思いがけない癒し手

 案内されたのは、四階の廊下の突き当りから二つ目の部屋だった。

 部屋の正面の上げ下げ窓が、うっすらと部屋の中の輪郭を浮かび上がらせる。

 右手の壁際にベッドあって、反対側の壁際の手前には机と椅子が一つずつ、奥にはクローゼット。

 ギルが旅行かばんをベッドに置き机の上にあったオイルランプをつけると、窓の下の寝椅子も浮かび上がる。

 敷居のあたりで室内をうかがっていたリディに、彼は窓を背にするように椅子を引きだした。


「ほら、座れよ」

「どうも」


 背もたれつきの簡素な木の椅子だ。

 半日前までいた商館で世話になった部屋とは大違いだけども、いたれりつくせりの身に余る贅沢だったと諦めるしかない。


 彼女が椅子に腰を下ろすと、ギルは彼女の正面に立った。真剣な顔つきで、ただでさえ糸のように細い目をすがめる。


「心臓が弱いんだったな」

「え、ええ、そうよ」


 じっと見つめられて、リディは気圧され気味に答える。


「いいか、じっとしていろよ」


 真剣な声でそう言ったギルは、珍しく緊張していた。


「俺の治癒は、ちょっと荒っぽいってよく言われててな。まぁ、失敗はしないし、ちゃんと治してやるから……」

「ちょっと待って!」


 リディはギルの話をさえぎって勢いよく立ち上がる。とても、半日前まで杖が必要だったとは思えない勢いで。


「え、なんで、あんたが治癒を……わけわかんない。教会には明日行くって……」

「落ち着けよ。たっく……」


 彼女の慌てぶりに、ギルはため息をつく。


(ああ、そうだったな。帝国の外じゃ、教会に治癒を依頼するんだったな)


 説明するからと、彼は彼女をなだめて座らせた。


「言ったろ。この国じゃ、あんたらが奇跡って呼んでいた神の御業は、ありふれていて魔法って呼ばれているって」

「でも、魔法が使える人は限られているとも言ってたじゃない」

「俺がその限られている人の一人なんだがな。まぁ、治癒魔法が得意なやつは、どの街にも何人かいるし、そういうやつらは、教会を介さずに、治癒師として生計を立てている。治癒院とか、そんな看板を見かけたら、それだ。何かあったときのために覚えておけよ」

「えーっと、つまり……」


 リディは理解するのに、頭を働かせなくてはならなかった。

 彼女の祖国で病気や怪我をしたら、癒し手、医者、薬師のいずれかに頼るのが、一般的だ。

 ギルのいう治癒師にあたる癒し手は、ほぼ確実に傷跡すら残さず癒やしてくれる。けれども癒し手の数が圧倒的に足りない。その上、教会を介さなければならないので、慈善事業として基本的には無償とはいえ、多額の寄付金を用意できる富裕層が優先されがちだ。

 医者は、神なき国の医療を扱う者たちだ。だいたい街に一人くらい履いて、医院の看板を掲げている。現状、神の御業を拒んだから発達した医療に対する不信感が根強い。癒し手に診てもらうまでのつなぎの役割として認知されている。

 そして、薬師。古くからの薬草術などに長けた人だ。一番多くいるし、身近で頼りになる。


(医者に近いのかしら。なんだか皮肉だけど)


 なんとなくではあるけれども、この国では祖国では医者と呼ばれていた人たちに近い存在だろうと、彼女は結論づけた。


「あとは、魔法を使える知り合いに頼むとかだな。今回の俺みたいに」

「なんとなく、わかった」


 おいおい実感するだろうと、リディはとりあえず納得した。


「じゃあ、今度こそじっとして……」

「待って」

「なんだよ」


 げんなりするギルに、リディは身を乗り出して言った。


「本当に、完治してくれるのよね?」

「ああ。それは心配するな。少々、荒っぽいだけだ」

「その、荒っぽいってのが、心配なんですけど」

「痛いってわけじゃないから、安心しろ」

「本当に、まかせて大丈夫?」

「大丈夫。もしもなんてことは、考えなくていい」

「本当に?」

「しつこいぞ。俺は失敗しないから」

「むっ」


 ギルを信用するしかないとわかっている。けれども、なかなか安心できない。


(失敗しないって言い切っているのが、信用できない)


 不満そうな顔をしている彼女の気持ちも、ギルはわからないでもなかった。


(まぁ、そうだよな。敬虔な信徒にとっちゃ、治癒魔法は神聖なもんだったろうから、俺みたいなのじゃ嫌だってのも、わからんではないな)


