魔法使い

 窓際の寝椅子に腰を下ろして足を組んだギルは、目を丸くして驚いているリディと、苦笑している好青年を見比べる。


「ここに来る前に、偶然たまたま市場でちょっと会ってたんですよ」


 好青年は、軽く肩をすくめてギルの顔にありありとあらわれていた疑問に答えた。


「偶然たまたま、ねぇ」


 ギルはそう言っただけだけれども、リディは「んなわけないだろ」と冷ややかに続けたように聞こえた。その幻聴は、好青年も聞こえたようだ。


「嘘をつきました。市場で会ったのは偶然たまたまではなかったですね」


 悪びれもせずに答えた好青年は、目をむいているリディに申し訳無さそうに頭を下げて続けた。


「そこの通りであなたを見かけたので、つい後をつけさせてもらいました。悪いとは思いつつ、陛下が招き入れた異国人というのはとても興味がありましてね」

「はぁ……」


 彼はどうやらリディの事情を知っているようだ。


(ギルの知り合いみたいだから、別に悪気があるわけじゃないけど……やっぱり珍しいのね。これはしかたのないことなのよね)


 避けられない現実に、リディはがっくりと肩を落とした。


(でも、わたしだってこの国の人たちが珍しく見えるんだもの。向こうからしたら、わたしが珍しいに決まっているわよね)


 この国に馴染める頃には、自分も珍しく見られなくなるのだろうかと、彼女は考えにふけろうとした。そんな彼女を現実に引き戻したのは、ギルの声だった。


「リディ、いつまで馬鹿みたいに突っ立っている気だ」


 ギルが座るようにうながしたのは、好青年とテーブルを挟んで向かいにあった椅子だった。


(たしかに、わたしだけ立っているのは馬鹿みたいよね)


 必要以上に椅子を引いて、彼女はテーブルから距離をおいて腰を下ろす。

 まだ警戒している彼女に、好青年は苦笑しながらも水差しから水を注いだコップを差し出す。


「どうぞ」

「……どうも」


 意識していなかったけれども、彼女は喉が渇いていたので素直に受け取ってしまった。よく冷えた水のおかげで、驚きと混乱でいっぱいだった頭が冴えてくる。すると、好青年の言い分にはまだ腑に落ちないことがあると気がついた。


「あの、気になったことがあるんですけど、えーっと……」

「そいつはサガ・サク。俺の部下だ」


 ギルは短く好青年を紹介した。


「よろしく、リディアさん。それで、気になったこととは、なんでしょう?」


 たった数日だというのに、ずいぶんリディアと呼ばれていなかった気がした。


(なんだか、もうわたしの名前じゃないみたい)


 リディアと呼ばれても、すぐに返事ができなくなる日もそう遠くないかもしれない。


「リディでかまいません。あの、サガ……さんはどうして、通りでわたしに気がついたんですか?」


 サガしゃんと、舌がもつれそうになって、リディは慎重に口を動かさなければならなかった。


「サガと呼び捨てにしていただいてかまいませんよ。よく呼びづらい名前と言われますから」


 呼び捨てでかまわないと言われても、彼女の育ちの良さが邪魔をして受け入れられそうにない。もっとも、サガが気軽に呼び捨てにできるような立ちふるまいではないというのも、大きかったに違いない。


(ギルが保護者でよかった)


 異性と一部屋で過ごす抵抗がなくなったわけではない。けれども、ギルとサガのどちらかを選ぶなら、遠慮のいらないギルを選ぶと、不承不承認めざるえなかった。サガと一緒に過ごすのは、肩がこりそうで――


「それで、僕があなたに気がついたわけですが……」

「あ、はい」


 リディは慌てて顔を上げる。

 自分から尋ねておいて、すっかりほかごとを考えこんでいたので、その顔は真っ赤だ。

 そんな彼女がおかしかったのだろう。サガはクスッと笑った。


「服ですよ」

「服?」


 リディは首を傾げて、ギルはああと納得の声を上げる。

 彼女が着てるのは、ギルからもらった古着だ。砂色の厚手の長袖シャツに、赤茶色の袖なしのワンピース。ワンピースの腰には、空色と灰色の毛糸で丈夫に織られた帯。シャツの袖口に、同じ空色と灰色の帯が縫いとめられている。

 この街で見かけた同じ年頃の女性の着方を真似しているし、それほど目立つ様子もなかったはずだ。


(でも、なにかよそ者とひと目でわかるようなミスをしてたのかしら)


 そうだとしたら、ギルは保護者として指摘するべきではないのか。

 リディは顔をこわばらせたけれども、サガは笑って懸念を払拭してくれた。


「そんな深刻な顔しなくても大丈夫ですよ。あなたが着てるその服、僕の妻の物だったんですよ。それだけのことです」

「……奥さんの?」

「ええ。なので、ひと目でわかりましたよ」

「そういうこと……」


 そう言われては、納得するしかない。


(きっと美人の奥さんなんだろうな)


 顔立ちのいいサガの妻が美人でないわけがないと、リディは恥ずかしくて逃げ出したくなった。すとんとして、女性的な丸みに欠けた体型にコンプレックスを抱いている彼女だ。砂色のシャツも赤茶色のワンピースも、急に自分にふさわしくないように思えてきたのだ。


