謎の青年

 さっそうと現れた好青年に、リディはまったく期待できなかった。リディと少女の窮状を面白がっている節もあって、彼女が好青年に抱いた第一印象はいいものではない。


(まかせて大丈夫かしら)


 不安だけれども、彼女に打つ手は残っていない。

 彼女の不安をよそに、彼はあくまで穏やかに笑う。


「彼女たちを解放しても、かまわないでしょう? 彼女たちは、何も悪いことしていないのですから」

「それは、そうだが……」


 ベイズがしぶしぶではあるものの、青年の言い分を認めた。


(信じられない。なんで……あ、そうか、男だからね)


 女よりも、男の言い分のほうが通りやすい。どうやら、神の国でもあることらしいと、リディは悔しさとあきらめのような無力感に襲われた。


(楽園ではない、のよね)


 後輩の保安神官は不満をあらわにしていたけれども、異を唱えるつもりはなさそうだ。


「あんたも、そいつらの仲間なんだろ! ろくでなしのよそ者が何人集まったところで、言い逃れられると思うなよ」


 店主が唾を飛ばして言いがかりをつけるけれども、青年は心外だとわざとらしく目をみはる。


「仲間? それは心外ですね。あ、でもまぁ、この町の住人ではない――つまり、あなた方が言うところの『よそ者』という共通点はあるようですね。だからといって、名前も知らないお嬢さんがたとひとくくりにするのは、雑すぎませんかね」


 仲間ではないと、きっぱり短く否定すればすむものを、青年は無駄によく回る舌で何倍にもして返していく。


「雑すぎるといえば、あなたの『よそ者』はみなろくでなしという持論もですね。あ、もしかして、あなただけではなかったりしますか。そうでも、別に意外でもなんでもありませんが。僕は今日はじめてニーカに来ましたが、この市場に限っただけでも、そうとう偏見と差別が蔓延しているようですし。うん、あなたの持論というのも、雑な決めつけだったかもしれませんね。いやぁ、すみません」


 青年の言ったことを、正しく理解できた者などいるのだろうか。


(言っている言葉の意味はわかるのに。なんだか、つい最近、似たようなことが……)


 げんなりと地面に目を向けると、ベイズのブーツがにわかに後ろにずり下がるのを見て、保護者の顔がよぎった。


(教会でもあったわね)


 教会の外で、ギルがベイズを追い払ったときとよく似た状況なのだと、リディはさらにげんなりした。

 さらにげんなりている彼女の横で、青年の舌はまだ回り続けている。もう彼女は右から左へと聞き流すことに決めた。そうでもしないと、めまいがしそうだと危機感を覚えたのだ。


「だいたい、あなたは『よそ者』はろくでなしばかりだと決めつけているようですけど、なにか根拠でもあるんですか?」


 ようやく、青年が口を閉じた。彼が、店主に問いかけているのだと店主自身が理解するのに少し時間がかかった。

 なんとも言えない沈黙の中、リディもその他大勢も店主に注目している。


(よく考えてみれば、いつさえぎられてもおかしくなかったのよね)


 むしろ、青年の無駄に長い話をよくぞ途中でさえぎらなかったなと感心してしまうほどだ。


(くそが、まるで俺が悪いみたいに見やがって)


 実のところ、店主は何度も余計なことを言うなとさえぎろうとしたのだ。何度も怒りにまかせてさえぎろうとするたびに、見てくれのいい若者が涼しげな顔をしているのに、倍は生きている自分が感情にまかせて怒鳴り散らしてはかっこうが悪いと思いとどまってきた。いつの間にか、野次馬は増えていた。あとから加わった野次馬の中には、当然よそ者もいるだろう。なにより、ことのきっかけを知らない者には、もしかすると青年の言い分が正しく聞こえているかもしれないのだ。

 、気に入らないよそ者をさっさと保安神官が身の程を思い知らせてくれるというのに。


(なんでこうなったんだ)


