第5話 香港滞在 その1 1934年1月5日

 1月5日金曜日。まだ夜が明けないのに照国丸は停船した様で、波も静まっていた。船員に尋ねると、香港の入口で水先案内人を乗せるらしい。すると間も無くして照国丸が動き出した。


 午前5時頃に起床して、マウント氏と一緒に甲板に出る。もう照国丸は港に入っていて、両岸の街明かりが海に映えて美しい。右手は九龍(クーロン)で、左は山になっており、これがアヘン戦争後の1842年に締結された南京条約によってイギリスの植民地となった香港の町である。


 午前6時に照国丸はブイに着いた。古びた手漕ぎ舟や小蒸気船がもう集って来ている。やがて夜は明けて街の灯は消えて行った。今日は朝食がいつもより早いそうで、乗客らは早く上陸したいと待ちかねている。現地のポーターらが上陸客の荷物を運び出して、支那人の両替屋が客を求めてやって来ていた。


 香港の街は朝霧で煙っていたが、午前7時頃になって一番高い山である大帽山へ朝日が当り、だんだんに下方も明るくなって行った。


 港を見ると海岸の通りは四、五階立てが並んで見事なものである。それよりも裏山に沢山の洋館が建ててあるのが感心だ。香港と九龍との間に気持の良さそうな渡り船が通っていて、関門のよりは小さいがスマートだった。

 

 朝食がすんだ頃にマウント氏の親戚(兄嫁の兄さん)のリバティさんと言う方が御夫婦でお出迎えに来て下さって船室で話をした。マウント氏はリバティさんとは初めて会ったと言っていた。私は最初から今日の香港見物はリバティさんに頼もうか、それとも関東応であるライサンさんのお尻について郵船の人に頼もうかと迷っていたのだが、リバティさんの御好意に甘えてマウント氏と共に見物させてもらう事になった。リバティさんと言うのは35歳くらいの三井物産の香港支店にお勤めの方で、奥様は東京府立第三高等女学校出身で身なりの派手な方だった。午前9時20分発のランチ船に乗って上陸した。


 一方、二等船室の方ではバリイ君が率先してグループを作り、自ら自動車を雇って市内見物をやろうと言っている。この私はと言えば、満鉄の権威を笠に着て三井物産にタダで案内させ、おまけに御馳走までしてもらおうと言う訳だ。もっとも三井物産は我が満鉄が運ぶ撫順炭鉱(ぶじゅんたんこう)の炭を売って儲けているのだから、少し位お蔭をもらっても差支えない訳で、これから行くシンガポールでもこの流儀をやるつもりだ。


 やがて海岸通りに着いて景色を見ると建物がやけに高い。暑さを避ける為にか各階の前に廊下が付いているので、ことのほかに重々しく感じる。人力車は奉天の様な形だが、赤く塗ってあってどことなく不気味である。バスも沢山走っているし、珍しいのは轎と言うカゴで、かついでいる支那人は裸足でヘンテコな帽子を被っていた。リバティさんに導かれて三井商船の支社に行く。二階へエレベーターを使って昇ると天井がやたらに高いのでビックリした。ざっと見て10mはあっただろうか。


 そこでリバティさんから三井物産石炭部主任のアーリーさんを紹介された。この方はよく話す面白い人で、香港の色々な事情を聞かせてもらった。なんでもこの時期は乾燥期で気候は快適だが、3〜6月になると湿気が増して着物や壁がベトベトになり、カビが生えてそれはひどいそうだ。「今の気候がいい時ばかりを見て、あまりそれを言いふらさないで下さい。そうすると給料が減らされて困ります」とアーリーさんはおっしゃっていた。ここには日本人の小学校はあるが、それ以上進学するには内地へ行かねばならないと言う。奥様方はヒマで遊んでいる様で、今日も新年宴会の日でリバティ夫人もマージャンをやりに行かれるらしい。この辺の支那人は広東の金持ちがイギリス領へと逃げて来たのだから、とてもモダンで贅沢だそうだ。この街並みを見てもその様子はうかがい知る事が出来る。


 撫順炭は以前には年に20万トンも広東に入れていたと言うが、満州事変(1931年9月18日に勃発)の後は1トンも売れないそうだ。試しに先日少しばかり送ってみたら、陸上げする事だけは出来たが一向に買い手が付かないと言う。撫順炭の代りにはすでに開平炭が広東の市場を占めており、最近では撫順炭に対する課税が1トンにつき数ドルと高くなっているので、広東での排日傾向がやんでも商売は難しいだろうとの事だった。

 

 とまあ、この様にアーリーさんのお話は尽きなかったが、午前10時半になって自動車が用意されたと言うので、リバティさんのご案内でマウント氏と一緒に乗車していよいよ島巡りに出発だ。


 繁華な海岸通りを離れると二階付き電車が通っている道があって、これがメインストリートらしい。インド人が行き交い巡査が見張りに立っている。イギリス人と支那人がウジャウジャ混雑している中をぬけてケーブルカー終点の前を通り、右折して総督官邸の前に出ると、カーキ色の軍服を着たイギリス人兵士が銃剣付きのカービンを抱えて門番をしていた。もうこの辺りはかなり高い所で、ここから等高線に沿ってつけられた島巡り道路となっている。道幅はあまり広くはないが、アスファルトで立派に出来ていて道から港が見下せ、対岸に位置する九龍もよく見える。その道を曲って島の裏側へと進むと、はげ山の山腹を切り開いて方々に立派な洋館が立っていて、その脇には支那部落もあった。道を歩いている支那人はなぜか半裸が多いし、女性たちも変な笠を被っている。やがてアバディーンと言う漁村に出た。島には少し松も生えていて内地の景色にどこか似ており、その松はイギリス人が移植したのだそうだ。この漁村には沢山の漁船が入っていて、元来の香港と言うのはこの村の事を指すと言う。魚を干したり分けたりしている漁夫も見えた。

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