朝支度〜ギルの場合〜

 今どきの若い女は、何を考えて、何をするのか。ギルはさっぱりわからなくなっていた。


「いや、リディが変わっているだけかもしれんよな」


 外見は、皇帝によって二十代の青年だけれども、ギルは四十三歳だ。二十歳のリディとは、親子ほど年が離れている。


 倹約が趣味の彼にとって、昨日からの想定外の出費だけでも、大変頭が痛い。その上、非保護者のリディとこれからしばらく同じ部屋で過ごさなければならない。


「……禿げそう」


 彼はがっくりと肩を落として、廊下の壁に頭をぶつけるようにしてもたれかかる。

 リディが割ったテーブルは、金に物を言わせて解決してきた。ついでに、ひとまず厩舎に預けたロバのことも。


(まったく、本業のほうも手こずっているってのに、なんだってこうも思うようにことが進んでくれないのかねぇ。面倒ばかりだ)


 ふっと彼は、笑った。


(退屈よりは、ずっとマシだ)


 面倒事は嫌いじゃない。退屈をなによりも厭う彼は、頭を抱えつつも楽しんでいた。


「そろそろ、かな」


 着替えるには、すでに充分すぎる時間が経っている。

 黄金山脈で隔てられた地であっても、古今東西女の身支度には時間がかかる。

 彼としては、時間を無駄に浪費しているだけだ。けれども、彼女の寝起きでやらかしたあとでは、慎重にもなるだろう。

 面倒事は嫌いではないけれども、必要以上にこじらせたいわけではない。

 友好的な関係を築ければ、それに越したことはないのだ。


 呼び鈴の紐を引っ張った。

 もう充分すぎるほど、着替える時間を与えたのだから、すぐにドアが開くはずだと、彼は疑っていなかった。


「ん?」


 開かない。

 まだ待ったほうがいいかと、一瞬迷いはした。けれども、彼は急かすように呼び鈴を鳴らし続けることにした。


(教会に行かなきゃならんし、朝飯もまだだ。昨夜みたいにガツガツ食うことはないと、考えたいがな)


 昨夜はリディの暴食に当てられて、食欲をなくしてしまっている。


 もしかしたら、空腹からのいら立ちもあって、必要以上に呼び鈴を鳴らし続けているのかもしれない。

 まさか、ドアの向こうのリディを怯えさせているなど、これっぽっちも想像していない。


 しばらく呼び鈴を鳴らし続けて、ようやくドアは開いた。

 待たされたことに、ひと言ふた言言いたかったけれども、思いとどまった。


「話、ついたの?」

「ああ」


 リディが責任を感じていなければ、言っていたかもしれないけれども。


 まだこの国に来たばかりの彼女に、いったい何ができるというのだろうか。

 彼女のもどかしさが、我がことのようにわかる。

 金で解決してきたと言えば、彼女はさらに申し訳無さそうな顔をした。


(しょうがない)


 保護者として、大河を渡ってきた先輩として、まずは彼女を安心させなければ。

 倹約を趣味とする彼にとって、想定外にかさむ出費は頭痛の種だけれどもこらえることにした。

 彼女に信用してもらうために、この街での仕事が終わるまではぐらかすつもりだった素性も少し明かした。


 その結果が――


「いやぁあああああああああああああああ!!」


 なぜかリディに拒絶の雄叫びを浴びせられた。




「本音じゃないから。なんかこう、衝動……そう! 衝動。昨夜の食欲みたいに、体が勝手に叫んでいたの」

「……」


 悪意はなかったのだと、リディはまた頭を下げる。下げたついでに、遅めの朝食のサラダを口に運ぶのを忘れない。


「本当にごめんなさい」

「……」


 不味そうな顔でコーヒーをすするギルは、応えてくれない。


(わたしのバカ! そもそも、神ごとき皇帝陛下に珍獣扱いされても、しかたないじゃない。たしかに、ギルと同類なのは嫌だけど。嫌だけど、しかたないじゃない。現実はそうなっているんだから。嫌だけど。……あ、嫌っていうのは、ちょっと違うか。なんかこう、なんかこう……あーすっきりしないなぁ)


