よそ者

 声を張り上げた彼女は、野次馬の前に出た。野次馬たちは進んで道を譲ってくれたのは、ロバを連れていたからだけではなく、が見られるかもしれないという卑しい好奇心がうずいたのもあるのだろう。

 リディの乱入を、明らかに快く思っていないのは、少女を泥棒呼ばわりした店主だけだった。

 少女と二人の保安神官は、戸惑っていた。いや、彼女が教会で倒れた女だと気がついた保安神官のベイズだけは、戸惑いよりも狼狽のほうが大きかったかもしれない。

 リディは屋台の前で足を止めると、保安神官の二人に向かってはっきり断言する。


「わたし、見てました。彼女は何も盗んでません」


 でしょうと、リディは目で彼らの背後にいる少女に確認する。少女は、リディが味方してくれると知って、怯えて強張っていた顔に少しだけ安堵の色が浮かんだ。

 ところが、ベイズではない方の保安神官が少女をリディから隠すように前に出た。


「余計な口出すなよ」


 威圧的な態度に、リディは驚いて言葉を失った。

 ベイズより若いその保安神官は、もしかしたらリディよりも若いかもしれない。まだ青年になりきっていない未熟さがあった。


「お前もよそ者だろ。見ない顔だからな」


 関係ないから口出しするなと言われたなら、まだ言い返せただろう。ところが、その保安神官はリディがよそ者だから口出しするなと言っているのだ。

 リディはなにか言い返そうと口を開いたけれども、言葉が出てこない。とはいえ、彼女はあまりにもひどい言い草に衝撃を受けただけだ。決して、保安神官の態度に屈したわけではない。わけではないけれども、相手は彼女が怖気づいたように見えた。彼だけではなく、屋台の店主も彼女を嘲るようにニヤニヤと笑っている。


「聞こえただろ。さっさと……」

「おいイオ」


 さっさとリディを追い払おうとさらに前に出ようとした若い保安神官の腕をつかんだのは、苦々しい顔をした年上の保安神官ベイズだった。


「先輩、よそ者が余計な口を挟んできたんですよ。さっさと追っ払わないと」

「それはそうだが……」


 イオと呼ばれた保安神官は、あっさりとベイズの手を振り払う。


「イオ、わかってるだろ」

「わかってますよ。だからさっさと追っ払わないと」


 得意げな後輩に、ベイズはため息をつく。


(仲間割れ? 赤い腕章の保安神官の主な仕事は街の治安を守ることだって、ギルは言ってたわよね)


 それにしては、なんとも頼りない。特にベイズは、後輩のイオがいらだつほどに。かと言って、後輩も後輩で仕事ができるわけでもなさそうだ。

 リディは、少しだけ様子を見ることにした。


(勢いで口をはさんでしまったけど、わたしはこの国の仕組みをよく知らないのよね)


 もし、万が一、この介入で、保安神官の後ろでうつむいて唇を噛んでいる少女がさらに追い詰めるようなことになったら。

 リディは、急に不安になった。

 そんなことはないはずだと、言い聞かせている。けれども、彼女のおこないが間違っていないと確証を与えてくれる判断材料が、決定的に足りないのだ。

 どうも落ち着かなかった。

 勢いで介入してしまったとはいえ、すぐにでも少女は解放されると、頭のどこかで予想していた。ものの見事に予想は外れて、若い方の保安神官に馬鹿にされるし、前にお世話になった保安神官となにやら揉め始めるし、一度は安堵の表情を浮かべた少女はまた泣きそうになってうつむいてしまっている。そして、諸悪の根源である屋台の店主はというと、卑屈な笑みを浮かべて小声で言い争っている保安神官たちに向かって口を開いた。


