29.意外な進展と彼の想い


 バイト先に向かう奏を見送った後、俺は自分の部屋に帰ってきた。


 夜まで何をしよう、と考えるまでもない。俺は半分ほどまで埋まった脱衣カゴの中身をポイポイと洗濯機に入れていく。ものによっては時々洗濯ネットに入れたりしながら。

 秋とはいえどまだ暑い日もあるから汗拭いたタオルなんかがどうしても含まれる。こまめに洗うように心がけてはいるけれど、ちょっと油断しているとあっという間に溜まるんだよな。


 あとは部屋の片付け。テーブルの上や棚の上などひと通り見苦しくないくらいまで整えたら、床は掃除機でほこりを吸っていく。ハンディ型は体力の消耗が少なくていいね。一人暮らしを始めるときに買ってもらって良かったアイテムの一つだ。


 そう、一人なら一人でやるべきことがある!


 なんて、本当は明日か明後日に奏が勉強しに来ることを予想してなんだけどね。

 動機はなんであれやれればいいんだよというあっけらかんとした考えも最近は持てるようになってきた。


 片付けって始めると結構こだわってしまうもので、部屋が綺麗になったと思える頃にちょうど洗濯機から洗い上がりのメロディが流れた。


 いつもに比べたら干す時間がちょっと遅いけど、まだ昼過ぎで外も明るい。今日の気温ならある程度は乾くだろうと思い、連結型のハンガーを外に出して洗濯物を干し始めた。


 昼ごはんは奏と一緒に済ませておいた。だから今ちょっぴりお腹が空いているのは体を動かしたせいなんだろう。

 とりあえずコーヒーを淹れて、昨日オーナーからもらったおまんじゅうを添える。和菓子と合うのかって? それが意外としっくりくるんだよな、俺は。


 ベランダから届く柔らかな陽の光。まるで田舎のおじいちゃんみたいに温かい位置で座ってくつろぐ俺は、これまでと今とをぼんやり比較していた。


 一人暮らしもそんなに退屈ではなくなった。それはやはり奏やハル、芹澤さん、バイト先のみんなのおかげなんだろう。

 人と繋がることで知った寂しさもある。不安もある。だけどやはり総合的に考えると、一人きりで生きようとしていたときよりずっと心強いんだ。


 ふと、自分の家族のことを思い出した。

 高校生の頃にいろいろあったせいでぎこちなくなってしまったけれど、みんな元気にやっているんだろうか。俺みたいに心安らげるときはちゃんとあるんだろうか。

 こんな気持ちになったのは久しぶりだった。やはり心に余裕がないと周りのことなんて意識できないんだと実感する。昔の俺には確かに無理なことだったんだな。



 夏休みの課題はもう終わっているけれど、学校が始まる前に苦手な部分の理解を深めておきたい。この頃良いことばかり起こりすぎて正直浮かれている。勉強タイムをきっちりとることでバランスをとろうという気持ちもあった。



 しばらく集中していたらあっという間に外が薄暗くなってきた。俺は一旦手を止め、洗濯物を取り込んだ。


 そういえばハルには今夜電話していいかとざっくり訊いてしまったけど、具体的に何時なら大丈夫なんだろう。俺はスマホを手に取ると再度トークを開き、それをハルに確認することにした。


 すると『今でもいいよー! 気になるから』との返事。

 まだ夕方だけど、奏も今夜連絡くれることになっているからむしろ都合が良い。

 すぐに電話をかけるとハルの方もすぐに出てくれた。


『もしもーし! 響、久しぶり〜! 電話できて嬉しいなぁ』


「久しぶり。その、俺も電話できて良かったよ」


 明るい声が耳元で響くと自然と笑みが込み上げる。

 全力で喜びを表現してくれるハルに比べると俺の返事はぎこちないものだけど、全く同じノリで返さなきゃいけないという決まりもないからな。結局は自分らしく、無理しないのが一番。