 しゅんとうなだれた彼女は、ちょっと冷めたカブのスープを一気に飲み干す。


 さすがに機嫌をそこねたギルだったけれども、我に返ったリディを連れて食堂で朝食にしているあたりは、さすがというべきだろう。

 朝も遅く、食堂の客はまばらだ。


(反省してるってなら、少しは遠慮しやがれ)


 ちびちびと彼がコーヒーをすすっているのは、とうに食事を終わらせているからだ。

 三杯目のカブのスープを飲み干したリディに、ギルはげんなりとしていた。もう、テーブルにはサラダくらいしか残っていない。

 自分の失言を反省しながらも、彼女は食べることをやめられなかった。どうやら、昨夜、彼が治癒のついでに解き放ってしまったのは、魔力だけではなかったらしい。

 弱りきった顔で、彼女は残っていたサラダとサンドイッチもペロリと平らげてしまう。

 さすがにこれ以上追加注文は阻止しなくてはと、ギルはカップをテーブルに置いた。


「うまく言えないけど、わたしとあなたは同じじゃないはずなの」


 からになった器に目を落としたまま、リディは心底困ったようにため息をついた。


「たしかに、例外中の例外が、わたしとあなたしかいない。そういう意味では、同類で、同じなんだろうけど……」


 彼女は、食べることを終えて、考えることに集中していた。


「やっぱり、わたしはあなたほど特別じゃない。どこにでもいる女よ、わたしは。だから、わたしにあなたのような特別ものは持っていない」


 はっきりとは言わなかった――いや、うまく言えなかっただけかもしれないけれども、彼女は特別な者が持つ期待を背負うのは無理だと思いこんでいた。

 幼くして大国に嫁ぐ覚悟を決めた従妹のように、輝かしい特別は何一つ持っていない。


(魔力に生かされてきた女ってだけで、そうとう特別なんだがな)


 それだけでは足りないのだろうとも、ギルの細い目は見抜いていた。

 リディは、たしかな理由がほしいのだ。ここにいていいのだという、安心できる理由が。


「リディ、お前は俺の何を知っていて違うと言うんだ?」

「それは……その、直感?」

「直感、か」


 目の前でしょぼくれている女は、面倒だが、退屈させてくれない。


「いいんじゃないか、それで」

「じゃあ、許してくれるの?」

「ああ。いつまでも引きずっているわけにもいかねぇだろ」


 ほっと胸をなでおろした彼女に、ギルはふっと笑う。


「ま、俺はまだ直接お前が選ばれた理由を聞かされてない。だから、リディ、お前が直に聞き出せばいい。お前が納得できる理由が得られるかどうかはわからんがな」

「直に聞き出す?」


 誰にと首を傾げた彼女は、次の瞬間、目を丸くした。


「ふぇ! わたしが直接皇て……」

「あー、腹ごしらえもすんだことだし、出かけるぞ!」


 リディに大きな声で皇帝と言ってもらっては困ると、ギルは声を張り上げて、席を立つ。

 客が少ないにしても、大きな声で皇帝と口にされては困る。非常に困るのだ。

 どのみち、今日は出かけなくてはならない。予定ではすでに用事を一つすませている時間だった。


(まぁいい。急ぐこともないしな)


 リディの保護者であるうちは、予定通りにことが進まないだろうと、ギルは諦めることにした。

 そのほうが、退屈せずにすむだろう。


 唐突に席を立った彼にびっくりしたリディだったけれども、すぐに事情を察して彼を追いかける。

 店員を呼び止めて支払いをすませた彼に、リディは尋ねる。


「それで、出かけるってどこに?」

「教会だ」

「教会」


 神の国の教会に行けるのだと知って、彼女は目を輝かせる。


(こいつ、全然神経質じゃねぇのな!)


 自分がやらかしたことは、もう気にしていないらしい。

 いちいち腹を立てないようにしなくてはと、彼は苦笑する。


(でなきゃ、まじで禿げるわ)

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