしげる彼女に、彼はすぐに答えず今度は水差しの水をゆっくりとコップに注いだ。


「今、コップの中にある水が魔力となります」


 なみなみと注がれた水を魔力に喩えながら説明する彼は、まるで本職の教師のようだ。


「魔力の性質や量に、個人差がある。そういう認識でしたよね?」

「はい。実際に、魔法が使えるほどの魔力を持っている人は少数派だとも……もしかして、これも?」

「ええ、正確ではありません」


 そう言うと、彼はコップの縁からあふれるギリギリまで水を注ぎ足した。


「量に個人差があるのではなく、器の大きさにあります。このコップと比較するなら、先ほど差し上げた小瓶よりも小さな器の方も少なくありませんし、湖よりも大きな器の方もいます」

「じゃあ、わたしの器の大きさはどのくらいですか?」


 リディは、思わず身を乗り出した。それはそうだろう、自分のことなのだから。

 ところが、サガは困ったように微笑んだのだ。


「わかりません」

「そう、ですか」


 シュンとして、彼女は身を引いた。


「残念がることではありませんよ。魔力は、はっきりと自覚できるものではありません。体力と同じように考えてくれれば、わかりやすいかと思います」

「体力?」

「はい。人の体力も、人それぞれでこのコップの水のように、はっきりと把握できるものではない。自分自身がそうなので、他人のことなど把握できるはずがない。ただ、その人の言動から推察するくらいしかできない」

「なるほど」


 リディがざっくりとメモするのを待ってから、サガは続ける。


「魔力の器の大きさは、一生涯変わることはありません。体力と違うのは、そのくらいでしょうね。いくら魔法の修行を積んだところで、こればかりはどうにもなりません。上限は生まれたときから決まっているのです。魔力が安定しているというのは、このように器が満たされている状態のことです」

「今のわたしも、こんな感じなのね」

「はい」


 あふれそうなほど満たされたコップを慎重に両手で取り、サガはすする。どうやら、話し続けて口が渇いていたようだ。喉を潤してから、彼は顔を引き締めて、「ここからが大事なこと」だと口を開いた。


「魔力は、魔法や魔道具で行使しなくても、ただ生きているだけで徐々に減っていきます」

「え、なんで?」

「わかりません。魔力については、魔法学の研究者たちにも解明できていないことが多いですから。むしろ、はっきりとわかっていることの方が少ないのかもしれません」

「そうなんだ」

「そうなんです。なので、僕の話をそういうものだと受け止めてもらえますか?」

「……わかりました」


 彼女は納得がいかなかった。


(そういうものだからって考え方って、本当に嫌いよ)


 神なき国に嫁ぐ従妹の私室付き女官として祖国を離れるために、彼女は独学で猛勉強してきた。自覚していないけれども、彼女の知的好奇心はとても旺盛だ。

 納得できなかったけれども、ひとまずそういうものとして、サガの話に耳を傾ける。


「魔力がどれだけ減って、どれだけ残っているかというのは、たいていの人は、それほど意識していません。僕ら魔法使いは、自分の魔力量を知覚するよう訓練されていますけど、やはり魔法使いは圧倒的に少数派ですから、一般的とは言えないのですよ」

「わたしも訓練できる?」


 それは、訓練したいと言っているようなものだった。


「むしろ訓練させられるでしょうね、リディさんの場合は」

「ん?」


 なにやら含みのある言い方に、彼女は首をかしげる。けれども、すぐに気のせいだろうと首を戻した。おそらく、気のせいだったのだろう。金髪の魔法使いは、あいからわず人当たりのよい笑みを浮かべていたのだから。


「魔力の暴走を防ぐには、魔力量の知覚などといった初歩的な訓練は必要です。これは、あなたの命にかかわることでもありますからね」


 魔力の暴走と聞いて、リディはテーブルを叩き割ったことを思い起こす。それだけでも、居住まいを正さずにいられなかったのに、命にかかわると聞かされて、ぎこちないくらい背筋が伸びてしまった。

