魔力とはなにか

 教会に行くと聞いて、リディは心が踊った。

 神の国の教会だ。

 敬虔な信徒の彼女に、期待するなと言ったところで無理に決まっている。


 なにしろ、ギルが教会に行くと言った途端に、うまく言い表せなかった彼との違いや、特別性、そのご尊顔を拝することも畏れ多い皇帝に直接言葉を交わすなどといった不安が、教会の期待に塗り替えられてしまったのだ。

 昨日まで世話になった杖の存在は、すっかり忘れている。まるで、今まで一度も病に臥せったことなどないかのように、軽い足取りでギルと並んで歩いていた。


 空を泳ぐ魚亭を出た二人は、教会通りを歩いて進んでいる。

 リディがロバはどうしたのかと、思い出したように尋ねると、明日以降に厩舎に案内してやると言われた。今日は、歩いて行くらしい。通りの先にあるという教会は、なかなか見えてこない。けれども、おそらくは歩いていける距離にあるのだろう。


「いいか、よく聞け。教会に行くまでに、魔力と魔法とは何たるものか、ざっくり教えるから、よく聞けよ。魔力と魔法を知ることが、フラン神聖帝国を知ることにつながるからな」

「はい」


 教会に行くまでの時間を、ギルは無駄にはしなかった。ただでさえ、予定がだいぶ遅れているのだから。


 魔力と魔法について――特に魔力が何かは、今リディがもっとも知りたいことだった。


「魔力は、この国の外では奇跡のもととなる力ってのは、もう理解しているな?」

「ええ。それから、神の国の民は誰もが魔力を持って生まれるから、魔法を奇跡と呼ばない。でも、魔力には個人差があるから、魔法として使えるのは少数派で、たいていは魔道具の動力源になっている。このあたりも、理解しているつもり。だいたいあっているでしょ」

「ああ。そういう理解でいい」


 再度同じ話をしなくてはらないかと考えていたギルは、彼女の飲みこみの良さに軽く驚いた。


「まずは、なぜフラン神聖帝国に生まれたらもれなく魔力を持って生まれてくるかだが、実は聖典の荒野の書の中にしっかり理由が記されているんだよ」

「荒野の書の中に?」


 荒野の書は、三巻からなる聖典の中の一つだ。

 黄金山脈を越えてきた始祖が荒野をさすらう事の起こりから、フラン神聖帝国の建国までが記されている。荒野に降臨した大いなる神と後の初代皇帝との対話を重要視されがちだけれども、歴史書でもあった。


(魔力なんて言葉、昨日まで聞いたことなかったのに、荒野の書の中に記されている? つまり、直接的な表現ではないってことよね。だとしたら、降臨の章か、約束の章のあたりに記されているのかしら。うーん……)


 頭の中にある聖典のページをめくって答えを探すリディに、ギルは苦笑する。

 彼は別に彼女に答えを探させるつもりはなかった。けれども、あまりにも真剣にときおりブツブツとつぶやく彼女を、しばらく待ってみたくなった。


(退屈しねぇな、まったく)


 しばらくしても答えを見つけられない彼女に、ギルはヒントを与えることにした。


「初代様の裡で大いなる神が眠りにつきを得たあとに、初代様が行ったことはなんだ?」

「それは『神ごとき名もなき男は、目を閉じられた。目蓋まぶたの裏に肥沃な大地を描かれた。真白き目蓋に縁取られた目蓋をお開けになられると、そこには荒野はなく見渡す限りの肥沃な大地。名もなき男は、ともに荒野をさすらった同胞たちに、恩恵を与えられた』」

「その恩恵が、魔力だったんだな、これが」

「え、そういう意味だったの、これ」


 わかるはずがないと、リディは額に手をやる。

 一般的には過酷な不毛の荒野を肥沃な大地に変えたことが、恩恵だと解釈されているはずだ。少なくとも、彼女の祖国ではそうだった。

 困惑する彼女は、ギルの解説を素直に待った。


「大いなる神の力は、あまりにも強大すぎた。なにしろ、一瞬で見渡す限りの荒野を沃土に変えるほどだからな。その力を分け与えたえることくらい造作もなかっただろうよ。で、それが魔力」

