第十二話:武道演武大会


 崇天厳帝国すうてんごんていこくの天気は晴朗せいろうだ。


 うしの刻の初刻しょこく、崇爛城・武玲殿ぶれいでんは大層賑わっていた。飛び交う男達の勇ましい声と滴る汗に、見学する眷族けんぞくや皇族、皇帝、皇后、入内じゅだいした女子おなごや女官は、皆一様に魅入られている。

 年に一度――武官が日頃の鍛錬を披露する日、待ちに待った崇爛城最大の行事、武道演武大会が執り行われていた。


 兵軍省・軍政を司る行政機関に所属する武官は武器携帯を定められた官職だ。人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う。歴代の偉人達が築き上げた帝国の平和と安寧及び繁栄を一身に背負う彼らは、正に帝国一の兵達つわものたちだ。称えるに相応しい。


 大会は毎年披露する種目が異なり、今年は剣道、薙刀、剣術、柔術、杖術、砲術などの幅広い演武が行われていた。普段は縁遠い最高峰の戦闘の緊張感を間近で味わえる武術に加え、忠誠・勇敢・犠牲・質素・情愛・人格の陶冶とうやや心身の練磨れんまをはかり人間の誠を目指す武道、どれも見応えがある。


 軍将官・軍省若人進ぐんしょうわこうどしんに属した夜条風華煌侃も無論、大会に参加しており、実際に武官に供された崇爛軍剣を使用し、実戦形式で相手の侍衛と戦った。刀と刀がぶつかる鈍く重い音や体のすれすれを掠める刃、痺れる空気、戦時は当たり前だった命のやり取りに誰もが呼吸を忘れ、煌侃が相手の喉元に刀を突き付けた瞬間は今日一番の歓声が上がった。


 ――数刻後、獅龍帝が武官に賛辞を贈り今年も大盛況に大会の幕が下りる。


 「貴方アナタが息子で私達は鼻が高いわ」


 「お前を崇爛城に入れて正解だったな」


 「昇進も夢じゃないわね」


 武道演武大会は終了したものの、やはり余韻は冷めやらない。眷族けんぞく達が自分の息子を褒め称え、武玲殿は打って変わって和気藹々わきあいあいな場所となった。


 なかには単に仕事の人脈を広げるために訪れた見学者もいる。上位階級の貴族と交流し、事業上最大の資産、互恵的ごけいてきな関係を築く目的だ。序でに異業種の生きた情報を得れたら一石二鳥で、経営水準や技術力を見極め、近づく相手を慎重に選んでいた。


 とある一角は取り分け、周囲の興味が一点に集まっている。遠巻きにひそひそ小声で耳打ちし合う光景は品性の欠片がない。


 「あちらにいらっしゃったわ」


 「お近づきになれないかしら」


 「陛下もお褒めになっていたな」


 「伯爵の後ろ盾はデカイぞ」


 そこには木陰の下で一際異彩を放つ、伯爵の爵位を持つ上位階級の名門貴族がいた。夜条風華家だ。


 彼らは注目に慣れている様子で歯牙しがにも掛けない。ただひとりを除いてだが。


 きょろきょろ辺りを見回す優淑に煌侃が問う。


 「どうした?」


 「背筋がぞわぞわして……、誰かこちらを窺ってませんか?」


 「打算的な意図を隠す気もない連中だ、気に留めなくていい」


 外側に立つ優淑を内側に移動させ、煌侃は優淑の壁になった。返答と行動を今ひとつ理解できない優淑に、煌侃の母が「あらあら」と頬に手を当て微笑んだ。


 「ねえ優淑ちゃん、武道演武大会初めてだったんでしょう? 楽しめた?」


 煌侃の母で円の妻、夜条風華やじょうふうか茜音せんいんは薄い桜系で牡丹が所々にあしらわれた古色を基調とする長衣を着ている。帝国の伝統服だ。三枚歯下駄も桜系で、髪型は三つ編みをミニヨン部分に入れて華やかに纏めていた。

 繊細な色模様の玉かんざし、枠内透かし彫りの細工が施された平打ちかんざし、蒔絵を施したバチ型かんざしなどで黒髪に彩りを添えている。

 卵のような輪郭に丸みのある額、大きい目は目尻が少し垂れていて優しさがあった。若干丸い鼻の形は穏やかな性格を、太くしっかりとした眉毛は芯の強さを、ピンク色のふっくらした唇は穏和な人柄を印象付ける。165㎝の身長は優淑と大差なく、40歳の同年代が嘆く容姿は美しく婉美えんび、煌侃は此の親にして此の子あり、であった。