「神官様、ここはどうでしょう」


 こんな状況でなかったら、リディの耳に商売人らしい愛想がいい声に聞こえただろう。今は、ただただ不快な猫なで声でしかない。

 それでも、彼女はまだ様子を見ることにしていた。

 保安神官たちは、ぴたりと口を閉じて店主に向きなおった。小声で言い争っても埒が明かなかった彼らにしてみれば、よそ者ではない店主の介入は大歓迎なはずだった。


「このわきまえないよそ者も、一緒にしょっぴいてはいかがでしょう。わたくしも、このままではとても商売になりませんから」

「…………は?」


 リディは何を言われたのか理解できずに、こてんと首を傾げてしまった。


(しょっぴいては? しょっぴく? しょっぴくって、あれかしら。あの、そう、あれ、犯人を連行する的な? いやいや、そんなわけないでしょう。じゃあ、しょっぴくって、なに? なんなの? 帝国独自の意味があるのかしら)


 店主の乱暴な提案に、先ほどまで得意げだったイオは、なぜか顔をひきつらせた。そんな後輩に小さくため息をついたベイズは、首を傾げたままの彼女をちらりと横目で見やった。その目からはなんの感情も読み取れない。けれども、その後店主を見下ろす彼の表情に頼りなさはなく、それどころかリディが教会の聖堂で見かけたときのような威圧感に似た雰囲気すらあった。

 毅然とした態度に、リディは期待してしまった。


「わかりました。そちらの方にも、一緒に来ていただきましょう」

「…………え?」


 期待を裏切られたリディは、こてんと首を反対に傾げてしまう。

 困惑する彼女を尻目に、ベイズは店主に愛想のよい笑みを向ける。よく見れば、上っ面だけの愛想だとわかる。もしかしたら、彼は店主を快く思っていないのかもしれない。そんなことは、リディにはどうでもいいことだ。


「市場を警備する我々が、商売の妨げになっては本末転倒ですから」


 リディは、まだ彼らが何を言っているのか、理解できなかった。何を言っているのか意味はわかるのに、彼女がこれまで生きた二十年積み上げてきた常識や良心が、理解を拒んでいる。


 立ちつくしているリディが、うろたえているように見えたのだろうか。まるで汚らしいモノのように、店主は彼女を見下していやらしく笑っている。


「話はしかるべき場所で聞かせてもらおう」


 ベイズの横柄な声に、リディははっと我に返る。だから、気がつかなかった。彼女に向き直った彼の視線が、後ろめたそうに揺れたことに。


(こんなの、やっぱり間違っている)


 逃げるという選択肢は、思い浮かばなかった。かといって、こんな不当な扱いを素直に応じるつもりもない。


(商売にならない、ですって? そもそも、彼女は何も盗んでいないじゃない。言いがかりをつけたのは、そっちじゃない)


 リディの手を取ろうと、ベイズが大きく一歩前に出る。たったの一歩で、大きく距離を詰められて、彼女は思わず後ずさりそうになるのを、ぐっとこらえなければならなかった。足だけでなく、手にも力が入って、強く拳を握りしめていた。


「なんで、わたしまでそんな扱いを受けなければならないんですか?」


 ベイルと店主はもちろん、野次馬たちも、彼女が強い口調で反発して、驚きを隠せなかった。

 野次馬たちのどよめきには、今ごろになってリディとイオの後ろで身を縮こませている少女に同情する声が少しだけれども混ざっていた。残念ながら、負けまいと必死になっているリディの耳には届かなかった。けれども、人の顔色をうかがうことに慣れていた店主は、周囲の目が変わるかもしれないと焦ってしまった。


「よそ者だからに決まってるだろ!!」


 突然の乱暴な店主の大声に、リディはびくっと肩を震わせた。けれども、それは突然の大声に驚いただけで、怯えたわけではない。


「よそ者はみんなろくでなしだ。わしは、盗もうとしたのを防いだだけだ。何が悪い。悪いのは、わしの商品に手を付けた、そこのよそ者の小娘に決まっているだろ!! あんた、その小娘の仲間なんじゃないか。そうに決まっている」


 想定外の大きな声に驚いたのは、野次馬も同じだった。つかの間、あたりが静まり返った。そしてすぐに、今度は店主に同調するように、小声でそもそもよそ者が買い物に来るのが悪いと言い出す者が現れた。つかの間の静寂を挟んだせいで、今度はリディの耳に届いてしまった。