「大いなる神の力を分け与えてくれたのね。ということは……」


 偉大なる神の力の一部が自分にもあるのだと、彼女は首から下げている聖石に両手を重ねて足を止めた。


「続けるぞ」

「あ、ちょっと待って」


 呆れた顔で振り返るギルを、リディは慌てて追いかける。


「初代様が、大いなる神の力を分け与えたのには、ちゃんとした理由がある。うっかり世界を滅ぼさないためだというな」

「うっかりせかいをほろぼさない?」


 首をかしげるリディに、ギルは肩をすくめる。


「ああ。感情がたかぶると魔力のコントロールが難しくなる。昨夜、お前が意図せずテーブルを割ったように、意図せず世界を滅ぼしかねないほど、大いなる神の力は強大すぎたんだよ」


 あまりにもスケールの大きな話に、リディは言葉を失った。

 大いなる神の力でうっかり世界が滅びたら、聖典の定めるところの永遠の少女神ナージェがもたらす終焉と救済がなくなってしまう。


(今は終焉と救済を気にしてもしかたないわね。魔力として力を分散して、世界が滅びないように手は打ってくれたってことだし)


 これまでの話を、彼女なりに整理してみた。


「えーっととりあえず、ようするに魔力は大いなる神の力の一部って理解でいいかしら?」

「ああ、それでいい」

「この国の人たちが、みんな魔力を持って生まれるのは、初代様に分け与えられた同胞たちの子孫だから?」

「そういうことだ。昔は体質か何か知らんが、魔力を持たずに生まれてくるやつもいたらしい。だが、今はいない。いたとしても、死ぬまで隠し通すだろうな。今は魔道具のおかげで、身内の協力があれば難しいことじゃない」

「そういえば、そんなこと言ってたわね」


 リディに魔力がそなわっていなくても、魔道具が普及してくれたおかげで困らないだろうと、言っていたことを思い出す。


(その魔道具がまだよくわかっていないけど、順序ってものがあるものね)


 ちょうど後ろからやってきたトラムが追い越していった。リディは、ついつい目で追いかけながら、疑問を口にした。


「じゃあ、わたしみたいにこの国の外で生まれた人にも、魔力を持っているのは、どうして?」

「四百年以上、お前の祖先をたどれば、この国の人間にたどり着くんだろうよ。確かめようのないことだが、この国の外で魔力を持って生まれるのは、先祖返りのようなものらしい」

「納得ね。でも、なんで四百年以上なの?」


 ギルの左手が耳たぶをつまむ。


「聖暦二五三一年、今から四一七年前まで国境のグウィン大河も北壁もなかった。今でこそ閉ざされた国だが、昔はそうじゃなかっただろ。今よりもずっと人の出入りは簡単だった」

「そういわれてみれば、四百年以上前にこの国の血が混ざったのも納得ね」


 彼女たちが渡ってきた大河も北壁も、当時の皇帝が一夜にして創り出している。

 聖戦を終わらせるために。


 聖戦。

 およそ五百年前に、このフラン神聖帝国で起きた一人の奴隷の反逆をきっかけに百年あまり続いた戦争のことだ。戦争のきっかけとなった奴隷は、のちに神なき国の英雄王と呼ばれることになる。

 周辺諸国の思惑も絡んで長期化する戦争は、大河と北壁でフラン神聖帝国をグウィン大河と北壁で物理的に閉ざす形で終わったのだ。

 突然の鎖国が、大陸西部だけでなく黄金山脈も越えて混乱を招いたのかは、歴史を少しでも学んだものなら知っているはずだ。ほれほど、フラン神聖帝国の影響力は大きかった。

 ちなみに神なきヴァルト王国では、聖戦を神からの独立戦争と呼んでいる。


 そして、ヴァルト王国の元王子ギルは、反逆の奴隷の子孫にあたる。


(今は皇帝陛下に仕えているからって、あまりこのあたりの話題に触れないほうがいいかな。奴隷とかも。今はいないって聞いたことあるけど、やっぱりいい気はしないよね)