 こわばった顔で「わたしの、命……」と硬い声であえぐ彼女がおかしくて、サガはクスッと笑ってしまった。一拍遅れて、馬鹿にされたのではとリディの機嫌を損ねる前に、彼は咳払いでごまかした。


「魔力の浪費は、あなたに限らず誰でも最悪死にます。そうならないために、みな魔力を安定させることを怠らないのです」


 なぜ彼がギルのざっくりとした説明に腹を立てたのか、リディはなんとなく理解できた。


(命にかかわるなんて大事なこと、なんでギルはひと言も教えてくれないの)


 保護者失格ではないか。

 サガの肩越しにチラリと寝椅子のギルを見やる。保護者は、細い目をさらに細めて真剣に書類に目を通しているけれども、リディには芝居がかって見えてしまう。

 彼女は、サガの声でギルから視線を外した。


「先ほども言いましたが、ただ生きているだけで魔力は減り続けます。そして、自力で回復することは不可能です。体力のように寝て休めば回復する、なんてことはありません」

「ということは、器が空っぽになったら死んじゃうってこと?」

「いえ、違います。どんなに魔力が減っても、決して空になることはありません」

「空っぽにならない?」


 理屈がわからず、リディは瞬きを繰り返した。サガがくるりともてあそんだコップの中には、まだ半分ほど水が残っている。仮にその水が魔力だとして、そんなことはあり得ないはずだ。とはいえ、ここは奇跡がありふれすぎて奇跡と呼べない国。すでに、彼女が二十年間培ってきた常識が何度も覆されている。


「魔力が底をつく前に命が魔力に変換されます」

「命?」

「ええ。命と言うと、漠然と聞こえるでしょうね。ようは、人が生きるために必要な力――生命力と呼ぶ人もいます。体力、寿命、精神……そういった様々な生きる力が、魔力に変換されてしまいます。これは、文字通り命を削る行為です」


 命を削ると聞いて、彼女は思わず鉛筆を置いた。


「一度、魔力に変換された命は二度ともとの命には戻りません。不可逆です。そして、最小限の魔力に変換されるのを阻止することは不可能です」

「つまり、魔力で命を削ることになるから、命にかかわる。そういうことね」

「はい。もうおわかりでしょうが、命が尽きれば死にます」


 命にかかわる大事なことなので、リディはしっかりメモを書いた。


(魔力って、おまけみたいな能力の延長だと思っていたのに。魔力なしでは生きていけないなんて)


 生きていく上で魔力がこれほど重要だとは、まったく考えていなかった。

 他の人より目がいいとか、走るのが早いとか、記憶力がいいとか、そういったことと同じようなものだと考えていたのだ。

 封じられていただけだけれども、彼女は今まで魔力なしで生きてきた。彼女がよく知る人々のほとんどが、魔力なしで生きている。

 だから、魔力なしでは生きていけないなどとは、これっぽっちも考えていなかったのだ。


(一度魔力に変換された命は、魔力に戻らないっと。……あれ?)


 なにかが、ひっかかった。なにかが、間違っている気がした。

 なにか。なにか、とても重要なことを見落としているような――ちょっとしたひっかかりは、徐々にではあるけれども彼女の中ではっきりとした形作っていく。

 その重要な違和感は、しかし――、


「サガ、講義はそのくらいでいいだろ。俺が頼んだ魔道具を、さっさとリディに渡したらどうだ」

「はいはい。わかりましたよ」


 書類に目を落としたまま口を挟んだ保護者によって、確かな形になる前に崩れ去ってしまう。

 サガがテーブルに置いた油紙に包まれた小さな魔道具が与えられると聞いて、彼女は好奇心に目を輝かせずにいられなかったのだ。


「リディさんの魔力の制御の助けになる魔道具を、二つほど用意しました」

「二つもいいんですか?」

「ええ。お代は、保護者から頂きますので」


 彼女は、まだ気がついていない。

 崩れ去ったかに思えた違和感は、しこりとなって残っていることに。

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