第九話:夜条風華円


 陽敬宮の開けた応接間は扉がない。ツタを模様した高級感漂うデザイン、重厚な本格ジャガード織りが象徴的な褐色かっしょくのカーテンで仕切る構造だ。

 カーテンの開閉は客人次第になる。普段は大抵、開いているが、今日は昌映の指示で閉められていた。

 立体的な織柄の陰影が空間を美しく彩るカーテンの手前に侍女が数人待機しており、閉ざされた内側にいる者は陽敬宮の主・昌映と、彼女の手紙で馳せ参じた男の客人、この二人だ。


 男と昌映は、向かい合う形で座っていた。


 「陽敬宮の鴨脚樹イチョウはいまが見頃ですね。まさしく黄金色の絨毯です。崇泰内地の寺院や神社の境内に植えられた鴨脚樹イチョウに勝る光景でした」


 「鴨脚樹イチョウは漢方の材料になるのよ」


 「左様でしたか。こちらの湯呑も流石、趣味が宜しいですね」


 澄み渡る清明な淡い青の、砧青磁きぬたせいじの湯呑だ。砧青磁は最上品だ、帝国で尊ばれている。


 「そうそう、崇爛城お抱え窯元の作による夫婦めおと湯呑ゆのみ貴方アナタ茜音せんいんに渡しそびれていた品があるのよ。そちらの侍女に預けておくわ」


 湯呑の感想で思い出した昌映が頬に手を添え、「すっかりだったわ」と独り言ちた。男は湯呑を傍の机に置き、座面に対し骨盤を垂直に立てる。


 「常々のお気遣い恐れ入ります。茜音も案じておりましたが体調は如何いかがでありましょうか――、母上・・


 「陽敬宮は静かで休まるわ、こちらに移って多少は改善したのよ。愛馨あいしんえん、陛下のお陰ね」


 昌映は自分を母上・・と呼んだ男、円の厚意に感謝した。円は深縹こきはなだの縦襟型軍服の袖を捲り、小首を横に振った。


 「いえいえ、私は何も。姉上の慈悲と陛下の御取り計らいに、私は畏敬の念を抱くばかりですよ」


 そう謙遜するこの男の名前は獅龍帝の寵臣ちょうしん・夜条風華円、昌映の息子であり、皇后の弟であり、煌侃の父だ。大きく鋭い目、沈着する隈、太い眉、凹凸おうとつがくっきりとした彫り深い顔立ちで、口元はきつく引き締まっている。坊主頭だけど188㎝の高身長、四十三歳にしては厭に容姿が良い。

 円は、地方行政を含め、軍・土木・衛生諸々の帝内行政を担う、内務府大臣だ。とても忙しい身であるが、日程をわせ、現在に至る。

 

 「相変わらず謙虚ね、円」


 「母上にならっているのです」


 「多忙の中、今日は迷惑をかけたわね」


 昌映は胸元で扇子を仰ぎ、承知の上で呼び出した非礼を詫びた。息子の仕事の邪魔をしたい母親はいない。


 「母上の手紙、拝読致しました」

 

 「ええ」


 「煌侃に良き縁談があるとか」


 円が今日、陽敬宮に訪れた理由だ。円が本題を切り出し、昌映が滑らかなに首肯する。


 「ええ」


 「母上、煌侃は縁談が嫌いです。母上もご存知でしょう」


 「重々にね。あの子が私を最後の砦に何度、頼ってきたか」


 煌侃は縁談を断るに際して、交渉、要望、譲歩、で相手側の理解が得られないとき、昌映に知恵を借りに来ていた。今後の関係性も視野に波風立てずに断りたい煌侃の理想は尤もで、昌映も相談を受ける度、煌侃の縁談に頭を悩ませていた。


 「煌侃は私に似て頑固な子です。一度決めたら考えを改めぬ性分、いくら母上が選んで下さった女子おなごであろうと煌侃の意思は砕けないでしょう」


 がりなりにも父親だ。煌侃の性格を熟知している。

 

