第八話:簪の意味


 冷たい北風が木の葉を散らす頃、陽敬宮の石畳一面を鴨脚イチョウが数日かけて埋め尽くし、自然と黄金の絨毯を作り上げていた。儚さと神々しさが美しく調和された光景に誰もが胸を打たれるだろう。


 ――陽敬宮に訪れていたこの男、夜条風華煌侃もそのひとりだ。


 「大母おおはは様、ご配慮下さりありがとうございました」


 「貴方アナタが用件もなく私を訪ねるなんて珍しいわね、また縁談が転げ込んできたのかしら?」


 「いいえ。先日、優淑に手拭いを頂いたご報告に伺った次第です。優淑は何も申しておりませんでしたが大母おおはは様の御厚意でありましょう」


 煌侃は扉のない吹き抜けになった客間に通され、昌映と対面する形で座っていた。昌映の隣に上級女官がいるが、二人の邪魔にならぬよう気配を隠すのが上手い。


 「経緯はどうあれ、煌侃、貴方アナタが受け取った意味は素直に解釈していいの?」

 

 「……はい、大母おおはは様」


 煌侃は肯定するや否や、すっと立ち上がりこうべれる。


 「私は優淑に想いを寄せております」


 「……でしょうね」


 煌侃の告白に昌映は驚かない。


 「夜条風華家は皇后の外戚がいせき家と格差がありますが、皇家以外の身分差婚は法の改正にって許されております」


 獅龍帝の時代、皇族以外に限り婚姻前提に両家の承認を得ていれば、どちらか一方が平民・奴隷であろうと色恋に問題はなく、結婚が許されているのは事実だ。


 「貴方アナタと優淑、出逢って間もないでしょう?」


 昌映はゆったり扇子を仰ぎ、煌侃のく気持ちに冷静に応対した。煌侃は形の整った眉を引き締め吐露する。


 「優淑は慎ましい女子おなごです。か弱くあり強くもある。階位にこだわらず感謝ができ、隔たりがない。ただ異性に無知で隙が多く、たけはやく傍に置いておきたいのです」


 「存外、余裕がないのかしら」


 「…………」


 「……わかりました。でもまずは優淑の意思を確認なさい」


 「大母おおはは様」


 「裏庭にいるわ」


 「――――」


 昌映の促しに煌侃は黙礼し、軍帽を被り裏庭に向かった。煌侃の背を見送る昌映は溜息を吐くものの、愛情に満ちた眼差しだ。


 「はあ……。愛馨あいしんえん、二人に手紙を書くわ。筆を持ってきてちょうだい」


 「はい昌映様」


 女官が筆を取りに下がる。


 「反応が楽しみね」


 昌映は独り言ち頬の皺を深めた。彼女の方策は吉と出るか凶と出るか。蓋を開けるは数日後、はたまた数週間、そんな事は露知らず煌侃は陽敬宮の裏に回り目的の人物を探していた。


 「――煌侃様?」


 絶えず辺りを見回す煌侃に声をかけた女官は、彼がいま最も会いたかった相手、麗優淑だ。天高くそびえる鴨脚樹イチョウもと、思いの外すぐに見つかった。


 しかも天の手助けか都合よくひとりだ。優淑は落ち葉をかき集めていた手を休め、ほうきを持ったまま煌侃の元へ近寄る。


 「煌侃様、昌映様とお話は済んだのですか?」


 「優淑」


 「はい」


 自分の軽い調子と打って変わって、真剣な声色で名を呼ばれ、優淑は背筋を伸ばした。煌侃は「君に渡したい物がある」などと懐から何か取り出し、優淑の空いた片方の手に握らせる。棒の先に玉がついた、玉簪たまかんざしだ。


 「煌侃様……これは」


 飾り玉は艶やかな赤漆せきしつ調の地に金や銀の梅の花が描かれていた。


 「君は一本も挿していないだろう」


 確かに優淑は唐輪からわの髪型に一本も櫛を挿していない。特段の理由はなく敢えて言うなら「なかった」だけである。


 「ですが……」


 かんざしの意味合いを知らない優淑ではない。勘違いか否か戸惑う優淑に煌侃がふっと笑った。


 「苦労も幸せも共に、死ぬまで添い遂げる」


 「―――ッ」


 優淑が息を呑んだ。つまりは、そういう、贈り物だと察する。


 「私が君との未来を考えている事を、君に隠しておきたくない。強制も脅迫もしない、君が私との未来を望んでくれる日が来るまで待とう。かんざしは私の誓いの証だ」


 煌侃は静かな熱意で伝えた。厳粛な表情に迷いは一切ない。


 「煌侃様は名門貴族のお生まれで将来は伯爵を継ぐ殿方、宮中に努めます女子おなごに大層人気があると聞き及んでおります。比べ私は財無き平民、何故――」


 「何故、君か愚問はよせ。自分を卑下するな」


 煌侃は優淑の拒みに等しい呟きを遮った。そして一歩踏み込み、優淑のかんざしを持つ手を掴んだ。


 煌侃の瞳は淡い憂いを宿している。


 「君を守れる特権が私は欲しい。生涯、君を傷つけず悲しませず裏切らない。私を気骨のない男と侮るな」


 怒りと悲しみが滲んだ物言いだ。優淑は早鐘を打つ心臓を浅い深呼吸でしずめ、口煩いと捉えていた父親の助言を思い出していた。


 「父は生前、自分を一番に愛してくれる人が運命の相手だ、自分が困ったとき一番に助けてくれる人が運命の相手だ、周りに影響されてはならない、とお酒を飲むたび多弁に語っておりました。それは母が父に言っていた定かでない父の自慢話でありますが、私は元来がんらいに殿方と縁がなく……、こちらのかんざし、恐悦至極に存じます」


 下唇をきゅっと窄め、優淑は決心する。恋の種はお互いに、着実に、異なる速さで、芽吹いていたのだ。

 

 優淑の耳に届く程、煌侃が大きく息を吸った。


 「私に一喜一憂させるな、堪える」


 「も、申し訳ございません」


 焦り謝罪する優淑は煌侃が相好そうごうを崩した刹那を逃してしまう。煌侃は澄まし顔で優淑に告げる。二人の頭上に舞う鴨脚イチョウの葉が見事な雰囲気を醸し出し、まるで二人を祝福しているかのようだ。


 「毎日欠かさず挿しておけ」


 「はい。ありがとうございます」


 「返還は許さない」


 「私は筋を曲げない性格ですよ。ご安心を」


 優淑は得意げに口角を上げた。煌侃の眉目秀麗な隈々にも微笑の影が漂う。


 ――二人にとって経験のない、最初の恋であった。

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