 とはいえ、ギルは彼女を他の治癒師にまかせるつもりはない。


「とにかく、じっとして目を閉じろ。一瞬で終わるから」

「……わかった」


 しかたなくリディは背筋を伸ばして、目を閉じる。


 不承不承、我慢してやっていると全身で訴えている彼女に、ギルは苦笑してしまう。


(神経質というより、面倒くさい女だな。ま、面倒くさいくらいが、俺には丁度いい)


 ギルは黒い右腕を彼女の胸のあたりに、まっすぐ伸ばす。

 触れていないし、人が一人余裕で通れるほど離れていても、気配で彼の動きを感じとったのだろう。リディは膝の上に重ねていた両手をギュッと握りしめた。


「リディ、せっかくだ。サービスで聖句、唱えてやるよ。そのほうが安心できるんだろ」

「好きにして」


 投げやりな彼女に苦笑を深めた彼は、すぐに唇を引き締め目をすがめて深く息を吸った。


「荒涼たる大地に苦しめられた始祖たちは、白き聖獣イェンの息吹によって癒やされた。大いなる神が八つに切り分け八柱の神々としたあとも、その息吹は大いなる神とともにあった。大いなる神と一つ目の聖獣イェンは、常にともにあるゆえに」


 意外だった。

 聖典の一節を諳んじる声は、朗々としてよどみがない。

 目を閉じているリディには、こっそり別人と変わったのではないかと疑いたくなるほどだった。


「聖獣の息吹は、癒やしである。その息吹は見えざるともそこかしこにある。されど、癒やしは常に与えられるとは限らぬ」


 リディは肩の力が抜けるのがわかった。

 まるで、教会で神官の説話を耳にしていると錯覚してしまうほどに、ギルは見事に諳んじている。


「癒やしは、復元ではないゆえに。我らは、学ばねばならぬ。痛みを苦しみを。自他をいたわり大事にすることを。聖獣の息吹は、再生への導きである。ゆえに、癒やされた者は、元と同じではない。元と同じであっては、癒やしではない。癒やしを望む者よ、変化を受け入れよ」


 聖典の一節を唱え終えたギルの右手が動いたのを、リディは気配で知った。

 ほとんど無意識で、彼女は目を開けてしまった。


「っ!!」


 声にならない悲鳴を上げた彼女が見たのは、目の前に迫ってきた巨大などんな影よりも黒いカラスの嘴だった。先立つ恐怖に思考が追いつく前に、巨大な嘴が彼女の胸を貫く。貫かれた胸の奥にあったつっかえが消えるのを感じながら、彼女は気を失った。


 気を失い椅子から崩れ落ちそうになった彼女を、ギルは抱き上げる。

 彼女が見た巨大なカラスは、どこにもいない。


「だから、目を閉じてろって言ったろ。まったく……」


 やれやれとため息をつきながら、リディをベッドに横たえた。顔色は悪くない。むしろ、より健康的になったようにも見える。


(これで、大丈夫だろ)


 呼吸も脈も安定していることを確認したギルは、ようやく安堵の笑みを浮かべた。

 明かりを絞っていたランプを調節して部屋全体を明るくすると、さっきまでリディを座らせていた椅子にドサッと腰を下ろす。

 今まで微塵もリディに見せていなかった疲労が、全身に色濃くあらわれていた。


「あー疲れた」


 足を投げ出した彼は、首元の編み紐を指に引っ掛けて聖石のオニキスを目の近くまで持ってくる。オニキスは、輝きが失せていてくすんでいた。


「やっぱ、治癒は魔力を消耗しすぎるな」


 額にやった右手は、ひんやり気持ちいい。


(先が思いやられるな)


 リディが寝たきりの重病人でなかったことくらいしか、今日一日でよかったと思えることがない。


(それにしても、神への祈りだけで生きながらえてきたとか、本当にありえるのか)


 彼の経験と知識の範疇では、リディは生きているのはありえない。


 リディは、神への祈りを欠かさない敬虔な信徒だ。その祈りが、奇跡と呼ばれる治癒魔法として作用し、彼女を生かしてきた。それが、神なき国に来たことで、祈りの効果が薄れて病状が悪化し寝たきりになった――それが、ギルの故郷ヴァルト王国が出した結論だ。


(祈りは祈りで、魔法とは別物のはずだ)


 魔法は、祈りでどうこうできるものではない。

 彼が先ほど聖典の一節を唱えたのは、ただ単にリディを落ち着かせるためだ。


「いや……ありえないからこそ、皇帝が関心を持ったと考えるべきだったか」


 もっと早くに気がついてもよさそうなものをと、彼は苦笑いしながら、体を起こす。


「ま、なんにせよ、腹が減ってはなんとやらだ」


 今やるべきことは考えることではなく、空腹を満たすことだった。

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