第七話:手拭い


 すっきり晴れ渡った目映まばゆい秋の空、今日も崇天厳すうてんごん帝国、東に位置する帝都・崇泰は快晴でまさに雲ひとつない爽やかな天気だ。秋日和の澄み切った日光が崇爛城の藍色瓦の屋根と朱色の壁を照らし、その圧倒的で重厚な存在感をより一層に引き立てていた。


 牛の正刻、優淑うしゅくはひとり陽敬宮外にいた。夜条風華昌映に仕えて初めてのお使いだ。


 「……えっと、こっちね」


 女官の居所きょしょ忠宮ちゅうきゅうを通り、後宮の正門・黄竜門きりゅうもん正面に建つ三高宮さんこうきゅう――皇后の正宮・高華宮こうかきゅう、皇后が祝賀を受ける高慶宮こうけいきゅう、皇帝の寝宮しんきゅう高純宮こうじゅんきゅうを通り過ぎ、内廷西側に位置する兵軍処へいぐんしょへ赴いた。


 「着いたわ」


 中央に兵軍省専用独自の紋章、月桂樹ローリエが円形に描かれた重量感ある茶の無地素材の間仕切りカーテンは、ゴールドとモスグリーンの色合いが知的なタッセルで半分縛られ、人間一人が行き来できる程度に開いていた。優淑は「こんにちは」と挨拶を一言、中に入る。


 「失礼致します。夜条風華侍衛はいらっしゃいますか?」


 突然の来訪者、優淑に素早い反応を示したのは無論、名を呼ばれた夜条風華やじょうふうか煌侃こうかんだ。


 「――優淑、どうした?」


 書きかけの日誌を閉じ、軍服を着衣する煌侃が優淑に近寄った。兵内は煌侃とフォンネス・クライトン、二人しかいない。


 侍衛は二人一組、二十四時間体制の交代勤務にあたる。崇爛城の見回り、警備、特別任務、日によって職務内容は様々だ。

 今日は夜勤の煌侃、昌映があらかじめ調べていた。夜勤の日、煌侃は昼に雑務処理を行う。孫の生真面目な性格を理解する昌映は、本人がいる確実なタイミングで優淑を使わせたのだった。


 優淑は美姿勢を保ち、小腰を屈める。桜の刺繍が施された女房装束を身に纏う優淑は、すっかり黒の三枚歯下駄を履き慣らした様子だ。


 「昌映様のお使いで伺いました」


 「……大母様おおははさまの?」


 片方の眉尻を上げ、当然の如く煌侃は首を傾げた。机に座る自称白銀の貴公子フォンネスは二人の会話、おもに自ら女子に駆け寄った煌侃をそっと見守っている。


 「いったい何用なにようだ?」


 煌侃が目線を下げて聞いた。実のところ優淑の両腕には、物を載せて使う浅い容器、ひのきの無垢板を使用した正方形のトレイが持たれていた。


 優淑は被せている布を取り、軽く上に上げて煌侃に差し出す。

 

 「どうぞ、こちらを煌侃様に」


 「これは?」


 「手拭いでございます」


 十枚重ねていた束の手拭いを手に取る煌侃に、継いで優淑が噛み砕いて説明した。


 「武道演武大会が控えたいま、煌侃様が有していらっしゃる手拭いの数では足りないだろうと昌映様は案じておりました。ですので僭越ながら、私が昌映様の代役を務め手拭いを作らせて頂きました」


 優淑は昌映に頼まれた事実を伏せる。昌映の抱えた手先の症状を断りなく話したくない、優淑なりの心遣いであった。


 些か煌侃が呆気にとられる。


 「――優淑が作ったのか」


 色素の薄い茶色い瞳が驚きで揺らいでいた。一枚、二枚、三枚、折り畳まれた手拭いを捲る手は速い。


 「吸水性と吸汗性と丈夫さが特徴の晒生地さらしきじを昌映様と選びました」


 「肌触りがいい」


 柔らかな質感を気に入ったようだ。そして煌侃が最後の一枚、梅の花が一際目を引く手拭いに辿り着いた。


 「昌映様に夜条風華家の家紋が梅の花と教えて頂き、あしらってみました」


 小さな五角形をかたどった梅の花弁、五弁がバランスよく開いている。花の中心に向かう尖った先端は真っ直ぐな忠誠心を、丸みを帯びた花びらは寛大な心を、優淑は煌侃の高潔な印象を崩さぬよう丹精を込めて縫った。刺繍糸の真紅は優美、白は気品、ピンクは清らかさを表現している。