 「一つ一つが圧巻の迫力でした。まだ心臓が鳴り止まないです」


 「煌侃も格好良かったでしょう?」


 茜音の悪気ない返しに、煌侃がいち早く反応する。横目で優淑を一瞥する煌侃を両親は仏の顔で見守っている、面白い絵図だ。


 「はい。お怪我をなされないか冷や冷やしましたが、煌侃様はとてもお強く、多種に才能がある素晴らしい殿方です」


 優淑は素直な感想を述べた。満足気に胸を膨らませる煌侃に、母親の茜音は何故か涙ぐんだ。父親の円が茜音の背中を摩る。


 「優淑ちゃんのお陰で煌侃が人並みな恋を……」


 「茜音、涙は二人の人生の晴れ舞台にとっておきなさい」


 煌侃の結婚を諦めかけていた茜音は、円に昌映の厚意である縁談の経緯をあれこれ説明されて煌侃が承諾したと聞いたとき、嬉しさと興奮のあまり気絶した。実のところ此度が初対面の茜音と優淑、円が絶賛していた通り見目麗しい未来の息子の嫁は愛想がよく気立てもいい、茜音にとって願ってもない理想的な女子おなごだった。


 ――夜条風華の血は絶えずに済んだ。

 煌侃が縁談を断る度に蓄積していた茜音の計り知れない不安が、優淑の笑顔で一枚一枚丁寧にうろこを剥ぐ感覚で解消される。


 「二人の門出が待ち遠しいわ……」


 雑念からも解放された茜音は、優淑に感謝こそあるが格の低さ云々を含め不満はない。いそいそ動作を弾ませ、茜音が懐に忍ばせていた護符を優淑に手渡す。


 「幾つかお寺で求めてきたの、優淑ちゃんに」


 「ありがとうございます……」


 心身の安定を願う平安符、身体を丈夫にする健康符、夫婦円満の護符、子宝に恵まれる求子符きゅうしふ、優淑は困惑気味に受け取った。


 「………」


 煌侃が微動だにしない優淑の手元を覗き込んだ。煌侃が円に目配せする。


 「茜音、熱心なのはいいが、ちと気が早いんじゃないか?」


 「私は遅いほうです。有って困るものじゃないでしょう、ねえ優淑ちゃん」


  円の意見を蹴飛ばし茜音は優淑に賛同を要した。


 「は、はい」


 うべなう優淑は反論しない。護符の意味は兎も角、茜音の愛は本物だ。


 「はあ……、私もようやく安穏あんのんな日々を送れるわ」


 「大袈裟じゃないか」


 「貴方アナタだって」


 円と茜音は仲睦まじい。二人の言い合いに心地よく耳を傾けていると、不意に女官達の人言じんげんも拾ってしまった。


 「夜条風華家侍衛、ご結婚されるんですって」


 「麗優淑でしょう? 陽敬宮の、下位女官よ」


 「信じられないわ。事もあろうに下位よ。平民よ。咲濱さきひん様に仕えてらっしゃる杏林きょうりんさんがてっきり……、ねえ?」


 「ええ、自分が夜条風華侍衛に嫁ぐって」


 「その杏林さん、麗優淑を殺めかけていま酷背舎こくはいしゃよ。皇后様が断罪なされて」


 「――――ッ」


 女官達は一斉に息を呑んだ。唖然と二の句を告げない女官達と優淑はぱちり目線が交わった。刹那、煌侃が優淑の視界を左手で遮る。


 「……煌侃様?」


 「雑音に翻弄されるな」


 「お心遣い痛みりますが私は平気です、根も葉もない噂は多少傷つきますが真実ですし受け流せます」


 煌侃はそっと自分の左手を外した。来世をも見通す澄んだ瞳が真っ直ぐ煌侃を見上げている。この表情を煌侃は堪らなく好んだ。


 煌侃は体を斜めに傾け、囁く――。


 「……好きだ」


 低く甘美な、か細い呟きだった。煌侃の突然の告白に優淑の耳端が真っ赤に染まる。


 「おお、茹蛸ゆでだこだな」


 「誰のせいですか……っ」


 「私だが?」


 煌侃は片方の眉尻を上げ、自信満々に両腕を胸の前で組んだ。優淑は両手でぱたぱた火照った首元を仰ぎ、羞恥心を隠すよう下唇を噛んだのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る