「よそ者だから? それだけで、何も盗んでいないのに泥棒呼ばわりしたの? わたしがよそ者だから、証言を聞いてくれないの?」


 リディは愕然とした。

 店主だけでなく野次馬たちも、何がおかしいのだという顔をしていたのだ。むしろ、おかしいのはリディのほうだと言わんばかりだった。先ほど、同情の声を上げたはずの者までもだ。

 耳を疑う店主の言い分が、ここではまかり通るのだと、彼女は思い知った。


(こんなの、絶対に間違っている)


 そう言い聞かせるけれども、だんだん怖くなってきた。


(ここでは、こんな間違ったことが正しいというの)


 神の国は楽園ではない。

 ギルの忠告が、脳裏をよぎる。


「とにかく、全部話は聞きますから、一度、我々と一緒に来てください」


 狼狽をあらわにしたベイズの声が、リディにはなぜか遠く聞こえた。いや、彼の声だけではない。

 店主が声を荒らげて、よそ者への偏見をはっきりと口にしたのをきっかけに、しだいに調子づきリディたちを口汚く中傷する声も、なにか見えない分厚い膜の向こうから聞こえてくるようだった。

 遠くから聞こえてくるのに、まったく他人事のように聞こえない。


 リディは、怒っていた。

 反論する言葉を考えられないほど、怒っていた。

 怒りは、彼女の胸の奥に魔力の火種となり、全身へと魔力の熱が広がっていく。

 ロバートが不安そうに、飼い主の顔色をうかがう。落ち着かないようだけれども暴れないのは、自分に害が及ばないと、リディ自身も考えがおよばないところまで察しているからだろうか。


 風が吹いていないのに、彼女の短く切りそろえられた濃い茶色の髪がぶわりと逆立つように広がる。

 周囲が、彼女の異変に気がつかないわけがなかった。

 魔力で実力行使に出てくれたら、保安神官としてまだやりやすい流れになる。そうなれば、しばらく話の種になるくらいには、面白いものが見られるだろう。野次馬たちは、固唾をのんでことのなりゆきを見守ることにした。


「……まずい」


 ベイズは、彼女がまだ魔力をコントロールできないと知らない。

 けれども、彼女の魔力を抑えなければとんでもないことになると、第六感が警鐘を鳴らす。


「……間違っている」


 低く強い声で、彼女は断言する。

 お前たちは、間違っていると。

 それは、断罪でもあった。


 彼女の魔力を抑えるために、制服の一部である手袋を外していたベイズが、


 と、唐突にリディは肩をポンと叩かれた。


「いやぁ、素晴らしくくだらない茶番劇でした」


 いつの間に、背後から近づいていたのだろうか、肩を叩いた金髪の青年はにっこりとリディに微笑みかけながら、彼女の横に並ぶ。


「噂には聞いてましたが、これほどひどいとは。ひどいを通り越して、もはや滑稽ですよ。この街の偏見と差別は」


 肩を叩かれた瞬間に、リディの魔力がはじけ飛ぶように消え失せていた。


(ギルに触れられたときと同じだわ)


 喪失感に戸惑いながらも、彼女は遅すぎる味方と思わしき青年をまじまじと見つめた。

 太陽の光を拡散するようなさらさらの細かい金色の髪に、切れ長の青い目。長身痩躯で、貴族のような颯爽かつ堂々としたたたずまい。

 にもかかわらず、背中には大きな荷物。

 育ちのよさそうな雰囲気をにじませつつ、着古されたツギの目立つ服。


(というか、ギルに似ている?)


 壁の向こうで初めてあったときのギルを、リディは思い起こして肩を落とした。

 こんなときに、あの保護者のいやみったらしい顔を思い出すことはないのにと。

 

「さて、そちらのかわいそうな少女と、こちらの正義感あふれる女性を、解放してもらいましょうか」


 こともなげに青年は言うけれども、簡単に解放されるならとうに解放されているはずだと、リディは心のなかで毒づいた。

 そして、周囲の冷めた反応をみれば、青年が空気を読んでいないのだと思い知らされた。


(馬鹿なの、こいつ。わたしも、たいがいだけど)


 がっかりさせられたリディは、まだ彼を評価するのは早すぎたのだと、このあとすぐに思い知らされることになる。

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