 結局、店主はかっこうが悪い反論しかできなかった。


「うるさい! 『よそ者』はみんなろくでなしだと決まっているんだよ!!」


 店主は孤立してはいなかった。

 リディは耳を疑ったけれども、野次馬の中には彼の暴力的な意見にうなづき、同意する声も少なくなかったのだ。

 彼女でも想定内の店主の反応に、青年は冷ややかに笑った。


「つまり、白き都の聖宮に坐す神ごとき皇帝も、ということですね」


 冷ややかな声のあとに続いて、居心地の悪い沈黙がさざなみのように広がっていく。


「そ、そんなわけあるか!! 屁理屈だ」


 顔を真っ赤にした店主に、青年は軽く肩をすくめて悪びれることなく屁理屈だと認めた。


「ええ、そうです。屁理屈ですよ。あなたの筋の通らない雑な偏見に、いちいち筋の通ったことを言う義理はありませんからね。あなたは、あまり頭がいいわけではなさそうですので、はっきり言えば、僕の屁理屈と同じくらいあんたの偏見は筋が通っていないということですよ」


 悔しそうに押し黙る店主だけでなく、青年はぐるりと野次馬にも冷ややかな視線を投げかける。


(笑顔なのに怖い)


 リディが一歩後ずさると、ブルリとロバートが彼女に身を寄せてくる。

 辺り一帯の温度が急に下がったようだった。一気に冬になったように。

 青年の冷ややかな笑顔は、顔がいいせいで有無言わせない迫力があった。

 この場の空気を掌握しているのは、間違いなく彼だ。

 店主に限らず、言いたいことがある者はいただろう。けれども、青年のたたずまいが、それを許さなかった。下手なことを言って、無駄に回る舌で何倍にも返されるのも、誰だって面白くないはずだ。


(話が無駄に長いくせに、反論しにくいのよね)


 青年と同じ主張を持つリディですら、店主を憐れまずにいられなかった。

 彼女は、いつの間にか傍観者になっていた。もう介入する言葉はもちろん、度胸もすっかり萎えている。

 野次馬ひとりひとりにというわけではないだろうけれども、反論する者がいないと冷ややかな視線で確認した青年は、最後に前に立つベイルに微笑みかけた。もちろん、目は笑っていない。


「さて、保安神官様、もうよろしいですよね。そちらのお嬢さんが、何も盗んでいないのは明らかですし、解放してさしあげるべきです」


 すっかり狼狽していたベイズは、苦々しく顔を歪ませて何か言いかけて悔しそうに口を閉じた。飲み込んだ言葉の代わりに、彼はあきらめのため息が口からこぼれ出た。後輩を振り返ると、彼は少女を解放するように言った。その指示を聞いた後輩が、安堵の表情を浮かべたのをリディは見逃さなかった。

 不服だと無言で訴える店主だったけれども、結局何も言えなかった。

 少女が解放されて盗みの疑いが晴れたのをきっかけに、野次馬たちは解散していく。保安神官の二人も、野次馬に紛れるように去っていく。まるで、何事もなかったかのように、その場に残されたのは、リディと少女と青年の三人だけだった。屋台の向こうにいた店主も、いつの間にか少年に店番を押しつけてどこかに行ってしまった。


「謝罪くらいあってもいいのにねぇ」

 

 呆れた顔で青年の言ったことは、もっともだった。声に出さなかったけれども、リディも同意見で腹を立てていた。

 けれども、泥棒呼ばわりされた少女は違ったようだ。


「おふたりとも、ありがとうございました」


 深々と頭を下げた少女にとって、謝罪などもうどうでもよかった。早くこの不快な偏見に満ちた市場から立ち去るほうが、大事だったようだ。

 なにかお礼をと続けようとする少女に、リディは慌てて顔を上げるように言う。


「わたしは結局なんの役に立たたなかったから、お礼はこちらの……」


 彼一人にと言わせてもらえなかった。


「お礼だなんて、とんでもない。僕らは、当然のことをしただけですよ。それに恥ずかしい話ですが、こちらのご婦人が声を上げなかったら、僕は素通りしていたところです」


 でもと顔を曇らせる少女に、リディも青年もお礼なんてとんでもないと繰り返す。


(そんなに余裕があるように見えないし)


