教会へ

 リディの気がすむまで祈りを捧げるのを待って、二人はあらためて教会に向かう。


 今まで、リディにとって教会は生きる道を与えてくれる場所だった。

 常に見守ってくれる人々を大いなる神と、白き聖獣イェンの像。

 良き人生を送るためのヒントが記された聖典。

 神の御業の奇跡を目のあたりにできる神聖な場所。


(治癒が奇跡じゃなくても、やっぱり神の御業に違いなかったのね)


 実を言えば、奇跡はありふれたものだと聞かされて、彼女の信仰がゆらぎかけていたのだ。

 日常的に聖句を唱えるだけで目立つと聞かされて、神ごとき皇帝が治める国なのにと落胆していたのだ。


(神との距離が近いというのは、このことだったのね)


 大いなる神の力の一部が、この体に宿っている。

 彼女は、神の国で生きていくことは常に神とともにあるのだと知った。


 祈りを捧げて足取りが軽くなった彼女に、ギルはしっかり聞けよと呆れた声でたしなめる。


「人の数だけ、魔力の特性がある。たとえるなら、泳ぎが得意なやつ、走るのが早いやつ、手先が器用なやつ、耳がいいやつ、魔力を抜きにしても、人にはそれぞれ得手不得手があるだろ。同じことが、魔力にも言える」

「個人差は、魔力の量だけじゃないってことね」


 ギルの説明は、とてもわかりやすかった。リディは昨日初めて魔力や魔法といった言葉を耳にしたばかりだ。


(元王子だし、やっぱり頭がいいのね)


 育ちのよさだけではなく、彼自身頭がよいのだろう。


「ああ。魔力が感情に左右されやすいというのは、その人の性質にも左右されやすいってことでもある。その人の個性が反映されるって感じだな。ようするに、お前も知ってる治癒魔法が得意なやつもいれば、火を操ったり、空間転移だけに特化したやつだとか、人それぞれ魔力に向き不向きがあるわけだ」

「魔力の向き不向き。魔力があれば、なんでもできるわけじゃないのね」

「ああ、そうだ。大いなる神のお力のほんの一部だからな。なんでもかんでもできるわけじゃない」

「そうなんだ」


 リディは肩を落とした。


「そうがっかりするな。お前の魔力の保有量は、そこらへんのやつらよりもずっと多い。それは俺が保証する」

「嘘ぉ」

「嘘ついてどうする」

「だよね」


 嬉しそうにリディは、胸に手を当てる。


「それで、向き不向きを分類化したのが、魔力の特性。魔法ってのは、魔力の特性を活かす方法だ」

「なるほどね。わたしの魔力の特性は?」


 期待に目を輝かせて見上げてくる彼女に、ギルは苦笑して肩をすくめる。


「さぁな。俺はそこまで詳しいわけじゃない。というか関心がない。俺は、この右腕を使いこなすのに必要な知識があればそれで充分だからな」


 リディが落胆する前に、ギルは続ける。


「今は、暴走しないようにするのが優先だ。昨夜みたいなのは、リディも願い下げだろ」

「それはそうだけど……」

「ま、ハウィンに行ったら、詳しいやつを紹介してやるよ」


 暴走しないようにするためにも、自分の魔力について詳しく知るべきではないのか。リディは、喉元までこみ上げてきた考えをぐっと飲みこんだ。


(信用するって決めたじゃない)


 ギルが自分のためにどれほどのことをしてくれているのか、リディはまだ理解できるだけこの国を知らない。知るためにも、今は保護者のギルから学ばなければならない。


(たぶん、大丈夫。詳しいことはあとにしても、昨日みたいなことは起きない。何か起きても、全部ギルに責任をとってもらえばいいじゃない。保護者なんだしね)


 開き直った彼女は、ようやく顔を上げた。


「ハウィンって、白の都よね。わたしも連れて行ってくれるってことでいいのよね。いつ連れて行ってくれるの?」

「俺の仕事が終わったらな。言ったろ、ひと月くらいこの街に滞在するって」

「仕事?」

「ああ、仕事」

「どんな仕事?」

「詳しいことは訊くなとも言ったつもりだったがな」


 ギルはめんどくさそうに頭をかく。


「神ごとき皇帝陛下のために物語を紡ぐお仕事だよ」

「なにそれ、作家?」


 肯定とも否定ともとらえられる思わせぶりな笑みを浮かべて、彼は脱線した話を戻した。


「とにもかくにも、リディ、魔力を安定させることだ。魔法は、それからだ」

「わかっているわよ」


 彼女は唇を尖らせる。

 せっかく魔力が解放されたというのに使えない。不満に思うなという方が無理だ。


(しょうがないだろ。専門家じゃない俺が下手に刺激して、また物を壊されるのはゴメンだぞ。そんなことに金を使いたくないしな)


 とはいえ、ギルも彼女の気持ちがわからないわけではない。

 彼だって、皇帝から黒い右腕を与えられたときは、とことん使い倒さずにはいられなかったのだから。それこそ、魔力を消費しすぎて失神した回数は数え切れない。


「そうがっかりするな。俺の手持ちの魔道具くらいなら、使わせてやるよ」

「本当?」

「ああ」

「やったぁ!!」


 素直に喜びの声を上げて、リディは足を止めた。


 ようやく教会通りの終点にたどり着いたのだ。

 にぎやかな四角い広場だった。

 ちょうど坂の下に向かうトラムが、彼女たちと入れ違いで横を通り過ぎていく。レンガ敷きの通りにあるレールをたどっていくと、反対側の大きな建物の中に続いている。そこでは、別のトラムが停車しており、人が乗り降りしていた。


『今注目の魔道具工房、ウォドム工房の新作魔道具の実演販売を行っております! 今回の……』


 広場の一角では、昨日教会通りを練り歩いていた工房の実演販売が行われているらしく、あの奇妙な箱の声が聞こえてくる。


(魔道具って、なんなの! すごすぎるわ)


 息を飲む彼女を小突いて、ギルは広場の南側にある建物を指差す。

 白い漆喰で塗り固められた三角屋根の背の低い建物は、この広場では場違いなほど地味だった。


「さぁ、あれが教会だ」

「えっ」


 広場の活気に目を見張っていた彼女は、意外な声を上げてしまった。


「感想は?」

「……思っていたより、普通」


 意地悪く細い目で弧を描く彼に、リディは素直に落胆して肩を落とした。

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