第二章

驚きの魔道具たち

 まだなんともいえない複雑な顔をしているリディに笑いかけながら、ギルは引き綱を引いた。


「さ、行くか。早いとここいつを持ち主に返してやらないとな」


 広場から三つに分かれる通りのうち、ギルは右の通りに向かう。

 右の通りは、急勾配の上り坂となっていた。

 通りは、広場と同じく赤いレンガ敷きとなっている。広場では建物ばかりに注目して気がつかなかったけれども、定期的に補修や整備はしっかり行われているようだ。


(そのせいで、ごちゃごちゃしているように見えたのかもしれない)


 通りに並ぶ家々は、やはり無秩序な増改築が繰り返されている。上だけではなく、もともとは狭い路地だっただろうところにも、あばら家がひしめいている。

 そんな光景が急勾配の坂の両側に続いているせいで、彼女の目には広場よりもごちゃごちゃして映った。


(街の景観なんて、たいした問題じゃないわね)


 景観よりも、住人の利便性などが優先された結果なのだろうか。

 ごちゃごちゃした通りは、思いのほか活気にあふれていた。

 夕暮れ時が近づく中、飲食店と思わしき客を呼び込む声を振り切るようにして家路を急ぐ人々や、彼女には聞き慣れない言葉を繰り返して売り込む露天商、大きなカゴを頭に載せた女性たちなどなど。


「この先に、教会がある」

「この先に?」

「ああ、今日は行かないが、いちおう頭に入れておいてくれ。この坂を登った先に教会があるってことをな。ちなみにこの通りは、教会通りって呼ばれている。わかりやすいだろ」


 今日、教会に行かないということは、リディの治癒は明日以降になるということだろう。


(まぁ、今日じゃなくてもいいかな)


 リディの体は、北壁に近づくにつれてどんどん楽になっていった。北壁を抜けた今では、これまで味わったことがないほど健康にもっとも近づいていると感じるほどだ。病魔に冒されたままという事実すら、忘れてしまいそうなほどに。


「リディ、あれを見てみろ」

「あれって……うそ」


 素直にギルに言われた方を見たリディは、ポカーンと口を開けたまま閉じられなくなった。


 奇妙な一行が、通りの真ん中を練り歩いてくるではないか。

 先頭には、十歳くらいの栗色の髪をした男の子。誇らしげな顔をした少年の首から下は、頑丈な甲冑に覆われていた。それだけでも、リディは目をむいたというのに、少年は両手で頭上に掲げている物体ときたら、リディの常識外もいいところだ。

 その物体は、木材と金属で作られた奇妙な縦長の直方体だった。底には少年が頭上に掲げやすいようにと、片手ずつ握られるように取っ手がついている。リディは、まずその大きさが信じられなかった。中が空洞だとしたら、少しの窮屈感を我慢すれば彼女が隠れるには丁度いい大きさだろう。仮に中が空洞の箱状の物体だとしても、木材の板と金属のアングルで組み立てられ、四つの側面になんだかよくわからない奇妙な形状をした金属が組み込まれているので、どう考えても少年が頭上に掲げるなど、ありえないはずだった。

 年端もいかない少年が、頑丈な甲冑に身を包んで、さらにありえない物体を頭上に掲げて、それらを物ともせずに誇らしげな顔をして通りを練り歩いてくる。


 リディは、考えることを放棄しようかとすら考えた。けれども、謎の直方体の中から聞こえてくる声のせいで、放棄したいという考えを放棄せざるえなかった。


『今注目の魔道具工房、ウォドム工房からのお知らせです。明日、教会広場にて、新作魔道具の実演販売を行います! 皆様お誘い合わせの上、教会広場にお越しください。なお、お持ちの魔道具に不具合等がございましたら、当工房の鉄床かなとこ印の有無に限らず、丁寧にお直し調整いたします。皆様お誘い合わせの上、ぜひ教会広場に越しください。今注目の魔道具工房……』


 聞き取りやすさを意識した朗らかな男の人の声が、一言一句違わずに同じ調子で繰り返されている。

 リディは直方体の中に人が入っているのかと考えたかった。けれども、そうじゃないと否定してくる直感を無視できないで葛藤し続けている。


 驚愕に目を丸くしているのは、彼女だけだ。この光景は日常の一部なのか、通りを行き交う人々の中で足を止める者は少ない。まったくいないわけではないけれども、足を止めた人は繰り返されている一本調子の声の内容を理解して関心を抱いていた。


(まどうぐこうぼう、魔道具工房? じゃあ、さっきギルが言っていたのって……)