 反逆の奴隷を英雄王とたたえているのは、神なき国の民だけだ。

 リディの祖国でも、英雄王の名前は愚者の証として好まれない。

 五百年経っているとはいえ、この国でよく思われていないのは想像に難くない。

 彼女が気を気を遣うのも当然だった。


 ところが、ギルは――


「ちなみに、今はいないことになっている魔力を持たないやつが、昔は奴隷だったらしい」

「あ、そうなんだ」


 なんでもないことのように、彼女が避けようとした単語を口にするではないか。


「大河と北壁を築くと同時に、当時の皇帝が魔力を持たない奴隷を追い出したと言われている」

「だから、この国で生まれたら今は誰もが魔力を持っているのね」

「そういうことだ。しかし、皮肉なもんだ」


 ちらりと後ろにそびえ立つ北壁を振り返った彼は、ふっと笑う。


「聖戦のあと、神の国は奴隷はもちろん厳しい階級制度をなくしたというのに、大河の向こうの神なき国じゃ、今でも王族だの貴族だの平民だのって階級制度を引きずっている」


 リディは口を開きかけて、何を言えばいいのかわからず閉じてしまった。


「そうそう、この国、神の器となる皇族を除けば、みな平等ってことになっている。神官も役人も、女も子どもも、富豪も浮浪者も、みんな等しく平等な神ごとき皇帝の民。成り上がろうと思えば、いくらでも成り上がれる。なれないのは、皇帝くらいだ」

「そんなの建前でしょ」


 彼女は冷ややかに笑った。

 貧乏な家に生まれると、裕福な家に生まれる。その時点で、すでに平等でないことを、彼女はよく知っている。


「まぁな。けど、ずっとマシだと思うぜ。親が神官だったら、子も神官。親が奴隷だったら、子は一生奴隷。奴隷なんか悲惨だったらしいぞ、人ともみなされず、家畜同然の扱いだったらしいじゃないか。それに比べたら、ずっとマシさ」

「……そうね」

「それに、今の皇帝陛下は、根強い格差をなくそうとよくやってくださっているよ。リディにも、そのうちわかるさ」


 話がそれたなと、ギルは咳払いをする。


「さっきも言ったが、魔力は感情がたかぶると予期せず発動してしまう」

「昨夜のわたしみたいに」

「そうだ。そうならないように、こいつがあるんだよ」


 ギルはそう言って、オニキスの聖石をつまんでみせる。


「聖石には、二つ役割がある。一つが、昨日教えた身分証。もう一つが、魔力の安定装置の役割」

「聖石にそんな役割があるなんて……」

「意外だろ」


 首から聖石を外した彼は、彼女によく見るように手渡す。歩きながらでも、オニキスの輝きが失われているのがわかった。


「わかるか? くすんでいるだろ」

「ええ、昨日はもっときれいだったと思うけど」

「そうだ」


 うなずいた彼は、すぐに聖石を返してもらいたま首から下げる。


「魔力を消耗すると、聖石の輝きが失せ魔力が不安定になる。だから、聖石の機能を維持するために、教会で清める必要がある」

「それで教会に行くのね」

「ああ。ま、保有する魔力の量や消費のしかたにもよるが、たいてい五日に一度を目安に教会に通っている」


 リディは、自分の聖石を手に乗せてしげしげと観察していた。紫の蛍石の聖石は、若干曇っているように見えなくもないけれども、気のせいとも感じる。


「わたしの聖石、新しく変えなきゃいけないかしら」

「その必要はないだろうよ、たぶん」

「たぶん?」

「気を悪くするなよ、専門家じゃないんでね。絶対とは言えないが、リディはもとから魔力を持っていたんだ。生命活動を維持するのに、魔力が消費されてきた。そうと知らなくても、その蛍石の聖石は、魔力の安定装置としての役割もこなしてきたはずだ」

「そっか。そうね」


 ただの信徒の証だった八面体の蛍石に、命を支えてもらってきた。

 聖石を両手で包みこんだ彼女は、足を止めて心の中で神に感謝の気持ちを伝えずにいられなかった。

 目を閉じて祈りを捧げる彼女を、意外にもギルは足を止めて待った。


(案外、話しやすいな)


 飲み込みの良さだけではない。

 昨日までは、彼女は病床であっても、いい服を着ていいものを食べていた。

 それなのに、彼女は嫌そうな顔もせずに古着を着て、文句一つ言わずに庶民の料理を食べている。

 本当に彼女が神経質なら、こうはならないだろう。


(というか、こいつが神経質な女ってのは、どこからきているだか)


 なぜ、リディが間違った印象を与えてきたのか、ギルは気になり始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る