「よく似合ってますよ。妻も喜びます」


 うつむいた彼女の耳には、サガがお世辞を言っているようにしか聞こえない。とはいえ、面と向かってお世辞だと言えるわけもなく、曖昧に笑うしかなかった。

 サガがどれほど彼女の心情を理解していたのかは、わからない。彼はあいかわらず人当たりのよい笑みを浮かべたまま、話の矛先をギルに向けた。


「僕が尾行したのは、たしかに褒められたことじゃありませんけど、彼女を一人で街に出したあなたもたいがいですよ」


 笑みはあいかわらずなのに、今までリディに向けていたものとは比べ物にならないほど、サガの視線は冷ややかだった。

 ギルは、心外だと細い目をわずかに見開く。


「リディはガキじゃないんだ。俺がお守りをしなくても、感情くらいコントロールできるだろ」

「感情がコントロールできても、魔力が暴走することはあるんです。僕が、後をつけていなかったら、彼女の魔力で危うくけが人が出るところでしたよ」


 もう彼は笑っていなかった。真剣に、ギルを責めていた。

 リディは、彼はなぜ市場での出来事を詳しく語ろうとしないのか、わからなかった。


(なにか、まだ隠していることがあるのかしら)


 あるとして、それはおそらくギルにではなく、リディに対して隠しているのだろう。

 腑に落ちないものはあるけれども、市場でのことはあまりギルに知られたくなかった。


(わたし、馬鹿みたいに頭に血が上っていたものね)


 まだこの国のことをよく知らないくせに、後先考えず余計な口出ししてしまったことを、彼女は少しだけ後悔していた。

 ギルが知ったら、なんて言うだろうか。きっと褒めはしないだろう。

 幸い、ギルは市場で何があったのか、追求する気はないようだ。


「なるほど、そいつはたしかに俺も褒められたもんじゃないな」


 肩をすくめて、ギルはにやりと笑う。


「ま、今後そうならないために、お前を呼んだことだしな」


 小さなため息とともに、サガが「クソ上司が」とぼやいたのを、リディは聞いたような気がした。


「リディ、改めて紹介する。サガは、俺の部下で優秀な魔法使いだ」

「魔法、つか、い?」


 初めて耳にする単語に首をかしげるリディに、サガは苦々しい表情を浮かべた。


「リディさん、失礼ですが、魔法についてどれだけ知っていますか?」

「え、えーっと……」


 サガの背後にある寝椅子でくつろいでいるギルを、リディは救いを求めて見やった。けれども、ギルは目を合わせようとしない。

 しかたなく、リディは保護者の彼から聞いたことを、たどたどしく話すしかなかった。


 魔法とは、神の国であるフラン神聖帝国の全国民に分け与えられた大いなる神の力の片鱗――魔力を使った不思議な御業であること。リディのように、帝国以外で魔力を魔力を持つ者も少ないけれどもいること。

 生まれ持った魔力の量には個人差があって、実際に魔力を魔法として行使できる人は少ないこと。なので、今は魔道具の動力源になっていること。

 魔力は感情に左右されやすいこと。

 魔力はその量だけでなく、性質にも個性が反映されて様々であること。

 帝国以外の国では、ヤスヴァリード教の信徒の証である聖石が、この国では魔力の安定装置の役割も兼ねていること。

 五日に一度は、教会で聖石を清めてもらうと、魔力がより安定すること。


「えーっとあとは……」

「もう結構です」

「あ、はい」


 サガのうんざりした声音に、リディはなにか間違えたのだと悟る。


(でも、ギルに教えてもらったのはそんな感じだったけど)


 大きなため息をついたサガは、ギルを振り返る。


「ギル、あなた、魔法について何を教えてきたんですか?」

「リディが今言ったことを。俺が詳しくないことくらい、お前も知っているだろ。だが、間違ったことを教えたつもりはないぞ」

「たしかに間違ってませんが、ざっくりしすぎです。まったく……」


 サガはさらに大きなため息をついて、頭を抱えた。


「ふざけるなよクソ上司が詳しくないにしても限度があるだろてかあれかはなっから僕に教えさせる気満々ってかふざけすぎだろいくら陛下に魔力を授かったとはいえ基本くらい勉強しておけってんだクソがケチるのは金だけにしろいや金もケチるなただでさえ仕事に時間かけすぎているのになんでだよ保護者だろ……」


 低い声でぼやき続けるサガが放つドス黒くて重苦しいオーラに、リディは冷や汗をかく。


(なんなの、いきなり)


 サガの言うクソ上司であるギルは、平然としている。よくあることだからである。

 信頼の置ける優秀な部下であるサガは、よく本人がいるにもかかわらず、愚痴をぶちまける。気がすむまで吐き出せば、ケロッともとに戻ると知っていた。

 実際、サガは気がすむまでブツブツ負のオーラを撒き散らし終えるまで、そう時間はかからなかった。


「リディさん、これから僕が魔法について教えられることはすべて教えます」

「は、はい。……よろしくおねがいします」


 願ってもないことだ。けれども、サガの負の一面を目の当たりにしたあとでは、その優しげな笑顔が不気味に見えるのだった。

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