 先頭の少年に続いて、四人の男女(そのうち一人は、あきらかに少年の父親だ)が、それぞれ奇妙に動いたり光ったりする看板を掲げていた。

 けれども、残念なことにリディは先頭の少年の衝撃で、後ろの彼らはまったく見えていなかった。

 彼らとすれ違って、しばらくしてようやくリディは一つの結論に至った。


「あれが、魔道具、なの?」


 ニヤリと笑って、ギルは肯定した。


「音声記録装置付きの拡声器といったところか。ついでに、先頭のガキの甲冑も魔道具だ。身体強化系だろうが、子どもサイズは俺も初めて見る」


 彼は、得意げに魔道具と魔法とは何か詳しく話して聞かせる。


 魔道具は、帝国人が生まれながらに有している魔力が原動力となっている装置の総称。

 魔力を魔道具無しで魔法として活用するには、生まれながらの魔力の保有量や個人の技量に大きく関係してくる。それでも、百人に一人は簡単な魔法を活用できるのだから、帝国以外のヤスヴァリード教を国教としている諸国に比べたら、比較にならないほど恵まれている。

 そうした百人に一人の生まれながらにして恵まれた人以外の魔力は、例えるなら人よりも遠くまで見通せるほど目がいいとか、記憶力がいいとか、その程度しか常人と変わらない。


「魔道具は昔からあったらしいが、ここまで広まったのは今の皇帝の治世になってかららしいから、ここ百年くらいってところか。あの方は、魔道具の研究開発、普及に力を入れているからな」

「ねぇ、ギル、ちょっと訊きたいんだけど……」


 リディの引きつった顔で、ギルは彼女が何を尋ねたいのかよくわかった。


「ああ、御年百と二十四だ。これでも、歴代の皇帝と比べたらまだまだ若い」

「百二十四歳でまだ若い?」

「その御身体の裡に大いなる神がお眠りになっているんだ。不老長寿くらい恩恵があってもいいだろう」

「そ、そういうものなの」

「そういうもんなんだよ、この国の中じゃな」


 ため息がリディの口からこぼれ落ちた。


「わたし、この国でやっていけるかしら」

「やっていくしかないだろ。もう壁の外には戻れない」

「わかっているわよ。でも……」


 不安そうに言いよどむ彼女に、ギルは肩をすくめて微笑んだ。


「弱音を吐いて、気が楽になるなら、飲み込むことはない。吐き出せばいいさ。あいにく、聞いてやれるのが俺しかいないがな」

「そうね、あなたしかいないのが、問題よね」

「おい、今のは傷ついたぞ」

「自分で言ったくせに、傷ついてるとか、笑える」


 プッと吹き出して、リディは肩を震わせてしばらく笑い続けた。

 ギルは面白くなさそうに口を閉じたけれども、その口角は穏やかに上に向いていた。


(笑うと可愛いんだよなぁ)


 案外、リディは表情豊かなのかもしれない。などと考えながら、ギルは彼女に会う前に仕入れていた神経質そうな女という情報にともなう先入観を捨てることにした。


 ごちゃごちゃした景観は、坂を登るにつれてすっきり洗練されていくようだった。

 無秩序な印象を与えていた増改築の痕跡が目立たなくなり、レンガで統一された家屋が増えてきたのだ。

 あれからギルは黙々とロバを引いている。


(ギルの言うとおりよ。この国でやっていくしかないんだわ。驚くこともたくさんあるだろうけど、すぐに慣れるわ。慣れるしかないもの)


 彼女は強く心の中で自分に言い聞かせた。


「ああ、そうそう、さっきの魔道具の話だが、魔道具は二つの分類がある」


 ふいに思い出したように、ギルが口を開いた。


「一つは大きさだ。小型魔道具と、大型魔道具だ。さっきのは、あれは全部小型魔道具になる」

「あれが、小型? じゃあ、大型は……」

「あれが、大型だ」


 足を止めた彼は、顎で後ろを振り返るように示す。素直に彼女が後ろを振り返ると、坂の下から何やら四角い大きな影が滑るように近づいてきていた。


(あれって、まさかひとりでに走る車??)


 今まで彼女は気にもとめなかったけれども、レンガ敷きの通りには金属の溝が何本かあった。その溝に嵌った車輪が回転している。車輪の上には、何十人という人を乗せた客車がある。馬もロバもいない。誰も客車を引いていないのに、悠々とそれは近づいてくる。


「大型魔道具の一つ、路面魔動車トラムだ」

「……」


 うわさに聞いていたよりもずっと立派なトラムに、リディは再び目を丸くするはめになった。


 彼女が驚くことは、まだまだ山のようにたくさんあるらしい。

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