第37話 それは本心ですか





 検査の結果、透真様に異常は見られなかった。

 見逃していないかと病院をはしごしたが、結果は同じで、異常なし。


 納得出来なかったが、健康ならばそれに越したことはないと、結局は喜ぶしか無かった。

 突然の変化は病気のサインかと思っていたのだけど、どうやら違うらしい。


 それなら原因はなんだ。


 モヤモヤが消えないまま、俺はすっかり変わってしまった透真様と過ごすことを余儀なくされる。

 それは結構なストレスになっていた。



 俺は怖いのだ。

 このまま優しさに慣れて、もし元の状態に戻ってしまった時、同じように対応が出来るのかと。


 もしかしたら彼は、俺のことを……。

 そんな馬鹿な考えも、本当は浮かんじゃいけない。




 ……正直に白状しよう。

 俺は彼のことを上司としてではなく、恋愛感情込みで好きである。


 この感情に気づく前から、ずっとずっと好きだった。

 もしかしたら初めて会った時から、すでに惹かれていたのかもしれない。

 それでも彼と俺の立場の違いで、気持ちを押し殺していた。


 しかし最近、優しくされているせいもあって、彼にどんどん惹かれていっている自分がいる。

 溢れて零れてしまいそうだ。

 もしも溢れさせたら、透真様の迷惑になってしまう。

 だから必死に消すしかない。


「辛いな」


 ただでさえ彼には、妹の件で迷惑をかけている。

 俺の気持ちを伝えることなんて、絶対に無理だ。


 胸をかきむしりたくなるような痛みに、涙が出そうになる。

 でも俺は大人だから、顔に出すことは無いだろう。

 墓まで持っていくしかない。そんな秘密だ。


「隠さなきゃ。隠さなきゃ。どうやって……?」


 頭を抱えて、そして考えた。

 誰にも相談出来ず、一人で結論を出す。


「……気づかれないように遠ざけよう」


 俺の気持ちが気づかれないように、彼と適切な距離をとる。

 そうすればきっと、今のようなおかしなことも無くなるはずだ。


「適切な距離。適切な距離。彼と俺は上司と部下。それ以上でもそれ以下でもない」


 言い聞かせるように何度も口にすれば、段々とそうだと思い込めてきた。

 これなら彼と会っても、優しくされても、冷静に対応出来そうだ。


 心のどこかが悲鳴を上げているような音が聞こえたけど、完全に無視した。





「何かあったのか?」


「何がでしょう?」


 気持ちを消してから、数日。

 俺は上手くやっていると、自分でも思う。


 彼と一緒にいても、甘い空気になっても、無表情を保つことが出来た。

 でもそのことを、透真様は変だと思ったみたいだ。



 仕事中、機嫌が悪そうに俺を睨みつけてきた。

 何のことだか思い当たったが、あえて分からないふりをする。

 それに対しても、苛立ちを強めてしまったようだ。


「最近、おかしい」


「おかしいと言われましても、これが普通ですが」


「馬鹿にしているのか。違うことぐらい分かる」


「そう言われましても……私には何のことだか」


 ここで素直に認めるなら、まずこんなことをしていない。

 俺は完全にとぼけると、仕事の方に集中しているふりをする。


「俺のせいか?」


「だから何のことだか」


 パソコンの画面を見ているけど、中身は全く頭に入っていない。

 しかし、透真様の話をきちんと聞くわけにはいかなかった。

 聞けば、すがりついてしまうかもしれない。


 もう、彼に振り回されたくない。

 冷たく聞こえるように素っ気なく言えば、彼が舌打ちをした。


「ふざけるな」


 近づいてくる足音。

 逃げるわけにもいかず、俺はパソコンの画面だけを視界に入れる。


 また背中に覆いかぶられ、耳元で囁かれた。


「意識するのは構わない。むしろどんどん意識しろ。ただな……避けるのだけは止めろ」


「と、透真様。近いです」


 これは適切な距離じゃない。

 心臓が騒いでしまい、緊張からか視界も狭くなった。

 それでも表情を崩してはいけない。


 俺は何とかキーボードを打つ手を動かす。


「近い? 気のせいだ。これが俺達の普通の距離だろ」


「……そんなわけないでしょう。最近おかしいのは、透真様の方じゃないですか」


「おかしい、か。例えばどこら辺がだ?」


「それは」


「俺がおかしいと、お前はどう思うんだ?」


 腕の中に閉じ込められているから、逃げ場がない。

 こんな近さでは、心臓の音が聞こえてしまいそうだ。


「どう思うって……私達は、こんな関係では無いでしょう。あなたは俺を疎んでいたはずだ」


「疎んでいた、か」


 黙ってしまった透真様は、俺の肩に顔を埋めてきた。


「透真様っ! お戯れは止めてください!」


 もう耐えきれない。

 彼からしたらただの暇つぶしかもしれないけど、巻き込まれているこっちからしたらたまったものではなかった。

 俺は震える声で叫んだ。


 しかし透真様は、俺を解放してくれない。

 むしろ後ろから抱きしめてきた。


「戯れなんかじゃない。疎んでいたのだって、俺が勘違いしていただけだ。本当はずっと……ずっと」


「それ以上は駄目です。……お願いします」


 戯れじゃないと言われても、俺には信じることが出来ない。

 勢いだけの言葉は、絶対に後悔する。


 彼には普通の幸せを掴んでほしい。

 今度こそ、可愛らしいちゃんとした女性と結婚し、家庭を築いてほしい。


 俺の欲しい言葉を言いそうだった口を止め、必死に懇願する。


「……真」


 久しぶりに呼ばれた名前も、今はむなしく響くだけだった。




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