『それでお兄さん〜。このごろ朝比奈さんとはどうなんですかぁ〜?』


「まぁ、仲良くやってるよ」


『いいねいいね〜! 夏休みはどっか遊びに行ったりしたの?』


「いや、お互いバイトも忙しかったからまだ……ってか、俺も聞きたいことあるんだけどいいかな」


『あっ、そうだったね! ごめんごめん。どうしたの? 改まって聞きたいことだなんて』


 予想通り思いっきり話が脱線しそうになってたけどなんとか軌道修正できて良かった。少しの緊張を感じつつも俺は本題を切り出す。


「最近、岸さんが奏に対してよそよそしいみたいでさ、奏が心配してるんだけど、何か彼女に変わったことがあったか知ってる?」


『え、愛梨が?』


「そう、岸さ…………ん?」


『そ、そうだなぁ。特に変わったことがあったとは聞いてないなぁ』


「あの、ハル」


『ん、どうしたの?』



「岸さんのこと名前で呼んでたっけ」



 そう、この違和感。さすがにつっこまない訳にはいかない。

 だってハルは岸さんのこと苦手だったはずだよ。気が強い子だからっていつも怖がってて。それなのに一体……


『ああっ!!』


 今更自分の言ったことに気付いたみたいだけどもう遅いよ。さぁ、何があったのか話してもらおうじゃないか。俺は密かに尋問モードになっていた。


『いや……その、付き合ってるとかじゃないんだ、まだ!』


「!?」


 焦燥の伝わる声で言われて俺はひっくり返りそうになった。さすがにそこまでは想像してなかったからだ。

 というか“まだ”って言ったよね!? 言ったよね!? それは今後可能性があるってことなんじゃないの? どんな天変地異が起きたらそんなことになるんだよ!?

 どれもこれも口には出してないけど、内心のツッコミは止まりそうにない。


『あっちにしてみればお試し期間みたいなものなのかな、とりあえず友達からならって言われてさ。だから最近、サークルが終わった後たまに寄り道して話す時間を作ったりしてたんだ』


「それはハルの方から告白したってこと?」


『まぁそうだね。うん』


「いつから気になってたの? 岸さんのこと」


 あれだけ自分の能力のことを疎ましく思っていたのに、全く気付けなかったことが今はちょっと悔しい。つい探りを入れてしまう。

 ハルはう〜んと小さく唸った後に答えた。


『やっぱりあのときかなぁ。ホラ、朝比奈さんが寝込んでサークル来られなくなったとき。響がお見舞いに行けるように協力してくれたじゃん? 普段ツンツンしてるけど本当は友達思いのいい子なんだなぁと思ってさ』


「ああ、なるほど」


『そしたら気の強い表情や口調も可愛く思えてきちゃって……えへ』


「なんかハルらしいや」


『えっ、俺そんなにチョロい感じする!?』


 ふふ、と俺は笑みで返した。そうだね。君は自覚している以上にチョロいよ、ハル。


 でも言われてみれば腑に落ちるものがあった。確かにあのときハルからは、協力的な姿勢になった岸さんを見て感動するような心の声が聞こえてきたし、俺は俺で奏のことで頭いっぱいだったから細かいことまで気にしていられなかったし。

 岸さんの方も、告白されてすぐに付き合わないところがらしいというか。見た目こそ派手だけど慎重派な性格なのはもう充分俺たちには伝わっているからな。


 そうか、そんなことになっていたのか。だよな。いくら心の声が聞こえるといったってそれは近くにいる間の話。みんな大部分は見えないところでいろいろ考えてるんだもん。ハルも岸さんもそれは同じだ。


「じゃあこのことは奏にも伝えて大丈夫かな? それとも内密にしてた方がいい?」


『一応愛梨にも聞いてみるよ。それでいいって言われたら朝比奈さんにもそのまま伝えてもらって大丈夫。とりあえず愛梨は朝比奈さんのことを避けてるつもりなんてないから、そこは心配しないでって言っておいて。なんかごめんね、俺のせいで』


「了解。じゃあ岸さんから返事もらったら連絡ちょうだい」


『わかった。あとそれでさ、響ぃ〜……』


「どうかした?」


『その〜……』


 ハルが珍しく次の言葉をためらっている。もじもじと身体をよじる姿が脳内再生される。俺は思わず首を傾げた。



『できれば協力してほしいことがあるんだ』


「協力?」



『夏休みが終わる前に愛梨とどっか出かけたいんだけど、現時点だと友達だから二人きりだと気まずくて。響も来てくれないかな、朝比奈さんと一緒に!』


 お願い! と更に力強く言われて俺も考える。


 そうだな、距離を縮めるには確かに良い方法だ。ハルにはいろいろと恩がある。何か返せるものなら返したいと前から思ってた。

 岸さんと一緒だったら奏も気を遣いすぎずに楽しめるだろうし……よし、ここはやはり。


「うん、わかった。まだ奏の方の予定がわからないんだけど、なるべく実現できるようにその方向で計画を立てよう」


『わぁ! 響お兄さま、ありがとう〜!! 大好き! 俺さ、誰かに恋したのって中学生のとき以来だから結構緊張してるんだよ。上手くいくように応援しててね!』


 へぇ、ハルって人当たりが良いから恋愛も慣れてるイメージだったけどそうでもないのか。意外な一面を知れてちょっとくすぐったい気持ちになった。


 今までは能力のせいで人の知らなくてもいいところまで知れてしまうのが嫌だったけど、こうして自然なやりとりで相手のことがわかるのは素直に嬉しい。


 ともかく一つミッションができた。バイトで終わる夏休みと思っていたけど、まだ思い出が増えそうだ。

 行き先も決まっていないのにソワソワする気持ち。まるで過ぎ去ったはずの夏空に向かって心が先に走り出しているみたいだった。

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嘘の世界で君だけが 七瀬渚 @nagisa_nanase

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