 「……ありがとう。大切に使わせもらう」


 煌侃が喜びを瞼に浮かべ感謝を述べた。煌侃に想いを寄せる女官がいれば気絶したに相違ない。


 躊躇ためらいなく受け取った煌侃に、フォンネスがぼそり呟いた。


 「やっぱり・・・・ね~」


 得意然とした態度だ。意味深な「やっぱり」が何を指すか煌侃はわかっている。


 「うるさいぞ、フォン」


 「ふ~~ん」


 揶揄やゆするフォンネスの唇は上弦の月に傾いていた。煌侃をからかえる勇者はフォンネスくらいだろう。


 けれど、いまの煌侃はそれを許せるほど機嫌が良かった。そんな煌侃の後方を、ひょっこり優淑が覗き込んだ。


 可愛い仕草に二人が釘付けになる。


 「初めまして、陽敬宮に仕えております麗優淑と申します」


 「俺はフォンネス・クライトン、煌侃の幼馴染で同期だよ」

 

 「断りなしにお邪魔して申し訳ありません」


 「いまの台詞さ、強引に押し掛けて来て我が物顔で滞在する女官に聞かせてあげたいね。優淑ちゃんはいいのいいの、くつろいでって」


 フォンネスは冷たく嫌味を零し、瞬時に穏和な笑みで優淑を歓迎した。飄々としており、相変わらず捉えどころがない。


 「フォン……」


 「いいじゃん、夜勤だし。ねえ優淑ちゃん武道演武大会、観にくる?」


 呆れる煌侃を適当にあしらい、フォンネスが優淑に問いかける。何気ない話題は煌侃が知りたい情報だった。


 「はい。昌映様に付き添う予定です」


 つい先日、昌映に「今年は貴女アナタも連れていくわ、優淑」と指名され、あまりの喜悦にしゃっくりが止まらなくなり、皆が慌てふためいたことは記憶に新しい。


 「―――」


 優淑の肯定の返事に煌侃が肺を膨らませ鼻で息を吐く。嬉しさで目がきらきら輝いていた。常に凛とした表情でいる煌侃が、だ。


 「そっか~。煌侃、頑張ろうな」


 「……ああ」


 「探せるかな~。まあ外戚は席が決まってるか……、優淑ちゃん目立つし煌侃も世界は優淑ちゃんで回ってます状態だし……」


 フォンネスは人差し指でトントン机を叩き、ひとりでボソボソ喋り自己完結させた。フォンネスの張り巡らせる思考は誰も読めない。


 「長居しました。そろそろ失礼致します」


 優淑は陽敬宮の庭の掃き掃除をしなくてはならない。礼儀よく膝を折る。


 「え~もう? もう三十分は居れるでしょ」


 「優淑、付き合わなくていい」


 駄々を捏ねるフォンネスを度外視し、煌侃は優淑の背を押した。あれよあれよと一緒に外に出、煌侃が優淑を催促する。見下ろす横顔が厭に格好が良い。


 「早く来い。途中まで送る」


 「あ――、はい。ありがとうございます」


 煌侃の隣を並んで歩く優淑は容姿共に注目の的だ。煌侃は咳払いをし、周囲をたしなめた。


 案の定、優淑は関知せずに喉がつらそうな煌侃の心配をする。


 「煌侃様……、まさか風邪を召されておいでで?」


 「いや」


 「ですが」


 「平気だ。風邪じゃない」


 煌侃はやや語調を強め否定した。優淑は釈然とせず、煌侃のひたいに右手で触れる。煌侃の主張は正しく熱はない。


 「安心しました」


 優淑は手を引っ込め、安堵の胸をなでおろした。同時に我に返る煌侃が、軽率な行動をした優淑を睨んだ。


 「優淑、女子おなご無闇矢鱈むやみやたらに男に触るものじゃない」


 鋭利な眼差しで射抜かれ、優淑はきょとんとする。だけど臆せず反論した。


 「無闇矢鱈むやみやたらに触っていません」


 「ひたいを触っただろう」


 「風邪を召されていないかの確認です」


 「口答えするな」


 「相手は煌侃様です」


 「もし相手が私でなければ――」


 男は皆勘違いする、と言いかけた煌侃の言葉を優淑が遮る。


 「確認致しません」


 ぴしゃり断言した。優淑の顔色は何一つ変わらない。


 「……信用しよう」


 「はい。約束致します」


 淡々と続いた口論は煌侃が折れ、丸く収まる。二人は間を置き、揃って吹き出した。


 見つめ合う煌侃と優淑、もはや二人の世界だ。周辺の侍衛や宦官達は背景にすぎない。


 「え~いい感じじゃん」


 フォンネスは抜け目なく二人の後をつけてきていた。心和む光景にきびすひるがえす。


 「退散退散」


 親友の幸せが素直に嬉しい。気分よく鼻歌を歌うフォンネスの足取りは至極軽やかだった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る