 しかし円が示す指摘に昌映は落ち着いた様子だ。昌映はお茶で口内を潤わせ、一泊置き、口火を切った。


 「煌侃自らが望む相手ならどうかしら?」


 円の憂いを断つ予想だにしない吉報だ。つい声を張り上げてしまう。


 「煌侃に想い人がいるのですかっ!?」


 「……円、はしたないですよ」


 「ゴホッゴホ……、申し訳ありません。いやはや、驚きの余り……」


 円は口元に指先を押し当て、恥ずかし気な面持ちで自分の胴声どうごえを謝罪した。鈍い咳払いをし、昌映に催促する。どことなく姿勢が前のめりだ。


 「――で、如何様いかよう女子おなごですか?」


 「第一皇太子が崇泰内地で荷馬車に轢かれかけた危難きなん貴方アナタの耳に入っているかしら?」


 質問を質問で返された。先の見えない話だが円は記憶を辿り答える。


 「第一皇太子――ええ、はい。助けた女子の栄誉を称え、陛下が褒美とし崇爛城の女官に迎え入れた、こう存知ぞんちしております」


 「皇后様が陛下の褒美を辞退する女子を大層お気に召して、ここ陽敬宮に仕えさせたいとご要望なさったのよ」


 「姉上が? まさか母上――」


 昌映がした補足の解説に、察しのいい円は瞠目した。息を呑み二の句が継げない。


 「優淑うしゅく、私に仕える女官よ」


 円の代わりに昌映が「まさか・・」を肯定した。淡々たる冷静さだ。

 

 「確か第一皇太子を助けた女子おなごは平民と……」


 「ええ。麗家は格が低いわ」


 円の想定外の部分は平民そこである。生粋の貴族家系で育った昌映は「下位階級の友は足を引っ張り兼ねない」などと、円の私情さえ許さず厳格な教育を受けさせた。

 

 ――にも拘わらず、だ。


 「よいのですか母上は」


 「生生流転せいせいるてんの世、時代は新しくなったわ。私や貴方アナタ達が生きた時代に比べ、自分を縛る掟や規則は少ない。羨ましい時代ね、……貴方アナタ達の自由を奪った当時の私を許してちょうだい」


 慙愧ざんきで眉尻がハの字に下がる昌映の表情は切ない。平和な時代を生きる若者に羨望せんぼうするはしかり、されど円は付け足された最後の一言はきっぱり否定する。


 「母上、私は父母かぞいろは、姉上、妻、息子に恵まれ、一切の不満はございません。愛に満ち満ちる人生でございます」


 「親孝行の子供二人に恵まれて私も幸せよ。煌侃も夜条風華家の跡取りらしく立派に成長したわ、これ以上縁談事で親不孝にさせてはいけないでしょう」


 煌侃の複雑な心情と、円の立場を気遣う助言だ。上位階級の狭い貴族世界、縁談を断り続ければいつか支障が出兼ねない。


 「ご迷惑を掛け誠、相済みません」


 「興味のない貴族の女子おなごと万一婚姻が成立してごらんなさい。煌侃は断固と子を成さず、混沌に陥り、夜条風華家は終わりよ。煌侃の前途を妨げる女子おなごは夜条風華家に要らないわ。幸い優淑は清く強く、気立てがいい美しい女子おなごなの。おとる学や作法は女官の葉華がみていますし、問題なく、煌侃が娶るに相応しいわ」


 「――昌映様、優淑が戻りました」


 昌映が矢継ぎ早に褒め称えていた、そこへ丁度、侍女が断句だんくを投げ入れた。突然の展開で円が自然と居住まいを正す。


 「優淑、こちらに」


 「失礼致します」


 昌映の命に従い、優淑が中へ入った。崇泰内地すうたいないちで天女と呼ばれていた容姿端麗な優淑を一目し、円は「なるほど」と小声で独言どくげんする。昌映の隣に立つ優淑は可憐だ、賛美に誇張はなかった。


 「こちら私の息子、円よ」


 「挨拶が遅れご容赦下さい。麗優淑と申します」


 膝を折る単純な仕草が芸術に思える。円は一瞬呆け、我に返るや否や苦笑した。息子の審美眼しんびがんに参った様相だ。


 「初めまして、素敵なかんざしを挿しているね。煌侃の贈り物かい?」


 夜条風華家の家紋、梅の花に直感が働いた。円は目敏い。


 「……はい」


 「本人同士の想いが通ずるならば、母上、私は快く賛同します。頂いた縁談は茜音せんいんを含め私から致しましょう」


 円は格差婚に偏見がなく、むしろ永遠に煌侃の婚儀はないと諦めかけていただけに又と無い機会、万々歳だ。妻の茜音は孫が欲しかったため号泣するに相違ない。


 「……縁談?」


 露知らずはやはり優淑だった。


 「母上、恩に着ります」


 「愛馨ね、残るは」


 着々と進む会話に優淑は置いてけぼりだ。のちに優淑は自分に煌侃との縁談が持ち上がっていることを知ったのだった。


 

 

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