 失礼だから口にしなかったものの、少女はとてもお金に余裕があるように見えなかった。保護者のおかげで、お金に困っていない自分が、余裕のない少女に気を回されるのはとても気持ちがよいものではない。

 おそらく、青年も同じ思いだったのだろう。


「無礼を働いた輩が詫びの品を差し出すのが、当然の流れなのですよ。なんの非がないあなたが、礼に何かするというのは割りに合わない」


 彼の言うとおりだと、リディは感心した。


(無駄によく舌が回るけど、ちゃんと筋は通っているのよね)


 店番を押し付けられた少年は、さぞかし居心地が悪かっただろう。リディが様子をうかがうと、少年は慌てて目をそらすほどだ。

 青年は、少年に強要するつもりはないようだ。


「そんなことより、こんな不愉快な市場、さっさとおさらばしましょう。よろしければ、市場の外までご一緒しますよ」

「本当ですか!!」


 青年の申し出に、少女の顔が輝く。


(怖かったわよね)


 あらためて少女がどんな思いをしていたのか、リディは胸を痛める。



 リディは困惑していた。


「たしかに、噂では聞いていましたよ。この街の人は、外から来た人に冷たいと。でも、さすがに、ここまでひどい偏見に差別があるとは……いやはや、二十年前に国の魔道具工場ができるまでは、寂れていたというのに」

「その魔道具工場だって、ほとんど『よそ者』が汗水たらして働いているのに。こんな街、お金が貯まったらさっさと出ていってやる」


 青年がご一緒する相手は少女だけでなく、なぜかリディも含まれていた。

 断る理由が思いつかなかった彼女は、自然な流れというやつで、青年を真ん中にして彼女たち三人並んで市場の外を目指して歩いている。


(なんで、わたしまで……)


 断る理由が思いつかなかったとはいえ、一緒にいる理由も思いつかない。

 少女のように怖い思いなどしていないのだから。


「ところで、この市場は初めてですか?」

「違います。いつもは、お兄ちゃんと一緒に来ていたんですけど……」


 青年と会話するうちに、少女の表情はみるみるうちに明るく豊かになった。

 リディは、二人のはずんでいる会話にただ耳を傾けていた。


「これからは、なるべく一人でこないほうがいいでしょう。あの店主は、明らかにあなたのような女子供を狙って濡れ衣を着せていましたから」

「やっぱり、あたしが女だったからかぁ。ぼったくっているのは、わかっていたけど、あんなひどいことまでするとは思わなかった」

「僕もですよ。まさか、ここまでひどいとは」


 よそ者に対する偏見がひどい街であることは、間違いないようだった。


(やっぱり、わたしもぼったくられたのね)


 リンゴもスカーフも、やはり適正な値段ではなかったのだと、リディは肩を落とす。

 腹立たしさよりも、うんざりしていた。


 なにか新しいことがわかるかもしれないと、耳を傾けていたけれども、結局この街の偏見がひどいということだけを再確認しただけで、市場の会場になっている広場のはしに来てしまった。


「本当にありがとうございました」


 もう一度頭を深々と下げた少女を見送る。


「じゃあ、わたしもこれで」


 彼女が人混みに紛れて見えなくなる前に、リディはすかさず青年と別れることにした。

 なぜか残念そうな顔をする青年だったけれども、背中の荷物を背負い直して首を縦に振った。


「あなたとは、あまりおしゃべりできなかったのは残念ですが、またの機会にでも」


 どうせ社交辞令を聞き流して、リディはロバートを引いて彼に背を向ける。


「この国の人が、みんなこうだなんて思わないでくださいね」


 背中に投げかけられた言葉は、青年がリディがこの国の外からやってきたのだと知っていることを意味していた。

 すぐに気がついた彼女は、ぎくりと足を止めたけれども、すぐに振り返れなかった。

 驚きと恐怖に乱れた呼吸を整えておそるおそる振り返ったけれども、青年の姿はなかった。

 聞き間違いだったのだろうかと、リディは首を傾げた。


「そうよ、聞き間違いよ。行こうか、ロバート」


 実のところ、聞き間違いではなかったし、彼がまたの機会にと言ったのは社交辞令ではなかっただと、彼女が知るのはもう少しあとのことになる。

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